11
如月妃芽の去り際、黄金が戯れにその背中へと近付いていく。勝手な行動ではあるがまだ少女が退出していない状態だったので表立ってその行動を注意することも出来ずに金城は溜息を吐き出した。金城との主従契約が成っている以上黄金は命令無しに無関係の人間を襲うことは出来ないが、攻撃にならない程度に触れることは可能である。程度は違えども見えない人間にちょっかいを出して反応を楽しむという点においては今回この少女を襲った鬼に通じるものがあるのかもしれないと金城はどこか呆れた気持ちでそれを眺めていた。
「また会いましょう、面白いお嬢さん」
ドアノブに手を掛けたタイミングで黄金が少女に声を掛ける。当然であるが鬼を認識出来ない少女から返事は返ってこない。黄金も少女からの返事は期待していないだろう。
その直後。
パン、と風船が割れるような音が響いた。
否、風船ではない。少女に触れようとした黄金の手が『何か』によって弾かれた音である。
金城は目の前で起こった事態が理解出来なかった。
何故一般人である少女が不可視の存在であるはずの鬼を弾くことが出来るのか。術使いならまだしも霊力が無いに等しい人間に何故そんな真似が出来るのか。
金城のほんの数秒に満たない思考の間にも新たな情報が追加される。
「…ひっ!」
振り返った少女が真っ直ぐに音がした方向、黄金の居る方向を見たのである。その目は手が弾かれ驚いている黄金をしっかりと捉えて見開き、その表情は驚愕と恐怖によって強張っていた。そこから推測出来るのは彼女が鬼である黄金を認識しているということ。今まで見えないふりをしていたのか、はたまた先程の鬼を弾いた何かが作用してたった今見えるようになったのか。どちらでも良い、詳細は捕えてからでも調べられる。
金城が勢いよく立ち上がるのと、少女が逃げるように廊下へ躍り出るのはほぼ同時だった。
「捕らえろ!!」
その命令にすぐさま動いたのは少女の側に居た黄金。
少女が走り出す前に一度弾かれた手を伸ばし捕まえようと試みるがその腕は先程同様見えない何かに弾かれる。走り出す少女を横目に黄金は感触を確かめるように手を握ったり開いたりを繰り返す。
「ダメだわ、彼女に触れられないみたい」
やる気無く肩をすくめる黄金に金城は舌打ちして走り出した。鬼が触れられないのであれば金城自らが動くしかない、どのみち気分屋の黄金はあまり当てに出来ないところがある。
幸いなことに資料によれば少女の運動神経はずば抜けて高いわけでもなさそうだったので、普段から鬼を相手にする想定で鍛えている金城であれば捕まえるのは難しいことではない。強いて問題を上げるとするならばここが学校で少女が生徒である以上、第三者に現場を見られたら少女を連行しにくいということくらいだろう。
「主、足止めをします。攻撃の許可を」
「許可する。殺すな、まともに話せれば状態は問わん」
他の教室や職員室に駆けこまれては面倒だと判断した金城は走りながら黒金に攻撃の許可を出した。そして同時に廊下の壁に遮断の術符を貼り術式を起動する。貴重な札ではあるが少女が鬼と無関係では無いなら出し惜しみする必要は無い。
許可が出るや否や黒金は足を止め、携えていた日本刀を構えて静かに呼吸を整え始める。そして対象を固定し、狙いを定め、術式を組み、霊力を練り上げ始めた。
「はぁあっ!!」
黒金が滑るように抜刀すると共に衝撃波が金城を通り抜け少女に襲い掛かる。足を狙ったその術は振り返りもせずに逃げている彼女に一直線に飛んでいきその太腿に見事に命中する、はずだった。
しかし少女の足を切断するはずのその術は当たる寸前で、パン、と再び何かに弾かれて掻き消えてしまった。
「何っ?!」
自身の術が弾かれ黒金が驚愕する。鬼を弾いたことからして術も同じように弾かれる可能性を考え黒金は少女を守るそれごと切ってしまうつもりで術を放った。それが弾かれるということは少女の守りがそれほどに高度で強固であることを意味している。
「あらやだ、術も弾いちゃうのね」
「…黄金、周囲を破壊して良い。止めろ」
黄金の呑気な声に対して金城が静かに告げる。それで十分だった。
鬼も術も弾かれる、厄介な話だ。しかしそれ以外が弾かれないのであれば高度に練られた術など必要無い。
「はぁい、分かったわ」
間延びした返事と共に黄金は柳葉刀を構え、黒金の放った術とは異なり術式も霊力も最小限に柳葉刀を振った。狙いは逃げる少女ではなくその横の窓ガラス。けたたましい音と共に廊下の窓ガラスが一斉に割れて破片が少女へと襲い掛かる。
