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手の鳴る方へ  作者: 黒丑テル
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 どうしよう、困った。大変困った。


 名前を考えていないと言い出す前に恐らく私では返しきれないほどのものを貰ってしまった。どうしよう、こんなことになるくらいなら開口一番に謝罪から入るべきだった。いや、そもそも昨日名前を頼まれた段階で断っておくべきだった。出来ないこととやったことの無いことは気軽に受けるべきではない、今後の人生において教訓にしなくては。まあ、それも今後の人生があったらの話だが。あると願いたい。少なくとも彼は名前を考えていないから殺すとかそんな暴力的な行動に出る人物には見えなかったが、神様にしても彼にしても鬼には鬼の価値観のようなものがあるようだし多分そこは人間の物差しで測っては駄目だろう。

 この問題の一番の解決策は彼の名前を考えること。そしてそれが難しい。世の中の親はこんな苦労とともに子供を育てているのだろうか。頭が上がらなくなってしまう。頭が上がらないついでにその親にあやかって父の名前を勝手に使ってしまおうか。しかしそれだと私が混乱するし、何よりその名前は父の顔が真っ先に思い浮かぶので彼の容姿とミスマッチ過ぎる気がしてならない。こういうよく分からないこだわりを持ってしまうから決まるものが尚更決まらなくなるのだろう。良くない傾向だ。


 そんなことを考えながら家に帰ると、と言うか家の前に着くと、私はその異様な光景に目を疑った。


「は?」


 目の前にはいつも通りの見慣れた我が家、をすっぽりと覆うガラス張りの温室のようなもの。なんだこれ。少なくとも今朝家を出る段階ではこんなものは存在しなかったはずだけど。

 不思議に思いながらそのガラスに手を伸ばすと指先はなんの抵抗も無くガラスを通り抜けた。驚いて一度指を引っ込めてから、もう一度触れようと手を伸ばすがはやり通り抜ける。


(ガラスじゃない…術?)


 術。いや、呪いだったか?出来ればその辺の呼び名は統一して欲しいものだが。

 青年は公園で待っているはずなので、これは神様のものか。はたまた全く別の鬼のものなのか。少しばかり頭をひねってみるが、考えたところで私には分かりっこないことである。


「ただいま」


 取りあえず家には入れるようなのでガラスのようなものを通り抜けて家に入ることにした。幸い、体に害は無さそうだ。なんて考えていると母のおかえりの声をかき消す勢いで麗しき神様が出迎えにやってくる。


「よくぞ帰った、とうとう今日愛子が東京に行ってな!元々そうなるのではないかと思っておったし、昨日の段階で愛子も決心自体はしておったのだ。しかし実はその折に愛子は徳三と売り言葉に買い言葉で言い争いになっておって、これはこのまま喧嘩別れになるのではと危惧しておったのだが…いや実際喧嘩別れに近い状況だったのだが最後の最後東京へ行く列車に乗る愛子を皆が見送る場面になっても徳三が姿を現さなくてな、しかし発車した後に愛子が窓の外に目をやると列車を先回りしていた徳三が声の限り愛子に激励を贈るという粋な計らいをだな!」


 めっちゃ語るな、コイツ。

 ちなみに徳三は愛子に結婚を申し込んでいた相手である。私の推測としては朝ドラの一クールに対する現在の話数の割合からして多分愛子には東京の方で新しい別の相手が出来ると思う。きっと徳三はこの先良くて当て馬、最悪の場合思い出要員として出番が無くなるに違いない。神様に教えることは出来るが、それは野暮というものだ。

 それはそれとして、だ。


「あの、その話は後で聞くので…ちょっと大切なお話が」

「む、何だ?これよりも重要な話などあるわけが…」


 そこで目が合った瞬間、神様の表情がすとんと抜け落ちた。その顔が無表情とも言い難くどことなく怒っているような印象を受けてしまい息を飲む。美人はこういう表情の無い表情までも様になってしまうものなのか。むしろ表情が無い分顔の作りの良さが際立って迫力が凄い。

