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手の鳴る方へ  作者: 黒丑テル
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1

 瞼の外側で朝の気配がする。

 電線にとまってるであろう雀の鳴き声。既に起きているであろう両親の生活音。カーテンの隙間から差し込む柔らかな朝日。微かに鼻孔をくすぐる朝食の匂い。目を開ければいつも通り朝を迎えた私の部屋が視界に入ってくることだろう。


 しかし意識が起きているのに瞼が開かない。

 これは何か異常があるとかの話ではなく単純に私の体が更なる睡眠を求めているというだけのことである。仕方ない。昨晩は今まで居なかった人が、いや鬼が、就寝時に頑として私の部屋から出て行かなかったのだから。見張りなんて要らないというのに。おかげで寝つきが悪かった、あんなに夜遅くまで起きていたのはゲームのイベントを限界まで走っていたときくらいなものだ。つまりいつもより睡眠時間が少ないのである。だから今ここで私が睡眠欲に敗北してしまうのは仕方のないことだ、どうしようもないのである。きっとこのまま二度寝を決め込めばさぞかし心地よい睡眠が取れることだろう。どうしようもない、人間が三大欲求に勝てるはずが無いんだから。私は悪くない。


「妃芽、朝だよ。学校に行かないといけないんじゃないのかい?」


 そんな私の言い訳を否定するように睡眠不足の原因が何か言ってくる。

 誰のせいだと思っているんだ。喧嘩を売っているのだろうか。ふざけるな、喧嘩をしたところで鬼に勝てるわけが無いじゃないか。私はただ平和に眠っていたいだけなのに、どうして穏やかに眠らせていてくれないのか。


「わかった、君が寝ていたいのであればそのように。心配せずともその間に学校関係者の記憶や関係する記録は改ざんしてくるから、安心して眠ると良い」


 どうして穏やかに眠らせてくれないのか!

 そしてその発言を聞いた後でどうして安心して眠れると思ったのか!

 私が仕方なしに目を開けると心の底から嬉しそうに顔をほころばせた瑠璃とご対面する。人の安眠を奪っておいて実に良い笑顔である。


「……おはよう、瑠璃」

「おはよう、妃芽。目覚めが良いようで何よりだ」


 どの口が言っているのか。

 嫌味だろうか。それとも皮肉だろうか。まさかと思うがジョークの類のつもりなのだろうか。


「……あれ?」


 恨みを込めて瑠璃の顔を見て違和感を覚えた。何か、何かが違う。でも何が違うのかはっきりと分からない。まるで間違い探しでなんとなくこの辺に間違いがあるのが分かっているのに具体的にどこが違うのか分からない時のような感覚だ。


「どうかしたかい?」

「えっと、瑠璃。なんだか今日……」


 なんと言い表したら良いのか分からずに言葉を区切る。何か今日はいつもと違う?こうしてまともに顔を合わせるのなんて合計しても数日ほどしかないのにどの口がそんなことを言えるのだろう。私が言葉を探して無言で瑠璃を見つめる最中においても彼はただ微笑んで私の言葉を待っているようだ。そんな風に、まるで敬うように接してこられることに慣れていないのでなんとなく気まずくなって視線を軽く上に逸らす。そして逃がした視線の先で違和感の正体に気付いた。


「瑠璃、その角」


 角だ。欠けていたはずの瑠璃の角が出会った当初のように綺麗に先端まで直っている。

 指摘を受けた瑠璃は確認するように自身の角に手を伸ばした。


「ああ、これかい?夜の間に直したんだ。僕としては君に角を捧げた証のようなものだったからそのままでも良かったんだけど、欠けたままだとあの馬鹿が喧しいから。それに妃芽の一ノ鬼として角が欠けたままというのは相応しくないしね」


 直した。その言葉の意味を寝惚けた頭で考える。

 まず、直せるなら何故今まで直さなかったのか。それこそ封印されている間に時間なんて幾らでもあっただろうに。封印されている間は術が使えないとか?それとも瑠璃に直す意思が無かったとか?はたまた直すための条件が揃わなかったとか?

 仮に直すのに条件が必要だとして、ならその条件とは?何が必要になるのか。準備?場所?日時?天候?体調?術?材料?それともそれ以外の何か?

 そういえば瑠璃は以前、紅玉の角があれば不足している力を補って余りあると言っていなかっただろうか。


 欠けた角、紅玉の角、補う。


 単語から連想される事態に寝惚けていた頭が一気に覚醒する。私はベッドから飛び降りて一階へと走り出した。瑠璃が私を呼び止める声が聞こえたが知ったこっちゃない。寝る前に縛りだ絆だ云々言っていた瑠璃が、喧嘩をしないでと散々言い含めておいたのに、そんな、まさか、昨日の今日でなんてことだ!私が瑠璃の封印を解いてしまったばかりに紅玉が!


「ん?今日は起きるのが早いではないか、我が主。おはよう」

「え?あ、おはよう…?」


 紅玉が。いつも通りリビングのソファーに座っていた。何事も無く振り返り、いつも通りに美しいご尊顔を綻ばせて朝の挨拶をしてくる。一応確認するが紅玉の角に欠けた部分は存在しない。時計を見間違えて跳び起きたのだと勘違いしている両親の茶化しに適当に返事をしながら呆然としていると、私を追ってやって来た瑠璃が静かに私の背後に立った。


「一応言っておくけど、その馬鹿の角を取らなくても直すことは出来るよ」

「そ、れを…早く言って」

「言うまでもないと思ったんだけどね。僕はあいつと喧嘩をするなと言われているから」

 

 少し困った様子で笑う瑠璃に言葉を失う。

 喧嘩をしないでとは確かに言ったけど正直瑠璃がそれを律儀に守ってくれるとは思って居なかった。一応は私の言うことを聞く気があるというアピールなのだろうか。

 何にせよ取り越し苦労で良かった。紅玉が無事だったという安心感もそうだが、瑠璃の私に従うという言葉がただの姿勢じゃなさそうだと分かったのは大きい。なんでも言うことを聞くというわけではないだろうけど、彼が突飛な行動や過激な対応をしないように多少の制限を掛けるくらいは出来そうだ。まあその制限も、結局のところ瑠璃の善意に縋るしかないのだけども。


 というか、角は力の塊みたいなことを言っていて気がするけど自然治癒出来るものなのだろうか。でも実際こうして直っているわけだし。さっき直す必要を感じていなかっただけみたいなことを言っていたし、直そうと思えば直せたけどそうしなかっただけなのかもしれない。

 

 どっと疲れた感覚を引きずりながら階段を上って部屋へと戻る。正直二度寝をしたい気持ちが七割くらいを占めているのだけど、私がそれをすると瑠璃が気軽に事実をもみ消しに行こうとするから二度寝は出来ない。消去法である。過半数の意見が通らないとはなんて反民主的なんだ。


「学校に行くなら僕も行こう。主の身辺警護も一ノ鬼の務めだ」


 部屋に戻り当然のように私の制服を持つ瑠璃を見て私は溜息を吐き出す。


「瑠璃、着替えは一人で出来るから部屋から出て行って」


 瑠璃の腕から制服を奪い取ると彼を部屋の外へと追い出した。

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