63 ダメ天使の末路5
ダメルシアンは恐怖した。
いままで自分に従順だった人間たちが、憎悪の表情を向けてきていることに。
それどころか、投石という名の牙を剥いてきたのだ。
これは、朝の卵を取るために、飼育小屋に入った畜産家が、小屋のニワトリに一斉に襲いかかられるような事態であった。
こんなことは絶対に、あってはならぬこと……!
畜産家も激おこの、烏滸の沙汰……!
ニワトリどもは、クリスマスを迎える前に食卓に並ぶ命運に……!
ダメルシアンは飛んでくる石に、顔だけは庇いながら叫んだ。
「や……やめろっ! こんなことをしたら天罰が下るぞっ! この街に裁きの雷が降り注ぎ、街は跡形もなく無くなるっ! そのうえ、お前たちは全員地獄逝きだっ!! って……やめろっ! やめろぉぉぉぉぉぉーーーーーっ!!」
しかしいくら訴えかけても、いくら脅しても、人間たちはますます罵詈雑言を浴びせてくる。
ダメルシアンは戦慄した。
降り注ぐ石は、彼にとっては天変地異の前触れの雹のように映る。
人間が天使に暴行を働くなどというのは、そのくらいありえないことだったのだ。
「やっ……! やめろっ! やめてくれぇ! へ……ヘルロウと違って、僕は天国でだって一度も殴られたことがないんだぞっ!? そんな優秀な天使である僕にそんなことをしたら、ヘパイストス様も黙っちゃ……!」
……ガツン!
しかし、お前が黙れと言わんばかりに飛んできた石が、額に当たって熱いものが頬を伝った。
手で拭ってみると、手のひらには、天使の血がべっとりと……!
生まれて初めて見る自分の『血』に、思わず卒倒してしまいそうになるダメルシアン。
しかしそうならなかったのは、それ以上の衝撃を受けていたからだ。
「ぱ……天技が……!?」
天使は『神の力』を分け与えられる。
それは『天技』と呼ばれ、指にタトゥーのような形で彫り込まれるのだが……。
血の滲んだ彼の、小指と示指にあったタトゥーが……。
すっかりかすれて、ほとんど消えかかっていたのだ……!
ほとんどの天使というのは地上で活躍するので、どの役割においても、以下の3つの天技を身に付けていた。
天使の象徴である、翼を生やす『飛翔』。
その翼で飛んでいる最中、失速して高所から落下しても負傷しない『耐久』。
それでももし負傷した場合、すぐに怪我から回復できる『治癒』。
小指にあったのは、『耐久』のタトゥー。
ダメルシアンはようやく気付いた。
本来、投石程度を受けたところで、痛みは蚊に刺されたほどにも感じないはずなのに……。
今は、突き刺さるように身体を苛んでいることに……!
「なっ……!? なんでっ!? なんで『天技』がっ!?」
彼はまだ気付いていなかった。
所属する『ヘパイストス派』からすでに見限られ、能力を没収されはじめたことに。
まだ『回復』は残っているので傷は治るのだが、痛みが消えるわけではない。
それが人間たちを、余計に激昂させていた。
「見ろっ! 傷口が塞がっていくぞ!」
「私たちは病気や怪我で苦しんでるってのに!」
「なんで俺たちより役立たずな天使のクセしやがって!」
「みんなで悪徳天使をやっつけるんだっ!!」
とうとう遠距離攻撃だけでは飽き足らず、蛮族のように迫ってくる人間たち。
「うっ……!? うわあぁぁぁっ!?!?」
ダメルシアンは失禁しそうになりながらも、その場から逃げだそうとする。
地を蹴って飛び上がったのだが、
……べしゃあっ!!
バランスを崩して倒れ、顔面スライディングをするように地面を滑り込んでしまった。
慌てて背中に手をやると、あるはずのものが無かった。
いや、あるにはあったのだが、あきらかに小さくなっていた。
「つ……翼が……縮んでる……!?」
真っ青な顔からさらに血の気が引いて、失いゆく翼のように真っ白になるダメルシアン。
そして、ようやく気付いた。
自分は、ヘパイストスに見捨てられたのだと……!
自分は、翼をなくした天使になってしまうのだと……!
……言葉で表すとなんだか格好いいが、置かれた状態は最悪であった。
「ハハッ! アイツ、すっ転びやがった!」
「見て! あのダメ天使、翼が小さくなっていってるわ!」
「きっと、ヘパイストス様があのダメ野郎を見限ったんだ!」
「じゃあ、もうすぐ天使じゃなくなるってことか! そりゃいい!」
「いままで受けた仕打ち、たっぷりお返ししてやるぜっ!」
神のお墨付きを得て、さらなる勢いを増して襲い来る人間たち。
もはや獲物を狙う狼のような顔つきで、ダメルシアンは小屋から追い出されてしまったニワトリのよう。
ヘパイストスという名の安住の地を失った彼に、かつての高慢さはない。
それどころかとうとう、数適漏らしてしまう始末……!
「うっ……!? うわあぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーっ!?!?」
わしゃわしゃと四つ足のまま這い逃げつつ、縮みゆく翼をバサバサとやって、なんとかして浮こうとする。
高波のように押し寄せてきた人間たちは、手を伸ばして追いすがり、なんとか引きずり降ろそうとする。
しかしダメルシアンのほうが一瞬早く、タッチの差で飛び上がった。
彼は罵声に堪え、飛んでくる石に幾度となくバランスを崩しかけながらも、天上を目指す。
早くしなければ、翼が完全に消えてしまう。
そうなれば、二度と天国には戻れなくなってしまう……!
彼は溺れる者の必死になって宙を掻く。
顔は泣きべそを通り越し、涙を滝のように溢れさせていた。
酸素の薄さを感じているわけでもないのに、呼吸困難になる。
急き立てられるあまり、うまく息ができず、アワアワと口を動かす。
その様は、生まれた子鹿のような覚束無さだったが……。
その必死さを、応援する者はいなかった。
「くそっ! 逃げやがってぇーーーっ!!」
「降りてこいっ! ブッ殺してやらぁーーーっ!!」
「落ちろっ! 落ちろぉぉぉぉぉーーーーっ!!」
「この天国の恥さらしめぇぇぇぇーーーーっ!!」
「ダメ天使! ダメ天使ぃぃぃぃーーーーっ!!」
足元から、罵声が突き上げてくる。
それは殺意に満ち満ちていたが、距離が離れていたのでダメルシアンは少しだけ余裕が出てきていた。
「お……覚えてろよっ! 天国に戻ったら、ヘパイストス様に掛け合って、誤解を解いてやる! そうすれば、僕はまた天使を続けられる! 仲間たちを引きつれて戻ってくるから、覚悟するがいい! お前たち全員を皆殺しにして、ヘルロウの元へ送ってやるっ! 地獄で仲良く、堕天使と暮すがいいっ! そして僕に逆らったことを、骨の髄まで後悔するんだっ!!」
ぐぬぬ……! と歯噛みをする人間たち。
ダメルシアンはとうとう、雲のそばまで飛び上がっていた。
ここまで来れば、もう大丈夫……!
雲の上にさえあがれば、たとえ翼がなくても落ちることはない。
足を踏み外さないように気をつければ……。
天国へと、戻れるっ……!
そう思った矢先であった。




