19 誰かのために
フローズはその後も相変わらず、みんなの前では『氷の女王』であり続けた。
ヘルロウに対しても、いくら声を掛けられても無視を貫いていた。
しかし、彼女の日常にたったひとつだけ、変化が訪れた。
ヘルロウがごくたまにであるが、体調不良にかこつけて、フローズに付き添いを頼むようになったのだ。
ふたりで、保健室でサボる……。
それは、フローズにとっての非日常の合図。
その時だけは、彼女はいつもと違う一面を見せた。
氷像のような表情が、ヘルロウの前でだけ……。
ぎこちないながらも、笑ったり、ふくれっ面をしたりするようになったのだ。
少女のなかに生まれた、いくつもの『感情』。
そして、ひとつの小さな秘密と、ひとつの密やかな楽しみ……。
それが、風船のように膨れ上がるのに、そう時間はかからなかった。
ヘルロウとベッドを並べて、いっしょに昼寝したり……。
ときにはおしゃべりしたりすることが、なによりも楽しみとなった。
ヘルロウとのひと時は、もはや少女にとってはかけがえのないものとなる。
ヘルロウと話していると、カラッポになった心が満たされ、家でもクラスでもふたたびがんばれる気がするのだ。
そして、自分がいかに無知で、未熟な人間であるかを思い知らされた。
「フローズ、お前は女性初の軍師になろうとしているのか?」
「ううん。うちは男尊女卑の家系だから、父も祖父も許してくれないと思う。それに私自信、戦争なんかに興味ないし……」
「だったらなんでそんなに勉強してるんだ? なにか、なりたいものでもあるのか?」
そう問われて、フローズは言葉に詰まってしまった。
なぜならば彼女にとっての『勉強』とは、なにかの目的を達成するためのものではなく……。
ただ単に、親に言われたからやっているだけのものだったからだ。
「……そういうヘルロウ君は、なんで『クラフト』をしているの?」
「俺か? そりゃ、みんなを幸せにするために決まってるだろ」
そしてヘルロウが語った内容は、彼が地獄に堕ちてもなお、抱き続けてきたもの。
この世界に当たり前のように存在する、『神による不平等』をなくすため。
「天技や魔法は、神に気に入られた者にしか与えられない。その者が持つ能力にかかわらず、神に媚びへつらう者だけが強い力を与えられるんだ。逆に神から見放された者は、学校にも入れない。ロクな教育を受けられないから、差は開く一方なんだ。そんなの、おかしいと思わないか?」
「でもそれは、当たり前のことじゃないの? 天使や人間は、元はといえば神がお創りになられたものなのだから」
「いくら親だからって、自分の子供を自由にしていいわけじゃないだろう。子供には子供の人生があるんだ。それを遊び半分で好き勝手にしていい道理なんて、俺はないと思ってる。しかも親はその異常さをひた隠しにして、自分が幸せになるための道具みたいに子供を扱ってるんだ」
フローズはぴしゃりと頬を打たれたような思いだった。
今の自分がまさに、親に盲従している子供だったからだ。
「しかしクラフトは違う。神の気分ひとつで貰えたり貰えなかったりするものじゃない。創り方さえ知っていれば、誰もが等しくその力を得ることができるんだ。いままでは魔法でしかなし得なかったことも、クラフトならば可能なんだ。俺は魔法を使えない人間たちに、クラフトという力を与えてやりたいんだ」
「クラフトという力を、人間に……」
それからというもの、フローズはよりいっそう勉強に励むようになる。
しかしその動機は、大きく変わっていた。
『親のため』ではなく、『自分のため』に。
そして明確な『誰か』のために……!
「ヘルロウ君、私、決めた! 人間のために勉強するって! 地上には、学校にも行けない人間が多くいるってヘルロウ君が教えてくれたでしょう? だから私、『学問の神様』になる! 『学問の神様』になって、地上にいっぱい学校をつくる! みんなの頭が良くなれば、ヘルロウ君のクラフトも、もっともっと地上に広まると思うの!」
ようは、ヘルロウ夢の手伝いこそが、少女にとっての新たなる生きる目標となった。
……それは、少女にとっては、生まれて初めての……。
そして少女にとっては精一杯の、『告白』であった。
しかしヘルロウからのリアクションは、「そうか、がんばれよ!」だけであった。
……まあ、彼の地獄でのメス鬼たちに対する接し方を見ていたら、なんの不思議もないだろう。
こんな、オブラートともいえぬオブラートに包んだ告白ですら、ヘルロウにとってはプラスチックカプセルに包まれた薬物同然。
口の中で溶けるどころか胃の中でも溶けず、飲み込んだ時とかわらぬ形状で出てくるのがオチである。
少女のファースト・アタックは……。
無残にも、排泄されてしまった。
それから、蜜月の日々も終わりを告げる。
フローズはフラれたと思い、ヘルロウの保健室の付き添いを断るようになってしまったのだ。
しかしフローズの失恋の痛手は、すぐにおさまった。
そして以前のように、ふたりして保健室でサボりたいと思っていたのだが……。
気まずくて、自分からは言い出せなかった。
授業中、なんど手を挙げようと思ったことか。
そして先生に向かって、「ヘルロウ君が具合悪いみたいなので、保健室につれて行きます」と、なんど言おうとしたことか。
そして驚くヘルロウの手を取って、ふたりで教室を出て……。
ふたりで走りだそうと、なんど思ったことか……!
しかし……。
それよりも早く、あの日が、やって来た。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
フローズは、溶けかけた雪像のように俯いていた。
朝日を浴びたツララのように、雫をポタポタと床に垂らしながら。
天使のいなくなった、教室のなかで。
「みんな……。みんな、わかってない……。わかってないんだ……! 今までこのクラスの『美観』は……。ううん、このクラスは……。ヘルロウ君がいたからこそ、どのクラスよりもひとつになっていたのに……!」
ヘルロウ君がみんなを気にしていたから、みんなは美しくいることができたのに……!
私はヘルロウ君がいたからこそ、みんなの前で、美しくあることができたのに……!
ヘルロウ君がいたから、バラバラな私たちが繋ぎ止められていたのに……!
それなのにっ、それなのにっ……!
私たちは……!
ヘルロウ君を、堕天させてしまった……!




