第八章 ヨーコの秘密と、駿の鈍さ
「アマテラス」に戻って三日後の夜。
甚之助は珍しく早々に作業を切り上げて自室に帰り、作業室には駿とヨーコの二人が残った。
駿は宇宙地図を眺めながら、次の脅威の予測を立てていた。ヨーコはタブレットでコードを書いている——が、どうも集中できていない様子だ。
何度も同じ行を消しては書き直している。
「集中できてないな」と駿は言った。
「……うるさい」
「何か気になることがあるのか?」
「別に」
しばらく沈黙。
「ヨーコ」
「なに」
「幼稚園のとき、俺がいつもお前のことをいじめてたの、覚えてるか?」
ヨーコの指が止まった。
「……なんで急にそんな話」
「砂をかけて、「宇宙人め」って言ってたことがある」
「覚えてる。最悪だった」
「今でも悪いことしたと思ってる。でも当時の俺は、なんで砂をかけたのか——ヒーロー漫画で女の子に意地悪する男の子が、実は女の子のことが好きっていう話があって、俺それをやろうとしたんだ」
ヨーコがタブレットを置いた。こちらを向いた。
「知ってる」
「知ってたのか」
「当然。砂をかける直前に、まりちゃんに『駿くんって陽子ちゃんのこと好きなんじゃない?』って言ってたでしょ。そのまりちゃんから聞いた」
「……バレバレだったな」
「最悪の方法だったけど」
「すまない」
ヨーコは少し笑った。
「もう気にしてない。でもそれから駿が私のそばにいるようになって——幼稚園から小学校、中学、高校、大学——ずっと一緒にいる。変な縁だよね」
「変じゃない。必然だと思ってる」
「必然?」
「俺たちは向いてる。チームとして」
「チームとして、ね」
どこか寂しそうな笑いだった。
駿はそれを見て、少し黙った。
何かを言いかけて——言わなかった。
ヨーコがため息をついた。
「駿、一つだけ聞いていい?」
「なんだ」
「私のことを、どう思ってる?」
静かな問いだった。
「どう、とは?」
「友達として、幼なじみとして——それ以上?以下?」
駿は素直に答えた。
「俺が人に感じる感情の仕分けは、正直得意じゃない。でも、ヨーコのことが好きなのは確かだ」
「……好き、というのは」
「友達として? それとも別の意味で?」
「自分で判断してよ」とヨーコは少しだけ声を荒げた。「私が聞いてるんだから、ちゃんと答えてよ」
駿は少し考えた。
「……正直に言うと、ヨーコのことを特別だと思ってる。他の誰とも違う。甚之助は大切な仲間だけど、ヨーコとは違う感じだ。でも——それが恋愛なのかどうかは、俺には判断が難しい。漫画の恋愛と、俺の感情がどれだけ一致してるか、比べたことがない」
「漫画で比べないでよ」
「そうだな、確かに」
長い沈黙。
ヨーコは眼鏡を外した。それは、感情が揺れているときのサインだ。
「私ね、駿のことが好き」と彼女は言った。眼鏡なしの素の顔で。「ずっと前から。幼稚園のころから」
「砂をかけられたのにか?」
「だから最悪って言ってるじゃない」
また沈黙。
今度は、少し違う種類の沈黙だった。
「……俺は」と駿はゆっくり言った。「もう少し、自分の気持ちを整理したい。ヨーコを曖昧な状態にしておきたくない。だから——時間をくれるか?」
「どれくらい」
「わからない。でも、うやむやにしたくない。ちゃんと答えを出す」
ヨーコは眼鏡をかけ直した。
「……わかった」
「それまでの間、今まで通りでいてくれるか?」
「今まで通り」とヨーコは繰り返した。「……まあ、今まで通りしかできないけどね」
「ありがとう」
「感謝されても」とヨーコは呟いた。「困るだけだよ」
二人はしばらく、静かに並んで座っていた。
どちらも何も言わない。でもそれは、悪い沈黙じゃなかった。




