09 地獄の晩餐
今宵のヘルロウ村の晩餐は、特別に『大講堂』で行なわれることになった。
『大講堂』といっても屋根はなく、等活地獄の壁を切り出した岩の長テーブルが並ぶ野外広場である。
100名ほどの亡者たちがテーブルに座り、目の前に並べられた料理に色めきたっていた。
「す、すげぇ……! 今日はいったい何があったってんだ!?」
「畑仕事から帰ってきたら、こんなごちそうがあるだなんて……!」
「これは、いつも食べてる焼き芋だよな!?」
【焼き芋】 食料レベル:2
芋を焚き火で焼いたもの。
炭水化物が豊富に含まれている。
「こっちのは見覚えがあるぞ! 前世で食べたことがある、焼き魚だ!」
「いや、それもただの焼き魚じゃねぇぞ! 干物だ!」
【焼いた魚の干物】 食料レベル:4
生の魚に塩をまぶして干したもの。
カルシムと塩分が豊富に含まれている。
「ひ……干物なんて、何億年ぶりだろうか!」
「こっちの草みたいなのはなんだ!?」
「いや、こればっかりは見たことがねぇ! おひたしみたいだけど、ほうれん草ではないし……」
【芋の蔓のおひたし】 食料レベル:4
皮を剥いた芋の蔓を茹で、塩をかけたもの。
ビタミンが豊富に含まれている。
「しかし、どれもこれもうまそうだ! 早く食いてぇよぉ!」
亡者たちはみんな同じことを思い、視線は料理と上座のほうを行ったり来たり。
ひな壇のように高くなった上座。
いちばん上に座っている……というか、座らされていたのはヘルロウであった。
すぐ下の段には鬼たちが五人囃子のように居並んでいる。
そのど真ん中にいたゴルバが、ずっと声を張り上げていた。
「今日はヘルロウ様のお慈悲によって、いつもの三倍以上もの夕餉が用意されたでござる! しかもヘルロウ様自らがこしらえてくださった! その包丁さばきたるや、希代の剣聖のようで、拙者は雷に打たれた思いでござった! そのとき拙者は感じていたのでござる! ヘルロウ様と初めて相まみえた、あの日のことを……! あの日は雨でござった! 風雲急を告げる暗雲が……!」
「ゴルバ、挨拶はもうそのへんでいいだろう。さっさと食べよう」
「へ……ヘルロウ様っ!? ここから良いところでござる! それにこんな時こそ、ヘルロウ様の偉大さを、とくと説かねば……!」
「そういうのはいいから。それよりも亡者たちを見てみろよ、おあずけを食らいすぎた犬みたいになってるだろう。長口上もいいが、そのうち暴動を起こすかもしれんぞ」
ヘルロウから言われてゴルバは眼下の亡者たちを見回す。
誰もが溺れそうなほどに、ヨダレを口いっぱいに溢れさせ、飼い主にすがるような上目遣いを向けてきていた。
「う、ううむ……! ヘルロウ様が、そこまでおっしゃるのであれば……! では、ヘルロウ様に感謝していただくように! 合唱!」
「い、いただきまぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーー--------------------っす!!!!」
かつてこれほどまでに待ちに待った『いただきます』が鳴り渡ったのは、この地獄でも初めてのことだろう。
いや、地上でも……ましてや飽食の天国ですら、こんなに食べ物に感謝した例は、過去にない。
誰もがまっさきに手を付けたのは、魚の干物。
脂がのっているかのように表面がキラキラと輝いているそれは、もちろん焼きたて。
ついさっきまで、じゅうじゅうと音をたてていたのだ。
やや焦げ目のついた小麦色から、なんともいえない香ばしい香りがたちのぼる。
もう矢も楯もたまらず食らいつくと、まずはパリっとした皮の食感。
そしてほろりと崩れる身。
中に閉じ込められていた磯の香りが、ふんわりとした湯気とともに口内に広がる。
そして、深い味わいの塩が利いた魚のうまみがあふれ……!
