十章
日没後、コル・ファーガルで局所的に発生した濃霧は、コーウェン家の城の全景を白い幕で覆い隠した。
物見から報告を受けたラスムスは自らも城壁にあがった。霞んだ霧の向こうに町並みの灯が遠く、点々と浮かび上がっている。記憶を遡っても、過去にこうした現象が起こったことはない。
こんなことが出来るのは、魔道士だけだ。
ラスムスの脳裏にいけ好かない面影がよぎったそのとき、部下のひとりが、オズワルドからの伝令を携えてやって来た。
内容を耳にした老将軍は、指で皺の寄った眉間を押さえた。
「オズワルド様は確かにそう仰ったのだな?」
「はっ!」伝令の兵士は繰り返し述べた。「魔道士に手出しは無用。霧による同士討ちに注意しつつ、各自警戒を怠らぬよう。以上であります!」
見張りに持ち場を離れぬよう言いつけて、彼は年若い主君のもとへ向かった。石段を早足で下りながら溜息を吐く。
差配自体はいい。不測の事態に不慣れな兵たちを混乱させない、簡潔な指示だ。ラスムスが気にくわないのは、この霧が魔道士によるものだということをオズワルドに吹き込んだのが、彼が抱える女魔道士であることである。
側仕えの魔道士を、オズワルドは重用しすぎる。
「まったく……困ったものだ」
「苦労だな、ラスムス」
後ろから不意に肩を叩かれて、振り向きざまにラスムスは拳を振った。掠っただけで手応えはない。階上からくつくつと、喉を鳴らすような笑い声がした。
「何奴!」
ほの暗い闇に隠れた姿が、ゆっくり階段を降りてきた。ラスムスはしばらくその顔を睨み、険しい表情を崩さぬまま、剣の柄から手を離した。
「……やはり貴様か」
「意外と驚かないな」
「こんな大がかりな真似ができる魔道士が、貴様の他にいてたまるものか」
男の顔に笑みが浮かんだ。二十余年ぶりにもかかわらず、まるで勝手知ったる我が家に帰って来たかのような気安さがある。
ラスムスは苛立ちを怒鳴り声にしてぶつけた。
「今さら何をしに戻った、ダレル=リーヴ!」
+++
気づけば、窓の外は真っ白だった。
「すごい霧」
月明かりさえ遮る霧に不気味なものを覚えて、ミリアムはカーテンを閉じた。これだけ何も見えなかったら、往来で事故が起きるかもしれない。彼女は、父が経営する慈善病院のことを思った。きっと今夜は医者も看護師も泊まり込みになるだろう。
「昼間はとてもいい天気でしたのに」
ミリアムはベッドのほうをちらりと窺った。
オズワルドと話をしてから、リズはひどく落ち込んでいる。食事にもほとんど手をつけなかった。ミリアムの前では涙のひとつも見せないが、赤く腫れた目元を見れば、ひとりでいるとき彼女がどれだけ泣いたか一目瞭然だった。
二人のあいだでどんな話があったのか、踏み込むことはできない。他家の問題だ。しかし、ミリアムにとってリズは大事な友人である。助けられるものなら助けになりたいし、何も出来なかったとしても、せめてそばにいてあげたかった。
マーシャに頼んで、ミリアムはホットチョコレートを用意してもらった。
「リズ、気分はどう? ちょっと温かいものを飲みません?」
様子を窺っていると、ほどなくしてリズが毛布から頭を出した。
気だるそうに体を起こす。顔色が良くない。泣いて疲れたから、というだけでなく、気力そのものが失われてしまったように見えた。
ミリアムはベッドに乗りあげて、乱れた赤い髪を直した。
「ホットチョコレートは好き?」
湯気の立つカップを渡す。ぼんやりと口をつけて、リズは目を瞬いた。
「甘い」
「チョコレートだもの。私、これ大好きなの」
ゆっくりとではあったが、リズはホットチョコレートを冷める前に飲みきった。
空になった二つのカップを盆に戻し、ミリアムはそっとリズの頬に触れた。熱はない。むしろ、低いように感じられる。
「リズ、寒くない?」
「平気」
