第二章 東大本校潜入作戦
東京の夜は、いつも静かとは言えない。
二〇二六年の東京は、かつての姿から大きく変貌していた。空を埋め尽くすように浮かぶ輸送ドローンの群れ、高架の上を走る磁気浮上式モノレール、そして市街地の上空に漂う軌道エレベーターの巨大な構造物——地球と宇宙を繋ぐその柱は、東京湾の埋め立て地から垂直に伸び、雲を突き抜けてはるか宇宙へと連なっている。
「ガルダ号」はその軌道エレベーターの陰に身を隠すように低空飛行しながら、東京大学本校のキャンパスに近づいた。
「EDF(地球防衛軍)のレーダー、反応なし」とヨーコがコックピットから報告する。「ステルス完璧」
「地上の警備は?」と駿。
「外周に五人。中に三人。普段より多い。ガラン族の接近を察知して、警戒を強めてるみたい」
「それだけか?」
「後は……AIカメラが三十二台、赤外線センサーが十八基、それと——あ、新しいのが入ってる。量子振動検知器。これは手強いな」
「量子振動検知器?」と甚之助が眉をあげた。「EDF(地球防衛軍)のやつか。あれに引っかかると……」
「音も出さず、熱も出さず、でも人間が歩くときの振動は消せない、ってやつだ。厄介だな」
しかし駿は笑った。
「甚之助が作った磁気浮遊ブーツを持ってきた。地面から五センチ浮いて移動できる。振動はゼロだ」
「……なんで俺の発明品を全部持ってくんだ、お前は」
「使うためだろ」
「ガルダ号」はキャンパスから三百メートル離れた公園に静かに着陸した。ステルス機能が作動しているため、地面に降りてもその姿はない。
「行くぞ」
三人は強化スーツに身を包んでキャンパスへ向かった。黒い全身スーツは夜の闇に溶け込む。フェイスシールドのスキャナーが周囲の状況をリアルタイムで解析する。
「AIカメラ、右前方三十メートル。定期的に視野が切り替わる。次の切り替えは十二秒後」とヨーコが言う。彼女はリアルタイムでキャンパスの監視システムにアクセスし、三人を安全なルートへ誘導している。
「赤外線センサー、今から七秒オフラインにする。急いで」
「了解」
三人は素早く移動し、センサーの死角を抜けた。
甚之助の磁気浮遊ブーツは床から少し浮いた状態で移動できる。振動検知器には全く反応しない。三人は音もなく、影のように地下入口へと向かった。
「ここだ」
古びた金属製の扉。かつての防空壕の入口だ。見た目は錆びて使われていないように見えるが——
「電子錠だ」とヨーコが言い、前腕部のパネルを展開した。甚之助が追加したハッキングモジュールが起動する。「七秒で解除する」
四秒で開いた。
「七秒って言ったのに」と甚之助が苦笑いした。
「余裕を見積もっただけ」
地下通路は暗く、湿った空気が漂っていた。ヨーコがタブレットに地下の構造を表示する。
「量子コアは、地下二階の特別保管室にある。通常の保管庫とは別になってる。EDF(地球防衛軍)が独自に設置した施設だから、大学の警備とは別系統で守られてる」
「中はどんな構造だ?」
「入口に生体認証ゲート。中に入ると無重力ゾーン、その奥にコアが浮かんでる。周囲には電磁バリアが張ってある」
「電磁バリアは俺が対応する」と甚之助が言った。肩から背負ったバッグを軽く叩く音がした。「電磁シールドブレイカーを持ってきた。試作品だが、たぶん動く」
「たぶん?」
「七十五パーセントの確率で動く」
「七十五パーセント……」とヨーコは不安そうに言った。
「大丈夫だ」と駿は言った。「甚之助が七十五パーセントと言ったら、実際は九十パーセントくらいある」
「……まあな」と甚之助は素直に認めた。
