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青年は険しい顔をしたままキセルをくわえて一息吸い込み、それを溜息と共に吐き出す。吐き出された煙がただの喫煙によるものなのか、それとも術なのか、私には判別出来ない。それでも私は恐怖を表に出すことは出来なかった。もし私が少しでも引いたりしたら彼は容赦無く神様を殺すだろう。
「理解出来ない」
そう呟いて一度目を伏せて首を横に振った。
「今の戦いで僕の方があの鬼より優れていることは君にも分かったはずだ。何故あいつを庇う?僕が傍に居れば君が危険に遭わないように最善を尽くす、現状で地力は多少劣るかもしれないがそれを補うだけの技術は持ち合わせていると自負しているし、劣っている分だってあいつの角を取れば補って余りある。それでも足りないと君が感じるならばその分を埋める努力を惜しむつもりは無い。僕の方が優れているし、妃芽に相応しい。あんな奴生かしておく理由が無いじゃないか」
青年の言い分を聞いて今度は私が横に首を振る。
「優れているとか劣っているとか、そんなんじゃないよ。あなたに殺してほしくないし、神様に死んでほしくない。それじゃ駄目なの?」
駄目だ、と間髪を入れずに返事が返ってくる。
「附随してくる感情が何にせよその執着は君の弱点になる。弱点が多いことは妃芽の危険が多いということだ。僕は君を主とし、君の一ノ鬼になる者として危険を排除しなくてはならない。君の為にもあの鬼は殺す、理解してくれ」
「……その私が殺さないでって言ってるのに、言うことが聞けないのっ?」
「今の妃芽は情に流されて正しい分別が出来ていない。理不尽に聞こえるかもしれないけれど、僕は君自身に害となるようなことは誓ってしないから、どうか聞き分けてくれないか」
言っていることが滅茶苦茶だ。私からすれば正しい判断が出来ていないのは彼の方だと思う。私のために神様を殺す、でも殺さないで欲しいと言う私の願いは聞き入れない、その上嫌がっている私に神様を殺すことの理解を求めてくる。私を持ち上げ気遣うふりをしながらあくまでも自分の考えを貫こうとしている。彼自身の性格なのか、それとも鬼がそういうものなのか。ただ分かるのはここで私が一度でも縦に首を振れば彼は間違い無く、躊躇無く、神様を殺してしまうということだ。
「嫌だって言ったら?」
「…あまり言いたくはないけど、今の君では僕を止める力は無い。嫌だと言っても僕はあいつを殺すよ、それが君の為だから」
こんなに反抗的な私に対して悠長に説得していると思ったら、どうやら私が何をしたところで何も出来ないことが前提にあるらしい。私は彼の障害にすら成り得ないと言うことか。悔しいような情けないような気持ちの反面、そうして彼が油断しているからこそ出来ることがあることに少しだけ心強くなる。
私は彼を見据えたままポケットの中を探り、指先に乾いた紙の感触を確認する。
「ごめん、先に謝っておくね」
私の言葉の意図を探るように青年が難しい顔のまま小さく首を傾ける。
その一瞬の隙をつくように私はお札を取り出して彼の胸元に押しつけた。
「!」
青年が驚いたように目を見開き、その間にもお札からは模様のようなものが幾つも溢れ出しひしめき合い重なり合い、そして。
「妃芽、これは何のつもりだい?」
彼が口を開くと同時に、動いていたはずの模様が一斉に止まる。私の前に平然と立ったままの青年を見ればまだ封印は出来ていないはずなのに。状況が理解出来なくて青年を見れば呆れを含んだ彼の視線に気が付いた。
「なんでっ…!」
「術は正常に作動したよ、でも僕は不意を突けばと言っていたはずだ。余程気が弛まなければ術の素養が一切無い君がこれを使っても抵抗出来る。妃芽相手に警戒するのは心苦しくはあるけど、まだ名前を貰っていない以上は正式に主になったわけじゃないからね」