「うっ……うんめぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
絶叫とともに、椅子から転げ落ちる者が続出。
それで骨折してしまう者もいたが、かまわずテーブルを這い上って、次の料理に手をつける。
次は、芋の蔓のおひたし。
若芽のようにつやつやとした緑に、砕いた真珠のような岩塩が輝く。
一気に口に運ぶと、森林浴の散歩を楽しんでいるかのような、土と緑の香りが鼻を抜ける。
噛みしめると、
……シャキッ! シャキシャッ!!
みずみずしい歯ごたえが……!
地獄にそんなフレッシュな感覚は存在しない。
あるのは、どろどろ、ざらざら、ぐちょぐちょ。
心にへばりつくような不快な感覚しかないこの世界において……。
朝露のシャワーを浴びたようなスッキリ感を、味わうことができるとは……!
「おっ……おいひ
ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
これには亡者だけでなく、ひな壇の鬼たちまでもが転がり落ちていた。
「わっわっわっ!? わあああっ!? なにこれなにこれなにこれっ!? しゃきしゃきっていってる!?」
「あっ! ふぁぁっ!? ひと口食べるたびに、ぴくん、ぴくんって、背筋が震えるみたいどす!」
「まるでひと口ごとに、張り手を食らっているような、衝撃でござるっ!」
「えばぁーーーっ! 噛んでいてこんなにたのしい食べ物、生まれて初めてなのだーーーっ!?!?」
「ほう……! ほうほうほう……!」
ふたつの新メニューを頬張ったあとは、いつもの焼き芋……!
しょっぱさの二重奏のなかに放り込まれる、新たなるハーモニー!
ほくほくとした触感と、歯の裏にまとわりつくような甘さ……!
それらが口のなかで渾然一体となって……。
さらなる味覚『甘じょっぱい』を生み出す……!
「ひっ……ひ
ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
もはや味の感想どころか、言葉にもならない悲鳴をあげるばかり。
もう起き上がれなくなった者たちが、地面の上でエビ反りになり、ビクンビクンと痙攣している。
その表情は、まさに昇天……!
地獄から天国に昇り詰めたかのように、恍惚の極み……!
焦点の合わない目で虚空を見つめていた、ある亡者がそっとつぶやいた。
「て、天国って……こんな所にあったんだ……!」
誰もが達してしまったようになり、もはや腰砕け。
再び立ち上がれるようになるまでは、しばらくかかるかと思われたが……。
しかしその時、確かに生まれていたのだ。
腹の底から生まれた新たなるエネルギーが……!
血となり、肉となり、骨となり……。
塩分が、二トログリセリンのように行き渡り……。
いままで眠っていたパワーが、目覚めるのを……!
「お……おおっ!? ち、力が……! 力が、湧いてくるぞぉっ!?」
「ああっ、身体が動く! それに軽いっ!? まるで、翼が生えたみたいだ!」
「た、立てる……立てるぞ! いつもフラついていたのに、今はしっかりと、自分の両足で、大地を踏みしめている感覚がある!」
新しい太陽が生まれ、昇ってくるかのように……。
亡者たちは、次々と立ち上がる。
そして、生まれたての子供のように、世界を受け入れた。
「ああっ、ずっとぼやけていた視界が、こんなにハッキリ……!」
「音も、音もよく聞こえる! 信じられない! 世界はこんなに音で満ちていただなんて!」
「あああっ! これが、匂い……! 地獄に来てから無くして、二度と感じることができないと思っていたものが……!」
亡者たちは『五大栄養素』を得たことで、身体が亡者から人間に戻りつつあった。
死んだ魚のようだった目は澄み渡り、枯れ木のようだった肌は艶を取り戻し、荒野のようだった頭には、息吹きのような産毛が、ぽつぽつと……!
干からびていた亡者たちが、芽を伸ばすように立ち上がり……。
花開くように力を取り戻していくその様は、まさに……。
地獄の夜明けっ……!
ヘルロウはまたひとつ、地獄に歴史的瞬間をもたらしたのだ……!




