17 崩壊の予兆
クラスに『美観による不協和音』をもたらしているのは、ヘルロウを堕天させてしまったせいに他ならなかった。
しかしクラスメイトたちは、誰ひとりとして気付かない。
むしろあの悪魔がいなくなったことで、このクラスはより良いものになっていくと、誰もが信じて疑わなかった。
とはいえ『美観』だけに限定するのであれば、ヘルロウがいなくなったところで、『平均レベル』になるだけである。
天使としては合格点なので、何ら問題にはならないはずであった。
ようは高望みさえしなければ、クラスは平和なままだったのだ。
しかし、ヘルロウが陰の立役者であったことに気付かない者たちは、勘違いしていた。
『美観』をひとりで損ねていたヘルロウがいなくなったのに、なぜ『美観』の成績がさらに上がらないのか……!?
と……!
するとその矛先は自然と、悪目立ちしてしまったフレイルに向けられる。
あの美の天使がしっかりしないから、ダメなんだと……!
委員長は、戦犯を見据えるような目で言った。
「もしこれ以上、このクラスの『美観』が損なわれるようであれば、フレイルさんへの処分も考えなくてはなりませんね」
そして、まるで副審問官に引き継ぐように、
「オーベルジーヌ先生。私は『集会』で、しばらくのあいだ学校を欠席します。その間にクラスのほうをよろしくお願いいたします」
それは暗に、自分がいない間に『美観』を元通りにしろ、という命令のように響く。
相手は生徒のはずなのに、教師であるオーベルジーヌはピシッと姿勢を正した。
「わかったザマス! このオーベルジーヌにお任せあれザマス!」
回れ右をした女教師は、問題児に向かってビシッと指を突きつける。
「フレイルさん! これ以上『美観』損ねるようなことがあったら、失点を与えるザマス! 『美観』で失点を受けたとあっては、『美の天使』のあなたはいい笑い者ザマス!? そうなりたくなければ、もっと気合いを入れるザマス! フローズさんを見るザマス! アテクシのように、変わらぬ美しさをいつまでも保っているザマス!」
オーベルジーヌや周囲から、さらなるプレッシャーをかけられ、フレイルは焦りはじめる。
『美観』で失点を受けてしまっては、彼女の目指すモデル天使の道においても、大きな障害となってしまうからだ。
ついに彼女は、最後の手段に出た。
朝のホームルームのあとに、取り巻きのギャルたちを集めると、ハサミを片手にこう言ってのけたのだ。
「はーい、ちゅうもーく。これからあーしにトンチンカンなことを言ったヒト……つまり、あーしが髪を切ってもいないのに切ったとか言ったり、ホコリもないのにホコリがあるとか言ったら、罰ゲームとして髪を切りまーっす」
「そ、そんな……! 髪を切るだなんて、あんまりだよ、フレイル!」
「そーお? だってあーしが髪の毛切ったのがわかんないんだったら、自分の髪の毛を切られてもわかんないよね? わかんないんだったら、別に切ってもいいじゃん」
むちゃくちゃな理屈であったが、逆らえる者はいなかった。
「あ、いちおー言っとくけど、あーしが髪を切ったのに気付かなかった場合は、気付かなかったヒト全員が罰ゲームだかんね? そこんとこ、ヨロシクぅ~」
額に向かってハサミをチョキチョキと動かして、脅かすフレイル。
取り巻きたちは「ひっ……!」と青ざめ、思わず抱き合っていた。
しかしそんなスパルタを用いたところで、わからなかったものがわかるようになるはずもない。
放課後にはさっそく、ハサミの餌食が出てしまった。
「はーい、ハズレでーっす。あーしのフォロワーなんだったら、もっとあーしのことを見てなくちゃダメじゃん」
「あーしが2ミリ切ったのに気付かなかったんだから、アンタは2センチね。あーしの髪はアンタの10倍の価値があるんだから、当然じゃん?」
「あーあ、ばっさりいっちゃったねぇ~。前髪ぱっつんなんて、ガリ勉女みたい。でもアンタはバカだから、あっちのグループには入れませぇ~ん」
なかには泣き出す子もいたのだが、フレイルは容赦しなかった。
むしろ、自分の苦しみを彼女たちが背負わないのはおかしいとばかりに、ケタケタと笑いながらハサミを入れた。
そして取り巻きたちは、髪を切られすぎたせいで、生まれ変わっていた。
超ベリーショートの、ギャル集団に……!