危険を感じてお札を貼った腕を咄嗟に引っ込めようとするがその前に彼に手首を掴まれた。
「妃芽は正直過ぎる。相手の目の前でポケットから札を取り出して、あまつさえ謝罪を口にして…これから何かしますよと説明しているようなものじゃないか。僕が相手だから良かったのものの、他の鬼なら札を出す前に君の首が飛びかねない。僕の主となるのだからもう少し狡猾になってくれ」
首が飛ぶ、と言うところで青年のキセルが私の首に軽く触れた。それだけで本当に首を切られたかのような恐怖が指先まで駆け巡る。
失敗した。どうしよう、殺される。私も神様も。どうにかして彼を封印しないと、どうにかしてってどうやって。術が止まっているだけならどうにかして動かせれば。どうやって。
「そんなに怯えた顔をしないでくれ、僕は気にしていないから。……いや気にしていない訳じゃないな。そう、傷ついた。大いに傷ついた。だから、」
言葉を区切り、彼の青い目が蕩けそうなほどに愉悦に歪んだ。
「慰めてくれないか、妃芽」
鼓膜にどろりと張り付くような甘い声音。
それに頷いてはいけないと本能が警鐘を鳴らす。
どうにかしないとどうなるか分からない。どうすればこの状況を切り抜けられる。
『生憎と、汝に名乗る名を持ち合わせておらぬでな』
『だからと言って何故呼び方を戻す!』
『君が僕に、名前を付けてくれないか』
『薄々気付いているかもしれないけど鬼にとって名前は特別な意味を持つから』
『名も賜っていないくせに主と呼ぶなんて図々しい』
『まだ名前を貰っていない以上は正式に主になったわけじゃないからね』
ヒントとしては十分過ぎるほど繰り返されてきた話題。だからこそこれで解決しなかった場合が怖かった。そうなってしまえば本当に打つ手無しだ。でももう私の頭ではこれくらいしか切り抜ける方法が思いつかない。
私の腕を掴んで離さない彼の腕を反対の手で掴む。無茶なことをしている自覚はある、馬鹿なことだと言う自覚もある。だけど後に引けば命は無い。
「お願い、大人しく封印されてっ!」
少し驚いた様子の青年の顔を真っ直ぐ見つめた。青く宝石のように綺麗な目。この色を示す言葉なら私は知っている。
「瑠璃!」
肺に吸い込んだ空気を全て吐き出すように彼の名前を呼ぶ。
青年はすぐに反応を示さずに、数秒遅れてから息を飲んだ。青い目が見開かれてそこに私が映っているのが見えた。
「妃芽、それは…」
彼が何かを言う前に止まっていた術が再び動き始める。けれども彼はそれにも気付かない様子で、まるで言葉を探すかのように口を開いては閉じてを何度も繰り返した。そうしている内に術の模様が動きを止め、彼の足元へと集まる。
「なっ…!!」
青年はようやく事態に気が付いたのか焦った様子で私の腕を離した。するとその直後に足元の影に彼の体が沈み始める。青年は咄嗟にキセルをくわえようとしたが口元に吸い口を寄せる前に彼の体は影の中へと飲まれていった。
彼の姿が完全に見えなくなって影の上にお札だけが残った。
静寂が辺りを包む。
終わった、助かった、そう感じるにはまだ心臓がうるさく鳴っている。体はまだ緊張を緩めてはくれないけれど、それでも頭では危機が去ったことを理解していた。
「このっ、卑怯者がぁ!!!」
神様の怒号が聞こえた。青年が封印されたから神様にかけられた術も解除されたのだろうか。青年が勝手に暴れていると言っていたし、今の声はそれなのだろう。何にせよ無事でよかった。もう彼は封印されて危険は無くなったと神様に伝えなくては。
そう考えて声のした方を振り返った私は、
「っ、何をしている!避けろ!!」
神様の放った術に腹を切り裂かれた。