言葉とは裏腹に、リズの声に力はなかった。
この子は大丈夫なんかじゃない。
本能が訴える不安から、ミリアムは胸がドキドキした。彼女はリズの手を握った。
「平気だなんて言わないで。私、あなたの力になりたいの」
誰にも弱音を漏らさない彼女は、手を離した途端、どこかに消えてしまいそうな気がした。
リズは目を伏せた。
「ありがとう。でも、いいの」
ミリアムの手を解いて、リズはブーツに足を入れた。
穴に紐を通していく指先を見下ろしながら、ミリアムはハッとして尋ねた。
「出かけるの? 若様のところ?」
リズは静かな眼差しで微笑んだ。
「オズウェルに会いに行くの」
+++
二十年ぶりの城内は味気ないほど変化がなかった。
高い天井。石の壁。冷たい床。武装した鎧の兵士たち。
色も華もない。
だが、あの頃はフィオナがいた。
主家の塔から、ディランに伴われて花嫁が下りてくると、それだけで殺伐とした空気がほぐれた。彼女が笑顔を向け、手を振るだけで、兵士たちの顔は喜びと誇りに輝いた。
だがどれだけ幸福な時間も、永遠に続くものではない。
人は絶えず入れ替わり、残った者も老いていく。ダレルは前を行くラスムスの、すっかり白くなった頭髪を眺めた。
「おまえを斬らずにいるのはオズワルド様のご命令があるからだ。いいか、大人しくしているんだぞ」
「人を猛獣のように言うものではないぞ」
「猛獣のほうがまだ可愛げがあるというものだ」
遠巻きにする兵士たちの目には、猜疑の色が濃い。辺りには魔道士に対する不信感と、こんな老いぼれが本当に魔道士なのかという疑念がないまぜになった、刺すような空気が満ちていた。
ダレルが当たり前のように、主家の住まいへ続く階段を登ろうとすると、ラスムスが険しい顔で行く手を遮った。
「そこまで許した覚えはない。ここで待て」
「いささか冷たいのではないか、ラスムス」
「自分の胸に手を当ててみろ」
ダレルは胸に手を当てた。
「……ふむ。どうやら心当たりしかないようだ」
「罪の数だけ懺悔を用意するのだな!」
上階から笑い声が零れた。
「今宵は賑やかだな、ラスムス」
階段を降りてきた人物の顔を見て、ダレルは絶句した。
燃えるような赤銅色の髪、柔和な表情。ダレルほどの魔道士でも、一瞬の錯覚がもたらす動揺は抑えられなかった。
(ディラン様……)
青年は如才なく微笑んだ。
「私はオズワルド=ヴァン=コーウェン。城主タイソンの留守につき、業務を代行している」
ダレルは、目の前にいる青年の顔を穴が空くほど見つめた。オズワルドは笑みを保っていたが、一瞬、居心地が悪そうに目をそらした。
「魔法使い。そなたの用件を聞こう」
フッ、と止めていた息を吐いて、ダレルは目を細めた。彼は一歩後ろに下がり、オズワルドの前に膝をついた。ラスムスが驚愕の眼差しで魔道士を見下ろした。
周囲の視線を一身に浴びながら、ダレルは言った。
「わたしの姫君を、返していただきに参りました」
兵士たちからあがった困惑のどよめきが、敵意を隠さぬ罵詈雑言になるまで一分もかからなかった。オズワルドが手を挙げて制さなければ、彼らは魔道士を剣で斬り捨て、槍で刺し貫いていただろう。
オズワルドは無表情になって言った。
「そなたは、コル・ファーガルの公女を自分のものだとでも言うつもりか?」
「いいえ、若君。まったくの逆です。言うなればわたしの命こそ、リズ殿のものなのです。彼女がいなければ失っていた命ですから」
「どこまで信用できたものかな」青年は皮肉っぽく目をすがめた。「私の魔法使いは、そなたを竜殺しのオブライエンと呼んだ。悪名だそうだが?」
「受け取る者の心がけ次第ですな。この国にいるあいだは、ダレル=リーヴと名乗っています」
「ダレル……?」
オズワルドは息を呑んだ。
彼は今し方までの立場にふさわしい振る舞いを忘れ、年相応の若者らしい顔でダレルの肩を掴んだ。