 神様は無言のまま扇子を広げて一振り、それだけで周囲の空気がぶわりと動く。空気の動きが止まると周囲の音が遠くなり、私と神様を囲うように透明な箱のような何かが出来ていた。外のガラス温室とどことなく似ているしアレも恐らくは神様の仕業なのだろう。


「何だその目は」

「はい?」


 目が合っただけなのに突然難癖をつけられた。何故。別に睨んでいたわけでもないのに。そもそも目付きが悪いだなんて今まで誰からも言われたことが無いし、一週間生活を共にしてきて今更そこに怒る必要が果たしてあるのだろうか。


「私は元々こういう目でしたけど」

「嘘を言うな!絶対違う!儂が弄った時とまるで違うではないか!!」


 そこで遅れて神様の言葉の意味を理解する。神様が今言っているのは私の目つきの話ではなくて青年が施した上書きのことだ。


「あー…なんと言いますか、なりゆきで。この前言ったあなたのことを不遜なやつって言った鬼が術も見えるようにしてくれたんです」

「何だと、最近帰りが遅いと思えばそのようなっ…その鬼とはその場限りの関係ではなかったのか?!大体、目に不満があったのならば儂に直接言えば良い話ではないか!何故余所の鬼を頼る?!外でこそこそ逢いよって、この浮気者!!」


 浮気者って。最近学校に付いて来ないと思ってはいたが、さてはコイツ昼ドラにも手を出し始めたな。


「別に不満も不便も無かったんですが相手が勝手にしてくれたんですよ」

「はっ!こんな七面倒くさい真似を勝手にするわけ無かろう!何を見返りに求められたかは知らんがよせよせ、他者の呪いを勝手に変えるなんぞ変態技、そいつは絶対性格が悪いぞ。汝が苦労する様が目に浮かぶわ!」

「それ、あなたが言うんですか」

「しかもよりにもよって儂が呪いを施したところに重ねてくるなど、コケにしよって…どこのどいつだ、そんな不届き者は!」

「…お怒りのところ申し上げにくいのですが、その不届き者から呼び出しです」


 は?と神様が怒った勢いそのままに私を睨んでくる。思わず怯んでしまいそうになりながらもここで押し黙っては先に進まないので仕方なく口を開いた。


「実はその鬼からあなたを連れてくるように言われてます」


 すると神様が真面目な顔をしてじっと私を見つめてくる。なかなか彼女の真面目な顔なんて見れるものではないので同性でありながらもどきりと心臓が跳ねる。


「汝はなんとも無いのだな?」

「と、言いますと?」

「手荒に扱われたり、手傷を負わされたり、目の他に呪いで何かされたりはしておらぬな?」


 神様が私の心配してくれている。嘘、信じられない。


「えっと、何ともありません。ぴんぴんしてます」

「ならば良い。ふん、伝言役にしては随分と豪勢な真似をしてくれたものだ」


 神様がぱちんと扇子を閉じると私たちを囲っていた箱がふっと消えた。それに伴い遠くなっていた周りの音が戻ってきた。防音室みたいなものだったのだろうか。

 神様を見ると表情こそ笑みを浮かべているものの目が一切笑っていなかった。神様の目がもともと綺麗な赤い色をしているので怒りでギラギラとしていると正に燃えているという表現がぴったりである。


「儂のものに手を出すなど良い度胸だ。その鬼のもとに案内せよ、不躾な挑発をしてくれた礼をしに行かねばな」


 神様のものになった記憶は一度たりとも無いのだが今それを言うと怒りの矛先が私の方へと向きかねないので黙っておく。

 青年は会ってみたいとしか言っていなかったが、神様がこうして怒り心頭になることを予測していたのだろうか。それならば自業自得だと思うのだが、もし本当に顔を見てみたいだけだったら何も知らない青年に対してこの神様が出会い頭から喧嘩を吹っ掛けかねない。そもそも神様も神様だ、何をそんなに怒っているのだろうか。


 どうしよう、本当に困ったことになった。


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