55 失楽天使
55 失楽天使
ダメルシアンは激怒した。
目の前にいる邪智暴虐な天使に向かって、ついに声を荒げてしまったのだ。
「きっ……! 貴様っ……! よくも僕を騙してくれたなっ!?」
しかしレインコションは悪びれる様子もなく、しょんと鼻を鳴らすばかり。
「騙すだなんて、人聞きが悪いしょん。しょんの100パーセントが持てる力のすべてなのか、確認しなかったダメルシアンさんが悪いしょん」
「うるさいうるさいうるさいっ! 今すぐ残りの力をすべて使って、ルシエロに雨を降らせるんだっ! でないと承知しないぞっ!」
「おや、その拳はなんだしょん? 承知しないって、まさか暴力を振るうつもりしょん? そんなことをしたら、『還りの会』でどうなるか、わかっているしょん?」
今のダメルシアンにとって、このぶよぶよした顔のクラスメイトは、何よりも憎たらしかった。
殴りつけてやりたい気持ちでいっぱいだったが、そうもいなかった。
暴力を振るったことを『還りの会』で議題にされれば、吊し上げは避けられない。
それは今のダメルシアンにとっては息苦しい事実であったが、同時に、ある気づきをもたらしていた。
「そ、そうだ……! 『還りの会』で告発するぞ! キミが僕を騙したって! それでもいいのかっ!?」
『還りの会』というのは、いわば見習い天使たちにとっての弾劾裁判。
良いことが報告されることもあるのだが、基本的にはお白州の場である。
まずそこに名前が上るだけでも、クラスメイトの心証は悪くなる。
さらに抗弁に失敗すると、最低でも失点が与えられ、最悪の時はヘルロウのように、天国を追放されてしまうこともあるのだ。
ダメルシアンの暴力は未遂に終わったが、レインコションの詐欺は事実……!
これはダメルシアンにとって、起死回生の一打となるはずであった。
しかし、ぶよぶよした顔は、気持ちのわるいピースマークのように、ニタリと笑んだ。
「できるものなら、やってみるがいいしょん」
「なっ……!? なんだと!? 僕にその度胸がないとでもいうのか!? 僕は本気だぞっ!?」
「しょんが何度も言っているように、これは認識の違いでしかないしょん。しょんの抗弁は、それだけで成立するしょん。しかしそれ以前に、告発したら困るのは、ダメルシアンさんのほうだしょん」
「僕が困る、だと……!?」
「そうだしょん。しょんに雨を降らせることを依頼した理由を問われて、ダメルシアンさんはいったい何と答えるつもりしょん?」
「……あっ……!?」
ダメルシアンは息を呑んだ。
「ようやく気付いたしょん。『自分をないがしろにする人間たちを、懲らしめるために雨を降らせた』まではいいしょん。でもそれが失敗していたとわかったら、どうなるしょん」
基本的に、天使が人間に対して制裁を行なった場合、『失敗』というのはありえない。
なぜならばそれは、神の裁きと同義だからだ。
普通は『大成功』が当たり前で、『成功』ですら恥ずかしいとされている。
それも当然である。
なにせ相手は、自分たちが創ったとされている、何の力もない人間なのだから。
しかし今回、ダメルシアンは『失敗』してしまった。
ルシエロの民に裁きを下すために雨を降らせたというのに、彼らを屈服させることができなかったのだ。
しかもその裁きの力を逆利用されて、より豊かに発展させてしまうという、オマケつき……!
これまでの神々の歴史を振り返ってみても、絶対にありえなかったほどの、大失態……!
本件を夫婦間問題で例えるなら、こんな感じである。
鉄拳制裁を加えようと、殴りかかってきた夫のパンチを、妻はすべて軽快なステップでかわし……。
あまつさえ、空振りした拳で布団叩きをされてしまったようなもの。
しかもその様子を、ご近所じゅうに見られてしまい……。
もうその地域には住めなくなってしまうほどの、恥さらし……!
しかも……しかもである。
ダメルシアンがクラフトを施してやったというのに、ルシエロの民はそっちのけで、ヘルロウのクラフトを使っていたとわかれば……。
これはもはや、NTRレベル……!
『ダメルシアン』という名の夫に叩かせた布団で、『ルシエロの民』という名の妻は……!
『ヘルロウ』という名の間男と、愛を語り合っていたとわかれば……!
これはもう、旦那としての種ナシっぷりを疑われるほどの、生き恥っ……!
人間としての資質を問われてしまうほどの、業恥っ……!!
ダメルシアンが起死回生として放った一打は、バックスクリーンに吸い込まれることはなかった。
自らの顔にグシャリとめり込み、引退を余儀なくされてしまうほどの……。
致命的な自打球として、襲いかかってきたのだ……!
「ぐぎぎぎぎぎぎぎ……!」
ダメルシアンは、本当にボールが顔に突き刺さってしまったかのように、顔を苦悶に歪めていた。
「そういうことだしょん。じゃあ、しょんはこれで」
レインコションはあっさりと手を挙げて、その場を立ち去ろうとする。
ダメルシアンはもう汗びっしょり。
握りしめた拳から水が滴りおちるほどに。
これで彼ができる選択肢は、ふたつに絞られてしまった。
まずひとつめは、このまま泣き寝入りすること。
これは、自分の失態が知れ渡ることがなくなるというメリットがあるが、いままでルシエロに掛けたものはすべて水泡に帰してしまうことになる。
彼にとって、それだけは避けたかった。それだけは嫌だった。
なぜならば、ここであきらめてしまったら、成績発表の時の順位下落は、火を見るより明らか。
そして、何よりも……。
ヘルロウに敗れてしまったという事実を、何としても認めたくなかったのだ。
となると、残るはもうひとつの選択しかない。
果たして、それは……。
相手の命を脅かすほどの暴力か、相手のチクリを封じ込めるほどの恫喝か、それとも……!?
「うっ……! うわああああああーーーーーーーーーーーっ!!」
彼は蛮声とともに挑みかかった。
ハッと振り向いたレインコションに向かって、怒濤のスライディングをかます。
しかしそれは、相手の足元をすくう、必殺の一撃ではなかった。
「ま、まってくれよ! レインコションくん! いまキミに見捨てられたら……! 僕はおしまいだっ!!」
なんと、土下座っ……!?
しかも、天使のプライドを捨ててしまったかのような、見事なまでの五体投地……!
「僕を助けて……!! 助けてよぉっ!! うっ……うううっ……!! うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーんっ!!」
さらに、泣き落とし……!?
しかも、生き物としてのプライドまでもをかなぐり捨てたような、みっともない駄々っ子泣きであった……!!