「ダレル=リーヴ? あなたが、本当に?」
「ええ。我が友、ラスムスに誓って」
「誰が友だ!」ラスムスがわなわなと拳を震わせる。「オズワルド様。こやつはその昔、ディラン様のお情けをいただいていた魔道士です。あなたの伯父上をたぶらかした大罪人ですぞ!」
「滅相もない。わたしこそはディラン様の真の忠臣であると自負しております」
「貴様が忠義を語るな!」
オズワルドはダレルから手を放し、ゴホンと咳払いした。
「要求は呑むつもりはないが……そう、そうだな。今より、ダレル=リーヴは私の客人として扱う。各員は引き続き、持ち場の警戒にあたれ。指揮はラスムスに任す。あとのことは頼むぞ」
愕然と立ちつくすラスムスに詫びの目配せを残して、オズワルドはダレルを上階へ誘った。
「よろしいのですか? ラスムスは拗ねると面倒ですよ」
「大目に見てもらうさ」
自室に客人を招き入れて、オズワルドは扉に鍵をかけた。椅子を勧める暇も惜しいといった様子で、彼はダレルの腕を掴んだ。
「ダレル=リーヴ。あなたは世界一の魔法使いだと聞いている。どうか、彼女を助けてくれ」
「……まあ、とりあえず見させていただきましょうかね」
ダレルは室内を何気なく見渡した。
本棚に並べられた書物が一部、棚から飛び出している。あの裏は確か、非常通路の入り口のひとつだったはずだ。最近使われた跡だろうか。興味を引かれたが、オズワルドに急かされて彼は仕方なく隣室へ向かった。
広さのわりに質素な内装だった。家具といえば机と椅子、衣装箪笥とベッドくらいのもので、絵画やタペストリー、花瓶といった装飾類はひとつも見当たらない。必要なもの以外すべてを取っ払ったような部屋である。
否、ひとつだけ。
ベッドに横たわる女。
泉のように広がる銀色の髪に、炎の色がきらきらと反射している。年の頃は二十半ばを過ぎたあたり。衰弱した青白い肌に、死相の濃い影が落ちていた。
オズワルドは大切な宝に触れるように、女の額に浮いた汗を拭った。
「医者にも診せたのだが一向に良くなる兆しがない」
青年が見守るなか、ダレルは女の首から脈を取り、袖を肘の辺りまでめくった。
彼の目には、女の命を蝕む白い鱗が見えていた。
「明朝、死にますな」
顔色をなくしたオズワルドに、ダレルは冷淡なまでに落ち着いて言った。
「魔法の傷は根が深いものです。この娘は、わたしがリズ殿につけた守りのまじないに手を出した。身の程をわきまえず己の力量を過信した、魔道士らしい最期だ」
「彼女に罪はない。俺が無理を頼んだ」
「無理を承知で引き受けた者の自業自得ですよ。あなたはこの娘にいささかの情をお持ちのようだが、しょせんは赤の他人です。早くお忘れになることだ」
「そんな言い方はないだろう」
オズワルドは必死の形相でダレルの肩に掴みかかった。
「頼む。他には何も望まない。あなたが本当に立派な魔法使いなら……少しでも俺を哀れと思うなら、どうか彼女を助けてくれ」
ダレルはしばし、腕を組んで沈思黙考した。
青年の願いはいかにも切実に聞こえるが、すでに女魔道士にたらし込まれているやもしれぬ。ザハリアーシュは、仮面の魔道士に名を呼ばれた途端、体の自由が利かなくなったと言っていた。人を名で縛ること、そういった術を得手とする輩を、ダレルは好まない。
為政者や権力者の懐に潜り込み、心を操る。そうして国を、政事を乱し、すべてが自分の手の平の上にあると驕るのだ。自惚れと自己顕示欲の強い魔道士がよくやることである。
だが、もしもこの女が誠心誠意、オズワルドに仕える魔道士ならば。
「あなたは、彼女の名をご存じですか?」
魔道士は名を騙る。いくつもの名を使い分けることで、正体を隠し、自身を守る。しかし魔の道を往く者といえど、生まれは人の子だ。心から大切に思う相手には、本当の名を知っていて欲しい。それが人情というものである。