通路を進む。古い煉瓦の壁が続く。ところどころに現代的な配管や電線が追加されており、歴史と技術の混在を感じる。
「待って」とヨーコが突然立ち止まった。「何かが……」
「どうした?」
「ガラン族の信号が——ここから発信されてる」
「地下から?」
ヨーコが表情を険しくした。
「……彼らは既に潜入してる。先回りされた」
一瞬の沈黙。
「どこだ」と駿は静かに言った。
「コアの保管室に向かってる。今から四分で到達する計算」
「なら俺たちが先に着く。走るぞ」
◆
強化スーツのブースターが起動した。
三人は一気に速度を上げた。駿が先頭を走る。彼の速度は、強化スーツの補助を受けると時速百キロに迫る。地下通路の曲がり角を体を傾けながら抜け、階段を一気に駆け下りた。
地下二階。
保管室の入口が見えた——そしてそこに、すでに三体の影が群がっていた。
ガラン族だ。
身長二メートルを超える甲殻類型の生命体。全身を覆う青みがかった外骨格は、驚くほど頑丈だ。頭部には複数の複眼が並び、四本の腕のうち二本は人間の腕に相当し、残りの二本は鋏状の構造になっている。
彼らは入口の電子錠をこじ開けようとしていた。
「止まれ」
駿の声が地下通路に響いた。
ガラン族の複眼が一斉にこちらを向く。
次の瞬間、三体が同時に飛びかかってきた。
「甚之助!」
「わかってる!」
甚之助は持参した電磁パルスグレネードを素早く投げた。爆発音とともに、ガラン族の三体が青白い光に包まれた。彼らの外骨格の間に流れている電磁信号が乱れ、動きが一瞬止まる。
しかし一瞬だけだ。ガラン族は電磁波への耐性が高い。
「俺がやる」
駿が前に出た。
彼の強化スーツには、独自の近接戦闘補助システムが搭載されている。スーツのAIが敵の動きをリアルタイムで解析し、最適な回避経路と攻撃タイミングを示す。
しかし駿は、AIの指示よりも先に動いていた。
まるで未来が見えているかのような動き。
一体目のガラン族の鋏が振り下ろされる刹那、駿は半歩だけ左にずれた。鋏が空振りする。そのまま駿は相手の腕を掴み、利用してくるりと回転させながら、壁に叩きつけた。コンクリートにひびが入る。
二体目が横から迫る。甚之助がタックルした。百二十キロの巨漢が正面から体当たりすると、いくら外骨格が硬くても衝撃は内部に伝わる。ガラン族は吹き飛んだ。
三体目が照準を合わせた。エネルギー兵器だ——
「ヨーコ!」
「もう終わった」
ヨーコは既に動いていた。前腕のハッキングモジュールから細い光ビームが発射され、ガラン族の兵器の回路に割り込む。エネルギー兵器の制御系をオーバーライドし、出力をゼロにする。
三体目は空になった銃を困惑したように見つめ——その間に甚之助の大きな手が首根っこをつかんだ。
「寝てろ」
甚之助が特殊なスタン装置を首に当てると、ガラン族は力を失って崩れ落ちた。
「三十秒で三体か」と駿は言った。「記録更新だな」
「自慢してる場合じゃない」とヨーコが急かす。「保管室を開けて」
甚之助が電磁シールドブレイカーを取り出した。入口の電磁バリアに向けて起動すると——
少しの間があって、バリアが消えた。
「動いた」
「七十五パーセントだったのに」とヨーコは呟いた。
「九十パーセントって言ったろ」と甚之助はにやりとした。
◆
保管室の内部は、静謐な青白い光に満たされていた。
無重力ゾーンの中心に、拳大の水晶体が浮かんでいる。表面が複雑に輝き、内部では複数の量子状態が同時に存在している——それが量子コアだ。現在の地球科学が生み出した最先端の結晶体で、この一個に宇宙船十万隻分の航行データを圧縮して記録することができる。
「こいつを守ればいいわけだ」と甚之助が言った。