突然のことに逃げていた少女は流石に足を止め、口を開けて大声を、
「瑠璃っ!!」
悲鳴が上がると思われたその口から突然何かの単語が飛び出した。
次の瞬間。
「主!!」
黒金が金城を呼ぶ。その声に反応するより先に黒金と黄金が金城の前に出て、鈍い金属音のような音が数回響いた。術で攻撃されたのだと金城が理解したのは音が止んでからだった。
「ご無事?」
「ああ、それより…」
金城は前方へ視線を向ける。
ガラスの破片が散乱する中、無傷の少女の傍らに人影が一つ。
和装にキセルを持っている男、頭には青い角。疑うまでも無く鬼である。
金城の見立てからして霊力は乙級程度、立ち振る舞いからしても相当な手練れであることが読み取れる。黒金と黄金は一つ下の丙級、戦力的には不利な状況だが負けはしないだろうと金城は判断する。
だが校内に探知の術を張り巡らせていたにもかかわらず今この場に姿を見せるまでその存在を全く察知出来なかった。その上金城の遮断の術をあっさり突破してきている。間違っても油断して良い相手ではない。
相手の鬼の視線が一度金城へ向き警戒した黒金と黄金が臨戦態勢を取った。それを横目に鬼は少女と一言二言交わし、溜息を吐いてからキセルをくわえる。そして鬼がふっと煙を吐くと、その煙は一気に膨らみ周囲を覆い視界を奪う。
「目暗ましか!」
黒金が刀を一振りして煙を晴らすが既にそこに二人の影は無かった。
金城は舌打ちしてから懐から札を出し素早く追跡の術を発動する。どうやら外に逃げたようで札は対象を追ってガラスの割れた窓から外へと飛んでいった。
「黒金、追え」
黒金がその札を追って窓から出て行ったのを確認してから金城は現状を整理する。
先ほどの鬼、等級からして少女を襲った鬼の可能性は高い。そして使役の術こそ使われていなかったがあの鬼は少女を守るように動いていた。つまりあの少女は鬼に襲われながらも何かしらの方法で手懐けたのだと思われる。自身に従う鬼を庇うのであれば鬼が見えていたとしても犯人を見ていないと証言して当然だ。
認識が甘かった。『鬼に襲われた可哀そうな少女』ではなく『鬼に襲われたにもかかわらず生き残った少女』として捉えておくべきだった。何故生き残ったのかまで考えるべきだった。少女がどうやって手懐けたのか、鬼が何故少女に従っているのかは分からない。鬼の単なる気まぐれなのかもしれない。しかし鬼が関わっている以上は脅威であることに変わり無い。
何より驚くべきは少女が鬼が居ると分かっていながらも単身で自分の前に来て一般人を装っていたことである。幾ら術で身を守っていたとは言え、敵か味方かも分からない鬼がいる場に一人で来るなど正気の沙汰ではない。それほど気付かれない自信があったということなのだろう。事実として黄金が気まぐれに触れようとしていなければ金城は完全に少女を見逃していた。
あの少女、いや。
「…如月妃芽、か」
認識を改めなければならない。
如月妃芽は普通の少女などではなく、厄介な敵であると。
そこで不意に金城の端末が振動する。画面を確認し、金城家の者からの着信だと判断すると通話ボタンを押した。
「私だ。今は少し立て込んでいる。用件は手短に話せ」
『承知しました。先程、探知に反応がありました。地点は東三の二、霊力は甲級。現在は我々の術式を破壊しながら北上中です。清様、ご指示を』
電話口の報告に金城は苛立ちを隠さずに溜息を吐き出した。こんな時に甲級が動き出すとは何ともタイミングが悪い。これまで一体どこに潜んでいて、一体何の目的で姿を現したのだろうか。
先程の少女と鬼は確実に危険因子だ、放置は出来ない。だが優先順位としては甲級捕縛の方が上だ。ここは一先ず追跡を黒金に任せて自分は甲級のところに向かい、戦況を見て問題が無ければ再び追跡戻れば良いだろう。ならば自分が戦線を離脱した後に指揮を執る人間が必要だ。
「宗司に指揮を執らせて向かわせろ、私はここから直接向かい現地で合流する」
『畏まりました』
端的に指示を出した後、金城は通話を切る。そして二区、繧繝衆に緊急連絡の術式を飛ばす。内容は鬼の討伐の応援要請。そして如月妃芽の身内の確保、ようは人質だ。もっとも繧繝衆がすぐに動くとは考えにくいが。
それにしても白金が不在のタイミングで突如として湧いた危険因子、そしてその逃走の折に探知に掛かった甲級。
「一体、何が起きている?」
果たしてこれは偶然なのだろうか。