クラスの女子の半数近くが、今にも出家寸前の髪型となってしまった。
そんな少女たちが、暗い顔で机を並べている光景は、あまりにも異様。
当然のように、さらに『美観』を損ねることに……!
現在、委員長はとある『集会』で不在。
委員長から留守を任されていたオーベルジーヌは、さらなる悪化に怒り狂った。
「んまあっ!? いったい何なんざますかっ!? 髪は女の命だというのに、その命を冒涜するようなマネをして……!? このクラスの『美観』が下がってからというもの、アテクシの評価にも影響しはじめているザマス! いったい何を考えて、そんな短すぎる髪型にしてしまったザマスかっ!?」
しかし取り巻きたちは、いくら問い詰められても白状しなかった。
なぜならば、フレイルの報復が怖かったからである。
その態度が、オーベルジーヌをさらに苛立たせた。
「ムキーーーーッ!! わざわざ美を冒涜するようなマネをすすんでするとは、『美魔天使コンテスト』グランプリのアテクシに対する挑戦ザマス! あっ、わかったザマス! 次回のコンテストに備えて、評価を落とすように他の美魔天使から頼まれたザマスねっ!? そういう考えなら、こっちにも考えがあるザマス! あなたたち全員、失点! 失点ザマスっ!!」
担任教師までこんな有様となっては、もはやクラスは空中分解。
そしてついに、トドメの瞬間がやって来る。
……バタァァァァァァァァーーーーーーーーーーーンッ!!
それまでずっと変わらぬ美しさをたたえていたフローズが……。
ある日突然、授業中に倒れてしまったのだ……!
助け起こされたフローズは、雪像が溶けたように、全身汗びっしょりであった。
「いったいどうしたんザマスかっ!? フローズさん!? いまあなたに倒れられたら、このクラスの美観は最低になってしまうザマス!」
オーベルジーヌはフローズの体調よりも、クラスの美観がさらに損なわれてしまうことを心配していた。
助け起こした女生徒が、フローズの額に手を当て、「すごい熱です!」と言ったところで、
「だから何だというザマスか!? ほら、座って座って! いつものようにかわらぬ美しさで、みなを引っ張っていくザマス!」
病気の白馬に鞭打つ馬主のような、非情なる態度を貫く……!
俯いたままのフローズ。
長い髪が垂れ、汗で額や頬に張り付いていたので、表情はわからない。
しかし、はぁ、はぁ、と苦しそうな吐息を繰り返しており、辛いのだけは伝わってくる。
クールビューティとして名高い少女の、突然の崩壊。
やがて絞り出された声は、いつもの氷矢のような鋭さはなかった。
「……た……たすけ、て……」
弱く、か細く……ひとりの少女のそれであった。
いつも凛としているフローズが、そんな弱々しい声を出したので、クラスメイトたちは驚いていた。
そして、フローズ自身も。
今まで、ある人物を除いて誰にも見せなかった一面が出てしまったことに、動揺を隠せずにいた。
しかし瓦解し、氷解した気持ちは、もう止まらない。
涙と嗚咽とともに、身体の奥底からあふれ出るかのように……!
「た……たすけて……! たすけてっ……!」
いままで何者も寄せ付けなかったはずの、孤高なる氷の女王。
しかし今は、ただひとりの、か弱き少女であった。
そんな彼女が、心の底からすがったのは、なんと……!
「たすけて……! ヘルロウ君っ……!!」




