第3話 終端の欠落
「――現地で再検証を行う」
監査官の声は、短く冷たい。
会議室の空気は乾いている。
白い壁。無駄のない机。音が沈む場所。
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「対象は残留体。前回は未処理」
凪の記録が、宙に投影される。
【対象:残留体】
【処理:未了】
その一行だけが、異物みたいに浮いている。
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「同行監査をつける」
視線が一つ、動く。
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「観測官・環。記録と検証を担当しろ」
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環は、軽く手を上げた。
「了解」
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凪は、何も言わない。
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「今回の目的は単純だ」
監査官が続ける。
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「終わらせろ」
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それだけ。
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◇
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転移点の向こうは、同じ場所だった。
崩れた建物。
音のない空間。
時間だけが、取り残されている。
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「……ほんとにいるんだ」
環が、小さく息を吐く。
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視線の先。
澪が、座っている。
前と同じ場所で。
前と同じ姿で。
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「おかえり」
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まるで、続きみたいに。
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環の眉が、わずかに動く。
「……意思保持、確認」
すぐに端末を操作する。
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「反応速度、正常域。形状安定。崩壊兆候なし……」
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言葉が、途中で止まる。
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「……ありえない」
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残留体は、本来“崩れる”。
時間とともに、形を失う。
それが“終わりきれなかったもの”の性質。
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だが、目の前のそれは。
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崩れていない。
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「……凪」
環が低く呼ぶ。
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「これは、例外じゃ済まない」
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分かっている。
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凪は、前に出る。
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「……対象確認」
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澪が、少しだけ首を傾げる。
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「また、その言い方」
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困ったように笑う。
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「やっぱり、まだ仕事なんだね」
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凪は、刃に手をかける。
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「今回で終わらせる」
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環が、わずかに息を呑む。
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澪は、静かに目を細める。
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「そっか」
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それだけ。
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逃げない。
拒まない。
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ただ、そこにある。
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「……ねえ」
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澪が言う。
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「終わるって、どういうこと?」
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環の指が、止まる。
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その問いは、記録にない。
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凪は、答えない。
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答えられない。
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代わりに、刃を抜く。
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「終わるとは、流れることだ」
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環が、代わりに言う。
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「この世界のすべては、循環している。終わりは停止じゃない。次への移行だ」
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澪は、静かに聞く。
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「じゃあ」
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少しだけ、視線を落として。
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「わたしは、どこにも行ってないね」
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沈黙。
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正しい。
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だからこそ、異常。
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「……処理する」
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凪が、一歩踏み出す。
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環の視線が、鋭くなる。
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「やれるのか?」
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凪は答えない。
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ただ、振り下ろす。
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刃が、澪を貫く。
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確かな手応え。
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だが。
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何も起きない。
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血は流れない。
崩れもしない。
消えもしない。
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ただ、
そこにある。
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「……なに、これ」
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環の声が、わずかに震える。
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ありえない。
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終端処理が、成立していない。
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凪の目が、細くなる。
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理解する。
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“終わり”が、存在しない。
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なら。
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「……削る」
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凪が、低く呟く。
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刃が、わずかに震える。
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空気が歪む。
流れが、噛み合わなくなる。
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「凪、待て――」
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環の制止。
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だが、止まらない。
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「――終端、除去」
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振るう。
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その瞬間。
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世界のどこかが、欠ける。
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澪の姿が、わずかに“ずれる”。
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存在している。
だが、終わらない。
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「……っ、今、何をした!」
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環が叫ぶ。
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凪は、刃を下ろしたまま答える。
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「終わりを、削った」
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静かな声。
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澪が、目を開ける。
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少しだけ、不思議そうに。
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「……変だね」
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自分の手を見る。
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「終わらないのに、終わらない」
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言葉が、重なる。
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環は、凪を睨む。
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「それは“処理”じゃない」
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低く、言い切る。
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「それは――」
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一瞬、言葉を探して。
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「……流れの破壊だ」
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沈黙。
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凪は、否定しない。
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できない。
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「……でも」
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小さく言う。
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「消えない」
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それが、すべてだった。
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環は、目を伏せる。
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理解する。
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これは、
戻れない領域だと。
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◇
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帰還後、記録は更新された。
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【対象:残留体】
【状態:終端欠落】
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その下に、もう一行。
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【執行官:凪】
【分類:例外指定】
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世界は、まだ流れている。
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だが。
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その一部は、確かに欠けていた。