「守るだけじゃ足りない」と駿は答えた。「ガラン族がここまで来られたということは、場所が特定されてる。今夜さらに増援が来る可能性がある。コアを移動させなきゃいけない」
「どこへ?」
「ガルダ号の中」
「宇宙に持っていくのか?」
「EDFに引き渡す前のついでだ。七十二時間、俺たちが安全に保管する」
「そんなことして大丈夫?」とヨーコは眉をあげた。「EDF(地球防衛軍)に怒られない?」
「怒られるかもしれない。でもここに置いておけば確実に奪われる。二択だ」
三人は顔を見合わせた。
「……持って帰ろう」とヨーコは言った。
駿が無重力ゾーンに踏み込んだ。体が自然と浮く。量子コアに手を伸ばし、慎重につかんだ。コアが手の中で淡く輝く。
「よし、脱出する」
しかしその時、通路の向こうから複数の足音が聞こえてきた。
「増援だ」とヨーコが即座に言った。「七体。全員武装してる」
「多いな」と甚之助は呟いた。しかし表情は落ち着いていた。「来るなら来い」
「いや」と駿は言った。「戦いながら逃げる」
「どうやって?」
駿はポケットから小型のデバイスを取り出した。
「煙幕と閃光。これで視界を塞いで走る。甚之助、後衛を頼む。ヨーコ、ガルダ号のエンジンを遠隔起動しておいてくれ」
「もうした」
「やっぱりお前は仕事が早い」
「当然」
駿が煙幕グレネードを通路に向けて投げた。白煙が爆発的に広がり、地下通路を白く染める。閃光弾が続いて炸裂し、激しい光がガラン族の複眼を直撃した。複眼は光に敏感だ——彼らは悲鳴のような音を上げて動きを止めた。
「走れ!」
三人は一気に通路を駆け抜けた。ガラン族が視界を回復する前に、地上出口へ——
しかし出口の手前で、壁から腕が突き出てきた。
「うおっ!」
駿がかろうじて躱す。壁の陰に潜んでいたガラン族の一体が、突然姿を現した。
「伏兵か!」
ガラン族は鋏を振り上げた。それが駿の強化スーツのショルダーアーマーに当たり、金属を引き裂く音がした。
「駿!」とヨーコが叫ぶ。
「大丈夫だ!」
駿は痛みを無視してガラン族の懐に飛び込んだ。密着すれば鋏は使えない。両腕でガラン族の胴を抱え込み——持ち上げた。
百キロはあろうかという外骨格の生命体を、素手で持ち上げる。
これが駿の身体能力だ。
「甚之助!」
「おう!」
甚之助が走り込んできて、駿が持ち上げたガラン族に向かって渾身のパンチを叩き込んだ。甚之助の拳打は、強化スーツの補助もあって戦車の砲弾に匹敵する衝撃を生み出す。
ガラン族は壁を突き破って向こう側に消えた。
「行くぞ」
三人は地上に出た。公園へ向かって走る。
「ガルダ号、位置は?」とヨーコがタブレットを操作する。
「公園の中央。ランディングギア展開済み。いつでも離陸できる」
「よし、乗れ!」
ガルダ号のハッチが開き、三人が飛び込む。ハッチが閉まった瞬間に甚之助が叫んだ。
「上昇全開!」
重力波推進エンジンが轟音とともに起動し、ガルダ号は一気に空へと駆け上がった。
地上から見れば、何もない空から突然轟音が聞こえて空気が揺れただけだ。ステルス機能は完璧に機能している。
コックピットの窓から、東京の夜景が小さくなっていく。
「脱出完了」とヨーコが静かに言った。
「量子コアは?」と甚之助。
駿は手を開いた。コアが無事に輝いている。
「ある」
「ガラン族の船は?」とヨーコ。
スキャナーが宇宙空間を探索する。
「まだ来ていない。あと三十時間ほどで地球軌道に到達する予測」
「その前に手を打たないといけないな」
「ああ」と駿はうなずいた。「次の作戦を考える」
コックピットの中で、三人は静かに考え込んだ。




