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瑠璃が吐き出した煙が霧散して見えなくなると忌々しそうに舌打ちする。紅玉と一緒に居ると瑠璃の舌打ちの回数が格段に増えている気がする。
「もう何匹か迫っている。…喧しいばかりで役に立たない爆竹の分際で、よくも僕の手間を無駄にしてくれたな」
手間。さっき追跡を撒いたとか言っていたし多分瑠璃は敵に後を付けられないように何かしていたのだろう。私の体感ではそんな暇も無く急いで逃げてきたように感じていたけど、どうやら瑠璃はそうでも無かったらしい。本当に抜け目が無い。
そんな瑠璃に対して紅玉は面白く無さそうに、ふん、と鼻を鳴らした。
「愚物の分際で偉そうに。大方貴様がしくじっただけであろう」
「粗雑なのは術式だけにしろ、僕がお前みたいな間抜けと同じ失態を演じるわけ無いだろうが」
「はっ、主に刃を向けた仇敵を前にしておめおめと逃げ出した腑抜けは言うことが違う。貴様はどうやら角が直っても欠陥品のままのようだな」
「僕は敵の首や自分の名誉より妃芽の命令を優先しただけだ。その面と同様に主張ばかりが強いお前には出来ないだろうが」
「強いのは主張ばかりではないぞ。例えば目の前に居る性悪を屠る程度のことならば儂にとって造作も無いことだ」
「ああ、すまない。主張だけでなく虚言癖と妄想癖の傾向も強かったな、道理でお前が口を開くたびに頭痛がするわけだ」
そして敵が迫っていると言うのに平然と口喧嘩を始める二人に私は頭を抱える。こんな状況でも口喧嘩をする余裕があるなんて危機感がまるで無い。ひょっとすると鬼である瑠璃や紅玉からしたらこの程度の危機は大したことなくて、現在安全が脅かされているのは何の力も持たない私だけなのかもしれない。どうかと思う、危機感はこの場で一番弱いあなた方の主を基準にして欲しい。
「二人とも、喧嘩は後にしてもらっていい?追手が来ているんでしょ、どうするの?」
「どうするかは主である妃芽が決めて良い。僕はそれに従うだけだ」
違う、そうじゃない。
瑠璃の私を尊重しようとしてくれる気持ち自体は有難いのだけれども。
「あのね、追手が掛かったことなんて私の人生で初めてのことで本当に勝手が分からなくて困ってるの。だから私の意見の前にどうするべきかの助言が欲しいかな」
「ふん、主の前では借りてきた猫のようだな。温順な猫を被って居れば重用されるとでも思って居るのか?図々しい」
「紅玉、いちいち煽らないで」
本当に隙あらばどちらからともなく喧嘩を売ろうとする。押し売りも買い叩きもしないで欲しい。
瑠璃は紅玉の野次に少しだけ眉を寄せたが言い返したりはせず、顎で恐らく追手が居るであろう方向を指し示す。
「紅玉、もともとお前の客だ。爆竹は爆竹らしく烏合を散らす程度の働きを見せろ」
「誰が爆竹だ、性悪が偉そうに指図をするな」
そう言いながらも紅玉は扇子を構えて瑠璃の示した方向へと向き直った。文句を言いながらもどうやら瑠璃に言われた通り迎え撃つつもりのようだ。
そこで急に、ふわっと浮遊感が私を襲う。
「今迫っている敵はそこの馬鹿を追っている。紅玉が責任を持って注意を引いてくれるそうだから僕たちは見つかる前に移動して態勢を立て直そう」
浮遊感の正体に気付いたのは瑠璃に抱きかかえられていると理解してからだった。極々自然に流れるような動作で私を抱きかかえてきた。どうやら移動している時もあまり衝撃を感じなかったし瑠璃はこうして人を運ぶことに慣れているようだ。
「そんなこと言って紅玉を置いて遠くに逃げたりしないよね?」
「……」
「主よ、案ずるな。汝に掛けた守護が切れぬ限り儂は再び主の元へ参上しよう。距離が開くほど感知は曖昧にはなるがそれでも大凡の所在は分かるでな」
紅玉がそう言った瞬間、瑠璃が舌打ちしたのが聞こえた。やはり置いていくつもりだったらしい。
取りあえず紅玉をこの場に残して行くのであれば彼女の為にも迂闊に手を叩くべきではないだろう。そうでないと瑠璃の思惑通り紅玉を置き去りにすることになってしまう。
「ヘマをするなよ、無能」
「誰に物を言っている、性悪が」
瑠璃はそのまま紅玉が向いている方向と逆方向に歩き出そうとして、一度その動きを止める。何かあったのかと彼の顔を見るが視線は交わらず瑠璃は首だけで紅玉に振り返っていた。
「最期に一つだけ。妃芽は無駄な殺生を好まない、分かっているな?」
何を今更。と思わないことも無いが瑠璃がこうしてわざわざ言うのだからひょっとして紅玉はその辺りを理解していなかったのだろうか。いや、一度はちゃんと言葉にして確認した事柄なのだしいくら紅玉が奔放な性格だからと言ってそんなことあるわけが、あるはずが、無いと信じたい。でも奔放な性格だからこそ主に従うということ自体が大なり小なりストレスになったりするのだろうか。
私が悶々と考え始める中、瑠璃は紅玉の返事を待たずに跳躍した。
* * * * *
背後に感じていた主の気配が遠ざかっていくのを感じながら紅玉は忌々しさから歯噛みする。
妃芽は無駄な殺生を好まない、その程度のこと紅玉は十分理解している。何ならば知識ばかりで鬼の考え方そのままの瑠璃よりも俗世の文化に多く触れている自分の方が主である妃芽の感情の機微に聡い自信がある。そうでなくとも瑠璃よりも前から妃芽の側に居たのだ、彼女が何を大切にしていて何を重んじているかくらいならばわざわざ瑠璃に指摘されるまでも無い。
だが瑠璃の意図は単純に妃芽の言葉を代弁することではない、妃芽の中に『紅玉が自分の言葉に従わないかもしれない』という疑念を植え付けることだ。
そして紅玉がその疑念を払拭する為に最も簡単な方法は従っていることを見せること。つまり複数の鬼が自身を殺しにかかって来る状況で、よりにもよって無駄な殺生をしないという縛りを守る必要がある。
「…あの性悪が」
不幸中の幸いは襲ってくる相手が鬼であることだ。もし相手が人間であれば何かの拍子にうっかり殺してしまうという事故が起こりかねないが、相手が鬼ならばどれだけ痛めつけようと角さえ折らなければ死ぬことはまず無いので手加減する必要が無い。行動不能にするか戦意喪失させてしまえばそれで終わりだ。少なくとも並みの敵相手ならば紅玉にとってそれはそう難しい話ではない。
「…ふむ、さっそく一匹やって来たか」
遠目に敵の一人を視認すると紅玉は忌々しい一ノ鬼の存在を頭の片隅に追いやりばっと扇子を開いて口元に弧を描いた。面倒な条件こそ付けられたが紅玉は戦うこと自体は嫌いではない、むしろ好戦的な部類に入る。戦うことを嫌う妃芽の考え方を理解し尊重しているつもりではあるが、それは鬼として永くを生きてきた本能全てを塗りつぶせるほどではない。
まず小手先調べ、そう考えて炎を繰り出そうとした時だった。
「………ぬ?」
無意味に空を切った扇子、術の代わりに出たのは紅玉の間の抜けた声だけだった。




