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戦えなければ逃げれば良い、それ自体はとてもシンプルでありながら的確な解答である。しかしながらそれを実行出来るかどうかは別問題だ。
「逃げれば良いって…今の状況ってそんな簡単な話じゃ済まないよね?」
「何故だい?」
「だってあの金城さんって人、確かに鬼を連れていたしちょっと堅気には見えなかったけど…それでも私の呼び出しには学校の放送を使っていたから先生たちに繋がりがあるか先生たちより偉いかのどっちかじゃないのかな。それって逃げてどうにかなる話じゃなさそう」
金城さんが何の権力も無く鬼を連れているだけの人なら瑠璃の言う通りこの場を逃げ切って今後捕まらないように気を付ければ良いだけの話だ。しかし金城さんは学校に正規の方法でやって来て、放送を使って授業中に呼び出し、応接室より調度品の質が良い校長室を宛がわれるような人物である。普通に考えて今後学校に通うことが怖くなる程度には社会的な地位や権力がありそうだ。そうじゃなくても通っている学校を把握していた時点で住所も割れていると考えられる。学校に来るより自宅に押し掛けられる方がよっぽど怖い。
逃げると言うこと自体は簡単でも逃げられない。いや、逃げ場が無いと言うのが適切か。
「正しい現状認識が出来ているようで何よりだ。勿論、学校からここまで逃げてきたのとは全く違う話になるだろうね」
満足そうな笑顔でそう言ってのける瑠璃に顔が引きつる。瑠璃のこの、時折私を試すような言い回しをしてくるのは一体なんなのだろう。回答を失敗したら何かペナルティでもあるのだろうか。それとも承認欲求のために啓蒙したいだけだろうか。どっちにしてもどうかと思う。
「妃芽の言う通り、逃げると言っても学校からここまで来たのとは全く違う話になってくる。追手が及ばないところまで逃げる必要があるからね」
「結構気軽に言ってるけどそんなの出来ないでしょ?」
学校からここまで町一つ分くらいは移動してきている。つまり瑠璃が言っている追手が及ばないところまで逃げると言うことは隣町に引っ越す程度では全然足りないと言うことだ。そう考えると県境をまたぐかそれ以上の移動になってくる。とても気軽に行こうと言えるものではない。
「そうだね、僕も今の妃芽の服装や所持品では長旅に多少の不便が生じると考えている。だけど今は非常事態だから快適性を欠いてでも君の身の安全を優先する必要が、」
「違う、旅の快適性の話じゃなくて。一生旅をして暮らすなんて出来る気がしないし、そんな遠くで匿ってくれるような知り合い居ないし」
私が渋い反応を示すと瑠璃はそれも想定済みと言うように笑みを崩さずに答える。
「それなら安心してくれ。かなり西に行くことにはなるけれど僕が昔仕えていた家がある。僕の主だと言えば待遇は保証されるはずだ」
なるほど、瑠璃が何の考えも無しに逃げることを提案するとは思っていなかったがそういうことか。どうしよう、闇雲に逃げるのは御免だがちゃんと逃亡先が確保出来るのであれば逃げると言う選択肢もそう悪くは無いと思えてくる。鬼にいつ襲われるかという不安を抱えて生きていくのは嫌だし、幸いなことに私は逃げるのは嫌だとかいうプライドみたいなものとは無縁だし。その逃亡先が受け入れてくれるかどうかという不安は残るけど瑠璃がそんな不確定なものを選択肢に上げるとも思えないので多分問題は無いのだろうし。まさか一生逃げ回るわけではないのだろうし当面の避難先として厄介になるくらいはありなのではないだろうか。
そこでふと、疑問が脳裏に浮かんだ。
「瑠璃、逃げることを選んだら今このまま行くことになるんだよね?」
「そうだね。きっと追手を放ってくるだろうし、旅支度を整える時間も惜しい」
「その場合、今家に居る紅玉はどうなるの?」
この状況を知る由も無い紅玉はきっといつも通りに家でテレビを見ているはずだ。旅支度の時間さえ惜しむということは家に戻ることは無いと言うことで、つまり私たちが町から逃げることを紅玉は知ることが出来ないと言うことだ。
「あと住所が割れてるかもしれないってことは鬼がお父さんやお母さんのところに行くかもしれないってことだよね?」
瑠璃は静かに目を逸らした。
「……」
「瑠璃」
「紅玉は殿として置いていく。鬼としての力は強大だし派手で目立つから適役だ」
