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手の鳴る方へ  作者: 黒丑テル
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 そして翌日。さて、困った。


 朝起きて授業を上の空で受けながら下校時刻まで粘りに粘って考え続けたのだが、青年に合うようなこれぞという名前がとうとう思いつかなかった。何せ誰かの名前を付けるなんて経験が生まれてから一度も無いのだ、勝手がまるで分らない。ゲームのユーザー名だって机の上にたまたまあった麦茶をそのままつけてしまうような人間に他人の名前を考えろと言うのが土台無理な話である。

 取りあえずあの時の青年の真剣な様子からしてあまり適当に付けて良いものではないということは理解している。間違っても麦茶とか緑茶とかカフェオレなんて単語を名前にしてはならない。

 だが、それ以外の情報が何も無い。流行りとか画数とか気にした方が良いのだろうか。それとも縁起の良いものや歴史上の偉人にあやかった名前にするべきだろうか。意外や意外、横文字が良いなんて言い出したりはしないだろうか。全然分からない。せめてどういう名前が良いのかくらいは聞いておくべきだった。


 さてはて、そうこうしている内に青年がいるであろう公園が見えてくる。本格的に困った。まだどういう方向性の名前にするかすら決めていないのに。正直にまだ良い名前を思い付いていないと白状するべきか。それとも公園をスルーしてそのまま家に帰ってしまうべきか。いやいや、公園の前を通る時点で普通に見つかってしまうのがオチだ。


 いや、待て待て。別に公園の前を通っても見つかる心配は無いのではないか?


 朝は何となく気まずくて公園を避けて遠回りして学校に行ったのだが、よく思い出してみれば今まで彼は私が話しかけるまでこちらに気付く様子がまるで無かった。こちらに興味が無いのか愛想が悪いだけかと思っていたが、多分違う。青年が言っていた罠のせいなのだと思う。

 昨日の紙吹雪が宙に浮いていた範囲から推測すると罠が青年の視界の大部分を遮っていることになる。だから彼は私が声を掛けるまで本気で気付いていなかったに違いない。更に彼は罠のせいでベンチから大して動けないはずだ。つまり、私が公園の前を通ったところでベンチの付近から動けない彼は気付きようが無いのではないか。


「妃芽」


 などと楽観的に考えていた自分を殴り倒してしまいたい。


「あ、えっと…」


 声のした方向に視線を向け、当然のように青年がこちらへ近づいてくることに表情が引きつる。何故だ。見えていないんじゃなかったのか。そしてベンチから離れられないんじゃなかったのか。


「こ、こんにちは」

「こんにちはと言うには少し日が傾いている気がするけれど。…いつもより遅かったから何かあったんじゃないかと心配した」


 いつも、と彼は言うが私たちが話すようになってまだ三日である。


「その、罠に、捕まっていたんじゃ…」

「それは昨日……うん、まあ、どうにかなったんだ。それについては追い追い話すよ。心配してくれてありがとう」


 青年はそれはそれは嬉しそうに頬を緩めて見せる。心配どころか捕まった状態であることを期待していたなんて口が裂けても言えない。昨日の段階で彼が罠に掛かっていたとしても解除は順調だと言っていたのだから今日この状況になることくらい想定しておくべきだった。

 なんにせよ、見つかってしまったからにはもうスルーして家に帰るなんて不可能である。


「あの、名前のことなんだけど…」

「待って」


 観念して名前の件を白状しようとしたところで青年の人差し指が私の唇に触れる。びっくりして咄嗟に声が出なかった。


「昨日君と別れてから、名前を貰うにあたって僕に何が返せるか考えていたんだ。薄々気付いているかもしれないけど鬼にとって名前は特別な意味を持つから」


 違う。これは声が出ないんじゃない。声が出ないようにされている。咄嗟に後ずさろうとするがそこで体も動かないことに気付く。キセルは反対の手に持っていて口元に運んですらいないのに、一体いつの間に。キセルを使わなくても何か、術やまじないを使える?え、これヤバい状況なのでは?


「駄目だな、いろいろ段取りを考えては居たんだけど実際こうしてみると緊張してしまって…そう、まずは謝罪を。最初君に会ったときぞんざいな態度をとってしまって後悔していたんだ。言い訳に聞こえるだろうけど、あの時は罠の術者が来たのかと思って気が立っていてね。すまなかった」


 焦燥に駆られる私をよそに青年の表情は穏やかだった。いや、穏やかともまた違うのかもしれない。嬉しそうでありながらもどこか恥じらうようであり、それでいて恍惚としていて。角と同じ青い瞳が真っ直ぐに私の目を射抜く。


「名前を貰うのは初めてじゃないけど僕の方から強請るのは初めてだから、情けないんだけどどの程度で等価になるのか分からなくて…。ごめん、そもそも僕はお願いする立場だから等価じゃ駄目だね。でもいろいろ考えてはみたんだけど僕にはまだ君が喜びそうなことが分からないから、」


 そういうと彼は唇から指を離す。そしてその手をそのまま自分の頭に持っていくと。


「だから僕からはせめて、最上級の敬意を」


 青年は、自分の角を折った。


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