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意味が分からない。何で、どうして、と言う前にその場に体が崩れ落ちた。ドラマのやられ役のように綺麗な倒れ方ではなく無様に顔面から倒れ込む。受け身を取るとか、咄嗟に前に手をつくとか、頭を守るとか、そんな当たり前の動作すらままならなかった。
「避けろと言ったであろう、何を当たっておる」
視界の外側からそんな言葉が聞こえた。声からして多分恐らく間違いなく神様が言ったのだろう。信じられない。神様が私に掛けたであろうその声は心配や焦りなどの感情は一切感じられず、言われたことをしなかった相手を馬鹿にするような、そんな雰囲気さえあった。
ふざけるな、避けれる訳がないじゃないか。そんなことを言うくらいなら攻撃する前に目の前を確認しやがれ。反論はいくらでも頭の中に浮かんでくるのにそれらが口から出てくることは無かった。正直それどころではない。
うつ伏せになった体に生温く濡れた感触が伝わる。恐らく血溜まりでも出来ているんではなかろうか。生憎とそれを客観的に観察するだけの余裕は私に無い。
口の中に土の味が広がる。
泥臭さそのままのような味はジャリジャリとした砂だか土だかの食感も相まって大層な不快感を私にもたらした。美味いとかマズいとか、そんなレベルの話ではない。そもそも頭が口に入った土を食べ物として認識しようとしない。
その不快感から逃れるため上半身を起こそうと試みるも、途端に脇腹が熱くなり体を持ち上げようとしていた腕からがくんと力が抜ける。伴い、頬が地べたに叩きつけられる。が、それを遥かに超える痛みのためか不思議と頬に痛みは感じなかった。ただ、頬が地面に当たった感覚だけが伝わった。
その拍子に何かが急激に競り上がってきて、堪える間も無くそれを口から吐き出した。吐き出してから口の中に土の味に加えて生臭いような鉄の味が混じる。自分が吐血したのだと、理解したところで私にはどうしようもない。
馬鹿なことをした自覚くらいある。その証拠にただの紙切れになった札が目の前に落ちている。
正しいことをした。でも後悔はしている。未練なんてそれこそ腐るほどある。奥歯を噛み締め、爪が掌に食い込むほど強く拳を握り締めた。恐らく私は死ぬだろう。奇跡でも起きない限り助からない。自分の腕一本持ち上げられない状態で、どうやって、どうして、助かるというんだ。
「ふむ、辛そうだな」
そんな中、穏やかな声で話し掛けてくるコイツは目の付け所が可笑しいんじゃないだろうか。いや、可笑しいのは頭かもしれない。どう控えめに見ても辛いとかそんな次元じゃない状態なのに、一体全体どうしてそんなのんきな台詞が出てくるんだ。ひょっとして目の付け所云々の前に、そもそも目が付いていないんじゃないだろうか。なるほど、納得だ。節穴なのだ。コイツの眼孔に入っているキラキラと揺れる真っ赤な眼球はきっとガラス球に違いない。
「っ……れ、の…」
誰のせいだと思ってる。そう言うはずが凡そそうとは聞き取れない声が出た。
コイツの所為だ。そうだとも。誰が何と言おうと、私がこうして地べたに突っ伏しているのは大体コイツの所為だ。
私がこんな状態になった今も尚、コイツは楽しそうに笑っている。端麗な容姿でにいっと口元に綺麗な弧を描き、重傷者を目の前にして如何なものかと詰め寄りたくなるような美しい笑みを浮かべている。
理不尽だ。私が腹を掻っ捌かれてのたうっているというのに、なんで無傷のコイツに笑われながら見下ろされなければならないんだ。一体コイツは何様のつもりだ。ああ、そういえば神様扱いされていたんだったな。その所為か。
一体どうして、どこで何を間違えて、こんな奴と巡り会ってしまったのだろうか。
あの日、親と喧嘩なんてしなければ良かった。
神社に泊まろうなんて考えなければ良かった。
こんな奴、家に連れて来なければ良かった。
こんな奴、助けようと思わなければ良かった。
こんな奴と仲良くならなければ良かった。
青年の言うことに従っておけば良かった。
青年を封印なんてしなければ良かった。
こうすれば良かったなんて、どうしようもない後悔が思考を埋め尽くす。
ああすれば良かった。こうすれば良かった。そうすれば良かった。
どうすれば良かった?
どうすれば助かるのだろう。そもそも助かるのだろうか。助かるはずがない。助かる未来が一切見えない。
視界の端が黒く染まり始める。体の感覚がどんどん得体の知れないものに奪われていく。瞬きをすることが怖い。次に目を開けた時に自分の目は何も映さなくなっているのではないか。そのまま死んでしまうのではないか。こんな所で、家族にも知られずに、自分の腹を掻っ捌いた奴に見られながら。どんな業を背負ったらこんな最悪の死に方を強いられるのだろうか。
「案じるな」
は?と。声が出せる状態なら言っていたに違いない。
コイツは今、何と言った?案じるなと言わなかったか。誰のせいでこんなことになっていると思っている。それに関して私は誰が何と言おうとお前が悪いと結論を出したばかりなのだが。むしろお前は少しくらい私の身を案じるべきだ。それが言うに事欠いて案じるなだと、ふざけるのも大概にしろ。
声が出せない今せめて睨みつけてやろうと最後の力を振り絞って、こんなことに最後の力を使うのも大層癪ではあるのだが、神様の顔を見た。
「汝は助かる、儂が居るのだからな」
そう言って、やはり綺麗な顔に美しい余裕の笑みを浮かべた神様は扇子の先を私に突きつける。
この術を掛けられるのは三回目だが、『見る』のは初めてだった。初めて見たその術は絢爛な色調を主とした幾何学模様で、まるで万華鏡のように複雑にけれども規則的にその形を変えていく。
その術は美しい神様に似付かわしく、自分が死の淵に立っていることを忘れて見入ってしまうほど、今日この目を得てから見た術の中で一番美しかった。
それを最後に、私の視界は完全に黒に染まった。