「それって殿じゃなくて囮だよね?」
「あいつが残れば家の結界は維持されるから妃芽の家族の安全は保証される、何も問題は無い」
「家に居る間はね。でも鬼の存在も知らないのに家から出ないようにさせるのは無理があるでしょ?」
追及すると瑠璃は沈黙した。どうやら紅玉を置いていくつもりだったようだ。仲が悪いとは思っていたけど置き去りにするほど嫌っているとは。疲労感から溜息が出てしまう。瑠璃の言葉は額面通り受け取らずに裏を探るのが正解みたいだ。
『彼奴は主を直接害することは無いかもしれぬ、だが裏を返せばそれ以外は何を仕出かすか分からぬということだ』
昨日の紅玉の言葉はこういうことかと今更ながら納得した。佐藤君失踪未遂の時に十分理解したつもりでいたがそれでさえもまだ認識が甘かったようである。
瑠璃にとって守る対象は主である私のみ、その他は私の両親であっても鬼である紅玉であっても切り捨てることが出来る駒程度にしか思っていないのだろう。どうかと思う。幾らなんでも視野が狭すぎではなかろうか。
「瑠璃、逃げるのは無し。私は紅玉も家族も捨てたくない」
「……なら戦うと言うことで良いのかい?」
「戦うのと逃げる以外で。他の方法を考えよう」
瑠璃が露骨に顔をしかめて不満を示してくる。そりゃそうだ、瑠璃の提案を二つとも蹴っておきながら具体案は何も出していないのだから。申し訳ないとは思うけどどちらの提案も了承しにくいのだから仕方ない。
「妃芽、出来ることなら君の意思を尊重したいがこればかりは無理だ。仮に他の選択肢があったとしても今はそれを考えて実行に移すだけの時間が無い。追跡の術は撒いたけど恐らく相手の鬼を追手として向かわせてくるはずだ。現実的に考えて戦うか逃げるかのどちらかを選んでくれ」
「…仕切り直してもう一度話し合いに持っていけない?」
「相手は君のことを警戒しているはずだ、隙を見せれば鬼が切りかかって来るような話し合いの席に妃芽を座らせることは出来ない。相手を叩きのめした後で良いなら許容出来るけど」
「それって結局戦うってことでしょ?」
「先に仕掛けてきたのは向こうだ、相応の代償は支払ってもらう必要がある」
「そもそも瑠璃が私を守る術を掛けていなければきっと鬼が見えることだってばれていなかったし向こうだって仕掛けて来なかったと思うけど…」
私が振り返った時の音、そして黄金の反応。触れないみたいなことを言っていたし、多分私を守る術か何かが掛けられていたに違いない。いや、アレが無かったら確実に捕まっていたんだけど。でもそもそもアレのせいでばれたのだし、ばれていなかったら捕まりそうになることも無かっただろうし。
すると瑠璃は不可解そうに眉根を寄せた。
「術?……待ってくれ、僕はそんな、ことは…」
言葉を区切った瑠璃が、突然私の腕を掴んで私の顔を凝視する。深い青の虹彩が綺麗ではあるのだが表情が大変険しくていらっしゃるので呑気に眺めていようという気にもなれない。一体何がどうしたのか事の成り行きを見守っていると少し焦りを滲ませた瑠璃がキセルをくわえて煙を吐き出す。吐き出された煙はゆっくりと私の側にやって来て、そして。
パン、と。どこかで聞いたような音が響いた。
「クソっ!…あの、無能っ!!」
私の頭から疑問符が消えないまま、瑠璃は一人結論に至ったようで忌々しそうに悪態を吐いた。
瑠璃が無能と言う相手、私の知る限りは紅玉しか居ない。瑠璃は私に掛けられた術について知らなそうだったし、つまり私に掛かっていた術は瑠璃ではなく紅玉によるものだったということなのだろうか。瑠璃が今の今まで気づかなかったということは瑠璃の目を掻い潜るほど器用に術が隠されていたということになる。粗雑だと散々言われていたのに大した進歩だ。
しかしながらその紅玉の進歩のせいで現在迷惑を被っているのだし、何より瑠璃の殺気がヤバいことになっているのであまり素直に褒めることが出来ない。鬼が鬼の形相をしている。
取りあえず紅玉が今この場に居なくて本当に良かった。ただでさえ追われている状況なのにこの二人が喧嘩を始めたら収拾がつかなくなってしまうところだった。
「随分遠くまで来たではないか、我が主。と、護衛すらもままならぬ愚物よ」
そう思っているところに聞こえてきた聞き覚えのある声。こういう時に限ってトラブルの方からやって来るんだよね。