オズワルドは女の傍らに跪き、その手を握った。
「エマヌエーラだ」
「ふむ。……よろしい。やってみましょう」
ダレルは机の前からベッドのわきに椅子を運んだ。背もたれに背中をつけて深く腰掛ける。
杖の先で女の胸、顎、額に触れていく。
真の名とはすなわち、魂の名だ。
「エマヌエーラ。『起きろ』」
そう唱え、ダレルは釣りでもするかのように杖を振り上げた。
淡い燐光に包まれた女の魂が、生身の体を残して起き上がった。その両目、手足、胸に、白い鱗の破片が痛々しく突き刺さっている。彼女は夢見心地の様子で、オズワルドに手を伸ばした。白い指先が青年の頬をすり抜けた瞬間、彼女はビクリと腕を引っ込め、肩を震わせながら顔を覆って泣いた。
ダレルは肉体から抜け出た女の魂に、杖を通して語りかけた。
『決めろ。人として生きるか、このまま堕ちていくか』
女が泣き濡れた顔をあげた。
『傷を癒すのは容易いことだ。しかし再び魔法を手にすれば、おまえの魂は損なわれていくだろう。岩の割れ目から染みこんだ水が、岩そのものを脆くするようにな。そうして堕ちていった者を、わたしは一人知っている』
魔道士が法具を身につけるのは、使役する精霊から魂を守る意味合いも含まれている。生まれつきの精霊憑きならばともかく、あとから契約した精霊は必ずしも魔道士に従順ではないからだ。守りのまじないに挑んだことで、この娘は手持ちの精霊をすべて失ったようだが、逆に幸運だった。もし生き残った精霊がいたら、傷ついた魂を食らいつくされていただろう。
女は呆然としていた。
生きながらえるために力を手放せと言われたら、大抵の魔道士はためらう。この身に修めた神秘の数々、ついやした時間、喪失の穴の大きさを恐れるがゆえに、迷うのだ。
ダレルはオズワルドを指し示した。
『名前を預けた男と、千年の孤独と。選ぶまでもないと思うがな』
女の目から、涙と一緒に鱗の破片がポロポロ落ちていった。
魔法への未練、執着が、剥がれていくようだった。
ダレルは口の端を持ち上げ、女の額を杖でトン、とついた。
治療は完了した。
女の魂は肉体に戻り、目覚める時を待っていた。
不安な顔をするオズワルドに、魔道士は微笑んで言った。
「命と引き替えだ。この娘は今から、ただの人です。それでもそばにと望むのであれば、名を呼んでおやりなさい」
「エマヌエーラ!」
女の唇がわずかに動いた。
うっすら開いた瞼の下から、春先に咲く花を思わせる薄紅色の瞳が現れた。彼女はゆっくり瞬きを繰り返し、オズワルドの頬に触れた。薬指で目尻をそっと拭う仕草からは、ひたむきな思いが滲み出ていた。
ダレルは回収した鱗の破片を繋ぎ合わせた。出来上がった鱗は全部で六枚。守りのまじないは大きく欠損している。楽観視できない事態だった。
「若君。睦み合いはあとになさい」ダレルはオズワルドの後頭部を杖で突いた。「リズ殿の命が危ない」
「なんだって?」
オズワルドの腕で抱き起こされたエマが、咳き込みながら言った。
「姫様は……〈竜〉が、守ったのでは……?」
「おまえよりは軽いというだけでリズ殿も魔法の傷を負っているはずだ。いくら〈竜〉でも、鱗を六枚も剥がされては万全とは言えん。傷から命が流れ出す前に、まじないを元の形に戻さなければ……。若君、今すぐ彼女のもとへ案内していただきたい」
「すぐに行って下さい。私はもう、大丈夫ですから」
エマに背中を押されて、オズワルドは頷いた。
オズワルドとダレルは、東の塔の最上階へ一直線に駆け上がった。
部屋の前で警護の任に当たっていたクックが、オズワルドに敬礼をする。
「お疲れ様です! 異常ありません!」
「ご苦労。ダレル、この部屋だ」
