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車を降りた金城清は何とも言い難い緊張を抱えて目の前の一軒家を仰ぐ。一人暮らしするには広すぎるが、三世帯が住むとしたら少々手狭な物件。核家族向けの家だ。この家の住人の趣味なのだろうか、猫の額程度の庭にはプランターに観賞用の花と細々とした家庭菜園があった。カーポートは乗用車を一台停めるスペースだけがぽっかりと空いている。普段はここに車があって今は外出中なのだろう。否、外出中ではない。この車の持ち主は通勤に車を使っていて、そのまま別の場所に居を移したのだから。
表札に書かれている名前は『如月』。他でもない如月妃芽の生家である。
表札の脇にあるポストには昨日今日の分であろう新聞と手紙が雑に詰められていた。周辺の状況や気配を探ってはみたものの如月妃芽が放棄してからこの家に誰かが立ち入った形跡は無い。荒れているわけでもなければ特別綺麗でもない。術の痕跡さえなければ両隣の民家と同じ、何の変哲もない一軒家でしかなかった。
清はスーツのポケットから鍵を取り出しドアに差し込んだ。家主と赤の他人であるはずの金城清が持つ鍵は何の抵抗もなく鍵穴に収まり、すんなりと回る。そのことに対して清は驚きも感動もせずにさも当然のことであるかのようにドアノブに手を伸ばした。
玄関のドアを開けて最初に感じたのは人工的な花の匂い。少しだけ周りを見回すと靴が規則正しく入った下駄箱の上に芳香剤が置かれていた。玄関に出ているのは揃えられているものと雑に脱ぎ捨てられている、つっかけサンダルが二足。
清は土足で家に上がり万が一にも罠が仕掛けられていないか気を張り詰めて、しかし些細な手がかりも見落とさないように視野を広く保つ。
最初に入ったのはリビングダイニング。そこは良く言えば生活感があり、悪く言えば雑然とした印象だった。シンプルなソファーやダイニングテーブルに対して、華やかな印象を与えるクッションや壁を飾るタペストリー。レースカーテンは繊細な模様なのに厚手のカーテンは青と白の細かなストライプ。統一感の無い空間は一人の趣味ではなく複数人がそれぞれリビングに持ち込んで出来上がったものなのだろう。
キッチンに移動した清はガスの元栓を確認する。案の定、開けっ放しになっていた。清は如月妃芽の母親は娘が繧繝衆への亡命を画策していたことを知らなかったのだろうと推測する。それを裏付けるように炊飯器の保温時間は昨日の夕方を示していて、冷蔵庫の中には夕飯の下準備がされた食材が入っていた。洗濯乾燥機の中には乾燥が終わった洗濯物がそのまま放置されている。それらは日常の最中に突如として住人が消えてしまったような印象を受けた。
(これが偽装されたものだったとすれば大したものだ)
清はそう考えながら、そうであって欲しいと願う自分が居ることに気付いていた。この生活感が偽装されたものであれば如月妃芽はただの駒で、自分を土をつけたのは彼女の親である可能性が生まれるからだ。
一般家庭において学生身分の子供の一番近くに居るのは親兄弟だと聞く。だとすれば十数年寝食をともにしている親が如月妃芽の異常さに気付かないというのは不自然だ。自我がはっきりしてからなら兎も角、物心つかない幼少期に他と比べて明らかに挙動がおかしい子供に親が違和感を持たずに居られるものだろうか。
今回の騒動は如月妃芽の単独犯ではなく、両親が主犯であったと考えるほうが自然だ。どちらにしても金城家を出し抜くような人間が管轄内に居ることを見逃していた事実は変わらないが、如月妃芽という化け物が幻だったというだけで少し気持ちが軽くなる。
二階に上がり三部屋ある内の一番手前の部屋のドアを開ける。内装からして女性の部屋、教科書などの学習道具が見当たらないところから察するに母親の部屋だろう。それ以上の感想が持てず、特別気になる点が無かったので清はドアを閉め次のドアに手を掛けた。
次の部屋はドアを開けて真っ先に目に入ったデスクにスーツの上着が引っ掛けてあったので恐らく父親の部屋だと思われる。母親の部屋同様、術の痕跡すら見当たらない何の変哲も無い部屋だ。家探しをしに来たわけではないのでまたすぐに次の部屋に移ろうかとして、清の目がわずかな違和感を捉えた。
デスクの一番上の引き出し。他の引き出しは奥まで閉めてあるのにわずかに手前に出ているようだった。その引き出しを開けてみるが何かが引っ掛かっている様子も無くスムーズに開く。引き出しの中身は朱肉と既に閉じてある通帳だった。
恐らく現役の通帳と印鑑もここに入っていて今回の騒動の際に『慌てて』持ち出し、引き出しを閉めそこなったのだろう。
その意味を考える。これほど周到に計画されていたのに何故慌てる必要があったのか。何故通帳如きを持ち出す必要があるのだろうか。そもそも繧繝衆を味方にするつもりだったのなら金銭の心配をする必要など無いはず。なのにこれはまるで急いで貴重品を持ち出したかのようではないか。
