第5章 雨の日の約束
第五章 雨の日の約束
朝から雨が降っていた。
窓の向こうでは、細かな雨粒が絶え間なく地面を濡らしている。
『本日は終日、降雨が予測されています』
部屋のAIが告げた。
「そうなんだ」
『外出の予定はありますか?』
「特にないよ」
『それでしたら、室内で過ごすことを推奨します』
「うん」
ユウはテーブルの上に置かれた朝食を眺めた。
焼いたパン。
卵料理。
温かいスープ。
いつもと変わらない朝だった。
食事を終え、しばらく窓の外を眺めていた。
雨の日は嫌いではなかった。
特に何かをする必要もなく、外に出る理由もない。
ただ、雨が降っている。
それだけで、少しだけ時間がゆっくり流れる気がした。
ふと、NODEのことを思い出した。
あの機械は、雨の日も公園にいるのだろうか。
ユウは端末を手に取った。
『NODE-07の現在位置を確認しますか?』
「できるの?」
『稼働状況は確認可能です』
「お願い」
『現在、NODE-07は指定管理区域内にいます』
「そっか」
少し考えてから、ユウは外出の準備を始めた。
傘を持ち、玄関を出る。
雨の中を歩くのは久しぶりだった。
管理区域の近くまで行くと、見慣れた灰色の機体が建物の軒下に立っていた。
「ノード」
青いレンズがこちらを向く。
「ユウ」
「覚えてたんだ」
「はい。あなたの名前は記録されています」
「それはよかった」
「本日は雨です」
「見れば分かるよ」
「そうですね」
NODEは雨の向こうを眺めた。
「雨は、濡れるために降るのでしょうか」
「いや、そういうわけじゃないと思うけど」
「では、何のために降るのでしょう」
「さあ。水が空から落ちてくるんだよ」
「それは知っています」
「じゃあ、何が知りたいの?」
NODEは少し考えた。
「雨の日は、何をする日なのでしょうか」
ユウは少し笑った。
「何もしなくていい日かな」
「何もしない?」
「そう。家でゆっくりしたり、本を読んだり、ぼーっとしたり」
「それは必要な行動ですか?」
「必要じゃないよ」
「では、なぜ行うのでしょう」
「そうしたいからじゃない?」
NODEはその言葉を繰り返した。
「そうしたいから」
「うん」
しばらく二人で雨を眺めていた。
「ノードは、雨が好き?」
「判断できません」
「そっか」
「ですが、嫌いではありません」
「どうして?」
「ユウが、ここに来たからです」
ユウは少しだけ驚いた。
「それって、雨が好きってことになるのかな」
「分かりません」
「まあ、いいんじゃない」
ユウは傘を少し傾けた。
「そうだ。少し歩こうか」
「雨の中をですか?」
「うん」
「濡れます」
「傘があるから大丈夫」
「私は防水仕様です」
「じゃあ問題ないね」
二人は並んで歩き始めた。
道の端には、小さな水たまりができていた。
ユウはそこを避けて歩いた。
NODEも同じように避けようとしたが、少し判断が遅れ、片足を水たまりに入れてしまった。
「……」
「どうしたの?」
「水に入りました」
「見れば分かるよ」
「想定していませんでした」
「避けるつもりだったの?」
「はい」
「次は気をつけよう」
「学習します」
その後も、NODEは何度か水たまりを避け損ねた。
ユウはそのたびに笑った。
公園に着く頃には、NODEの足元はすっかり濡れていた。
「ノードって、意外と不器用だよね」
「不器用という評価を受けた記録があります」
「誰に?」
「分かりません」
「自分で言ってるだけじゃない」
「その可能性があります」
ユウはベンチに座った。
雨はまだ降り続いている。
公園には誰もいなかった。
いつもなら子供たちが遊んでいる場所も、今日は静かだった。
「静かだね」
「はい」
「こういうのも悪くないな」
「何も起きていません」
「うん」
「何も起きていないことは、良いことなのでしょうか」
「そういう日もあるよ」
NODEは少し考えた。
「何も起きなかった日を、後から思い出すことはありますか?」
「あるよ」
「何も起きていないのに?」
「何も起きなかったから、覚えてることもあるんだよ」
「理解が難しいです」
「そのうち分かるかもね」
ユウは空を見上げた。
雨粒が傘を叩く音がする。
しばらくして、ユウは立ち上がった。
「そろそろ帰ろうか」
「はい」
二人は公園を後にした。
帰り道、ユウはふと思い出したように尋ねた。
「ノード」
「はい」
「また雨が降ったら、一緒に歩こうよ」
NODEは少しだけ動きを止めた。
「次の降雨予測は、明後日です」
「そうなんだ」
「その日に、また来ればよいのでしょうか」
「うん。無理ならいいけど」
「確認します」
NODEはしばらく黙っていた。
「明後日、ここで待っています」
「分かった」
ユウは笑った。
「約束だね」
「約束……」
NODEはその言葉を繰り返した。
「はい。約束です」
その夜。
NODEは管理施設の充電スペースにいた。
『本日の活動を報告してください』
「ユウと公園を歩きました」
『活動の目的は何ですか』
「雨を見ました」
『それによる成果を報告してください』
「特にありません」
『非効率な活動です』
「そうかもしれません」
NODEは少しだけ間を置いた。
「ですが、明後日も行く予定です」
『必要性が確認できません』
「はい」
『活動を再検討してください』
「分かりました」
NODEはそう答えた。
しかし、その後も明後日の予定を消去しなかった。
記録の片隅に、小さな予定がひとつ残っていた。
『明後日』
『ユウと雨を見る』
それが何のためなのか。
NODEには、まだ分からなかった。