ダレルは肩でゼイゼイ息をした。齢六十も半ばを過ぎて、階段を一気に駆け上がるのはさすがに辛い。しかし久しぶりにリズと会うというのに、みっともない姿は見せたくなかった。彼はむせながら息を整え――ダレルが魔道士とは露も知らないクックが、その背中をさすった――襟首を正した。
オズワルドが扉を二回ノックした。中から返事はなかった。
「……非常時だ。構わん、入ってくれ」
ダレルは扉を開いた。
「リズ殿。あなたの魔法使いが、お迎えにあがりましたぞ」
満面の笑みで部屋に足を踏み入れたダレルは、一瞬後にスッと表情を改めた。
室内にリズの姿はなく、栗毛の少女がひとり、所在なさげにベッドに腰掛けていた。
「ミリアム。リズはどこだ」
ダレルを押しのけてオズワルドが尋ねた。ミリアムはちらりと彼のほうを見て、ばつが悪そうに縮こまった。
「リズは……行ってしまいました」
「どこに?」
「……オズウェルに、会いに行くって」
ガタンと、大きな音が響いた。
よろけたオズワルドが、テーブルにぶつかった音だった。彼は真っ青になりながら動揺して叫んだ。
「そんな馬鹿な話があるか……。会いに行く……会いに行くだって! どうして止めなかった!」
「止めました! でも、どうしても行くっていって聞かなかったんですもの! 若様だっていけないのよ。あの子に、オズウェルが死んだなんて言うから!」
ダレルはオズワルドの横顔を凝視した。
「あの子は泣いて、泣いて、たくさん泣いて……すっかり元気をなくしてしまったの。たくさん怖い思いをして、やっとこれからお兄様を捜すはずだったのに……。こんなのひどい……あんまりだわ!」
張りつめていた糸が切れたように、ミリアムはわっと泣き出した。
泣き声に背中を向けて、ダレルはうろたえるクックに確認した。
「リズ殿は、ここを通らなかったろうね?」
「間違いなく通っていません。自分はずっとここにいました」
ならば、道はひとつしかない。
要人用の非常通路だ。この部屋にもあったのだ。
ダレルは、椅子に座り込んで項垂れるオズワルドを、腕を掴んで立たせた。青年は虚ろな目で魔道士を見返した。
「どうすればいい……」
「しっかりなさい。非常通路はどこですか」
オズワルドはふらつきながら、壁にある燭台のひとつをひねった。空気の流れが変わる。四角い扉のかたちに浮き上がった壁を、彼は奥へ押し込んで横にスライドさせた。
暗く冷たい穴が、ぽっかりと壁に空く。
「お嬢さん。リズ殿はここから出ていったんですね?」
ミリアムは泣きながら頷いた。
通路は長く入り組んでいる。〈竜〉の気配はするが場所の特定は難しく、かといって、不備の生じた守りのまじないに遠隔から干渉することはできれば避けたい。〈竜〉はそこらの精霊と次元が違う。神に等しい力を持つ神代の獣である。下手を打てば、リズの身に多大な負担をかける可能性があった。
城に乗り込む前、ダレルは自分が下手を打ったときに備えてザハリアーシュを非常通路へ行かせた。道に迷わぬよう、あの青年には風の守りをつけてある。
風の精霊に〈竜〉の気配を追わせれば、二人を合流させられるかもしれない。
今から追いかけるよりも早くて確実だ。
「リズ殿はどんな様子でしたか?」
老人の問いかけに、ミリアムはしゃくりあげながら答えた。
「……元気がなくて、体が冷たいの。とてもだるそうで……でも止めても聞かなくて」
「ありがとう、よくわかりました」
今こうしている瞬間も、リズの命は砂時計の砂のように流れ落ちている。動き回れる体調ではないはずだ。それなのに出ていった。
オズウェルは死んだ。
おそらく、そう言われた瞬間、彼女の心も死んだのだ。
「若君、背筋を正しなさい。傷を恐れて彼女を突き放してはならない。わたしも、これだけ長くそばを離れるのではなかった」
ダレルは杖に意識を集中した。
地下いるザハリアーシュへ。風の守りが、彼をリズのもとへ導くよう。