繧繝衆が如月妃芽の両親を確保する際、父親の希望で一度家に貴重品を取りに戻ったというのは情報として聞いている。可笑しな話だ。仮に金が必要だとして、これだけのことをするにあたって何故予め口座を分けて別の場所に保管するなり代理人に金を預けておくなりしなかったのか。
そこで清は嫌な可能性に思い至る。
如月妃芽の両親は本当に何も知らなかったのではないか、全ては如月妃芽の独断だったのではないか、と。それは当初の予想の通り『如月妃芽は物心つく前から両親すら欺くような化け物だった』ということを示していた。
肌が一斉に粟立ち、それがゆっくり静まっていく感覚を味わいながら動かず数秒、清は徐に歩き出し残った最後の部屋に足を向けた。状況からして残る一部屋は如月妃芽の部屋になる。家に入った時以上の緊張が清を襲う。その緊張と向き合いながら冷静さを欠かないように意識して、周囲に注意を払いながらドアノブを握る。
ドアを開け、清は無意識の内に止めていた息を吐きだした。
嫌な予感が当たった。他の部屋と比べて明らかに術の残骸や痕跡が多い。
鬼の主は如月妃芽で間違いない。そして彼女こそ今回の騒動の首謀者だ。
金城は室内を見渡す。術の痕跡を除けばこの部屋は良くも悪くも年相応の少女の部屋といった感じだ。ベッドの上で起きたときのままであろう毛布、雑に一つの山にまとめられた寝間着、机の上の勉強道具。どこを切り取っても平凡な日常が感じ取れる、この部屋の主が繧繝衆への亡命を企てていたようには見えない。何も知らなければ今日の夕方にでも少女が何事もなかったかのように帰宅してきそうですらある。
「そうであったならどんなに良かったか」
口に出してから清は自嘲気味に口の端を上げる。
全部自分の勘違いであって欲しかった、など。敗北を喫しておきながらこの期に及んで何とも情けない話だ。下の者たちにはとても聞かせられない。
清は瞼を閉じ弱音に蓋をして気持ちを切り替えてから目を開ける。敵は明確になった。収穫としては十分だ。
「伯父上、もうよろしいのですか?」
如月妃芽の家を出たところで声を掛けてきたのは金城宗司だった。外で待機しているように命じた通りに清が出てくるまで待機していたらしい。
「ああ、確認したいことは終わった。碌な情報は得られないだろうが念の為に追加で調査を入れろ」
「承りました。…差支え無ければ、確認の詳細を聞かせていただけますか」
「如月妃芽の両親が関与しているかどうかだ。だが恐らく無関係だな。如月妃芽の単独犯の線が濃厚だ」
「両親は既に繧繝衆の手に渡ってしまいましたが他の親族ならまだ三区内に居るようです。身柄を抑えましょうか?」
「いや、如月妃芽が逃走時に連れて行かなかった時点で切り捨てられたようなものだ、人質としての効果は無いだろう。拘束せずに泳がせておき、必要に応じて接触を図れ。そこから向こうの情報が入れば御の字だ」
苦々しく呟きながら清は車の助手席に乗り込む。宗司が遅れて運転席に乗り込むと清が箱から煙草を出すところだった。
「先程連絡が入りましたが、繧繝衆から襲撃があったそうです」
話しながら宗司はライターを取り出し清の煙草に火を点ける。清が一息吸ったのを確認すると宗司は車のエンジンを掛ける。
「数は?」
「対応済が五、捕獲が一、追跡中が一。全て人間です。現在は他に討ち漏らしが居ないか捜索中だそうです」
煙を細く吐き出しながら清は宗司から聞いた情報を整理する。
繧繝衆が動いたにしては数があまりに少なすぎる。他に伏兵を潜ませている可能性が無いわけではないが、これから守護四役を相手取った戦いをするにあたって駒の動かし方があまりにも杜撰だ。繧繝が、更に言うなら如月妃芽がそんな行動を取らせるとは思えない。繧繝衆の中で金城家が嫌われているのは周知の事実なので、恐らく反金城家の過激派が先走ったのだろう。或いはそう思わせておいてこちらの裏をかこうとしている、ということも考えられる。普段であれば考え過ぎだと思うところだが、敵に如月妃芽が居る以上用心するに越したことはないだろう。
「そちらの処理は下の人間に一任しろ。繧繝衆がどう動くか私も予想出来ない、主力となる者は常に身軽に動けるようにしておけ」
運転をしている宗司から返事がない。いつもならばすぐに応える宗司が言い淀むのは何か言いにくいことを抱えているときの癖だ。
「宗司」
「……すみません。その、重延様側に被害が出ていまして」
言いにくそうに宗司が出した名前、金城家前当主、重延。それだけで何を言わんとしているか察した清は露骨に眉を寄せ苛立ちを誤魔化すように煙を吸う。
どうせ襲撃を受け怯えた重延が自分の周辺警護に戦力を当てようとしているのだろう。繧繝衆が敵対を表明し、いつ三区内が戦場となるかも分からない状況で前当主がたった一回の襲撃を受けた程度でなんとも情けない。
とは言え重延の派閥は古参の人間と権力にしがみついている人間が多いので、その影響力は無視できない。清でさえ表立って逆らうことが出来ないのだから他の人間では説得できないだろう。
「分かった、私が対応する。このまま一度戻れ」
立場も状況も理解せずに喚く老害の姿が今から目に浮かぶ。
身内で足の引っ張り合いをしている場合ではないというのに。




