39 あってはならない
スタジアムの客席から逃げだそうとしていた天使たち。
どの出口にも人が押し寄せ、しかも一切の譲り合いをしないので、詰まって誰も逃げられない状態になっていた。
それはさながら、ヘドロにまみれた排水溝のような、醜い光景。
そんな彼らの背後で、轟震がおこる。
ドゴワッ……シャァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーーーンッ!!
まるで爆撃を受けたような衝撃が、背中を突き飛ばす。
地響きと土埃が荒波のように押し寄せてきて、天使たちは思わず縮こまっていた。
誰かがぽつりとつぶやく。
「た、助かっ、た……!」
「鬼たちが言っていたように、ゼウス城が倒れても、客席までは届かなかった……!」
「慌てて逃げる必要なんて、なかったんだ……!」
しかし彼らは鬼たちには感謝しなかった。
「でも、バカなヤツらだ、トイレの中に逃げ込むなんて……!」
「会場のど真ん中にあったあのトイレは、間違いなくゼウス城の倒壊に巻き込まれたはず……!」
「トイレに潰されて死ぬなんて、くせぇ最後だなぁ!」
「そう考えると、あのトイレも見間違いだったんじゃないか?」
「そうだよな、ぐちゃぐちゃに潰された以上、作ってないのも同じだし!」
「そうそう! だいいち、亡者たちがトイレを作ること自体がおかしいんだよ!」
「なーんだ、やっぱり亡者はなにも作ってねぇんじゃねぇか!」
その思想はまるで伝染病のように、客席の天使たちに広まっていく。
彼らがそんな考えに至るのには、理由があった。
天使や人間にとっては、亡者というのは『何の産もなさない者』とされているからだ。
それは、神々が定めた不変のルール。
地上で罪を重ねた人間が行き着く先が、『地獄』。
そこにいる者たちは、『完全なる無能』にして『絶対なる無力』でなくてはならない。
とりわけ人間たちはそのことを、地上にいる時にさんざん思い知らされる。
地獄に堕ちたくないからこそ、彼らは必死になって天使や神を崇め、懸命に供物を捧げる。
そして、天使というのは元をただせば、そうやって神々にすがってきた人間たちである。
だからこそ、地獄の亡者たちが、何かをなし得るなどということは、あってはならないのだ。
自分たちが信じてきた『神』こそがすべてであり……。
『神』に認められて『天使』になった自分たちこそが、有能であり……。
その努力を怠って、地獄に堕ちた人間、すなわち亡者たちが……。
誰かに認められるだけの偉業を成し遂げるなど、絶対にあってはならないことだったのだ……!
客席の天使たちは、せいせいした様子で振り返る。
跡形も無く崩れたトイレの中で、押しつぶされた鬼や亡者たち、そして不幸にも彼らにそそのかされた、人間の少女をあざ笑うために。
彼らができることなど、せいぜいノシイカになって、自分たちの目を楽しませることくらいだいと、あざ笑うために……!
しかし、彼らに与えられたのは、『嘲笑』などではなかった。
振り返った瞬間に、顔面パンチを叩き込まれたような……!
最大の衝撃っ……!
焼け野原のようになってしまった、ゼウス城の広場。
あたり一面には、爆撃を受けた跡のように、ゼウス城の残骸が散らばっている。
そこには何ひとつ、建物と呼べるものは残っていないはずであった。
しかし、あったのだ……!
ただ、ひとつだけ……!
なおも、もうもうとあがる、炎のような土煙のなかで……。
まるで夜の城のように浮かび上がる、シルエットが……!
それは、城などという立派なものではないはずだった。
でも今は、粉塵のなかに影のように浮かび上がっているせいで、そうとしか見えなかった。
しかしまぎれもなく、亡者たちのトイレ……!
しかし今はまさに、難攻不落の城……!
たしかにそこに、そびえていたのだ……!
天使たちの薄ら笑いは、一瞬にして吹っ飛んだ。
「えっ……ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?!?」
「なんでなんで、なんでなんだよっ!?」
「ステージもなにかもかも、メチャクチャに押しつぶされてるってのに……!?」
「なんであんなちっちゃなトイレが崩れずに残ってるんだよっ!?」
トイレだけが残っていた事実を認めたくない天使たちは、現実逃避するような話題に走る。
「っていうかおかしくねぇか!? そもそもなんでゼウス城が崩れるんだよっ!?」
「そりゃ、石を入れ替えたからに決まってるだろ! 石を入れ替えたとたん、石垣全体にヒビが入ったんだからな!」
「新しい石が、ゼウス城を支えられなかったんだ!」
「いや、待て! そもそもなんで入れ替えたんだ!? 入れ替えなきゃ、こんなことは起こらなかったはずだ!」
「そりゃ、ヘルロウの石が残ったままだと、いつか崩れちまうから……!」
そこでようやく、天使たちも気付く。
「まさか……ヘルロウの石を入れ替えたから、崩れちまったんじゃ……!?」
「い、いや、そんなわけがあるか! だって最高級の石だぞ!? それに、ヒコスター様が陣頭指揮を取っておられたんだぞ!」
「で、でも……! そうとしか考えられねぇよ! だって見ろよ、あのトイレ!」
「ヘルロウの石積みで作ったとかいう、あのトイレはびくともしてねぇじゃねぇか!」
「いや、まだ無事かどうかはわからねぇ! 土煙でよく見えねぇからな!」
「瓦礫が偶然に積み重なって、トイレが崩れてないように見えてるだけかもしれねぇ!」
観客のなかには創造天使もいたのだが、彼らは頑なに信じようとはしなかった。
なぜならば、彼らにとっての『ものづくり』において重要視されていたのは、『誰が作ったか』という一点に尽きるからだ。
神がお作りになれば、ゴミでも芸術品。
逆に悪魔が作ったものは、どんなに役に立つものでもゴミとしていた。
これも前述の『亡者は産をなさない』という考えと同様である。
だからこそ、あってはならなかったのだ。
神が指揮したゼウス城は崩れたのに、悪魔の技術が用いられたトイレが残るなどということは、絶対に……!
彼らは口々に叫ぶ。
批難するように、祈るように。
「そ……そうだ! ヘルロウは悪魔なんだ! 悪魔が創ったものが、無事だなんて……絶対にあっちゃならないんだ!」
それは、傍から見れば失笑モノの姿であった。
そしてとうとう、それは現実のものとなる。
「あっはっはっはっはっはっはっはっ!! あーーーっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ!!」
今回の『神築』イベントの開会式の時にもあった、高笑いが、ふたたびっ……!?
しかしヘルロウ役のエキストラは、瓦礫に押しつぶされていて、死にかけの虫のようにもがいていて、笑える状態ではなかった。
「はっはっはっはっはっはっはっはっ!! そんな石積みじゃ、ゼウス城は崩れて当たり前だっ! 俺の組んだ石が、ずっとまわりの石を支える役割……いわば大黒柱をしてたんだからなっ!!」
そして、天使たちは……。
いや、世界は目にすることとなる。
彼の少年が、彼の地に、現れた瞬間を。
ゼウス城を模すトイレの中から、人影が姿を現す。
それは、鬼でも亡者でも、人間でもなかった。
ましてや、悪魔でも……!
なぜならば、ハッキリとした違いがあったからだ。
背中の、鳥のような翼……!
彼の天使は……。
今度こそ本当に、舞い降りたのだっ……!!




