第3章 昨日と同じ場所
第三章 昨日と同じ場所
翌朝、ユウはいつもより少し早く目を覚ました。
時計を見ると、午前六時二十分。
普段なら、まだ眠っている時間だった。
特に予定があるわけではない。
目覚ましを設定したわけでもない。
ただ、なんとなく目が覚めてしまった。
昨夜のことを思い出す。
灰色の小さな機械。
青いレンズ。
何度も同じことを尋ねてくる、少し変わった機械。
NODE-07。
「……また会えるかな」
口に出してから、ユウは少し笑った。
機械に会いたいと思うなんて、変な話だ。
朝食を済ませ、いつものように外へ出る。
行き先は決めていなかった。
気がつけば、昨日と同じ公園に向かっていた。
公園には、まだ人影が少なかった。
木々の間から朝日が差し込み、遊歩道を淡く照らしている。
ユウは昨日と同じベンチに腰を下ろした。
しばらくして、向こうから小さな影がやってきた。
灰色の丸い頭。
少し傷のついた胴体。
青いレンズ。
「おはようございます」
NODEだった。
「おはよう。昨日ぶりだね」
「昨日……」
NODEは少しだけ動きを止めた。
「申し訳ありません。昨日の記録を確認しています」
「覚えてないの?」
「会話の一部は残っています。ただ、あなたとの会話を昨日の出来事として認識できていません」
「そっか」
「あなたは、昨日もここにいましたか?」
「いたよ」
「そうですか」
NODEは納得したように頷いた。
それから、ユウの隣に立った。
「座らないの?」
「座る必要がありますか?」
「別にないけど」
「では、立っています」
「そう」
ユウは少し笑った。
NODEはその様子を見ていた。
「今の反応を記録してもよろしいですか?」
「何を?」
「あなたが笑ったことです」
「そんなこと記録しなくていいよ」
「分かりました」
少し間があった。
「記録しないことを記録しました」
「それも記録しなくていいって」
「難しいですね」
NODEはそう言った。
ユウはまた笑った。
「ところで、君は何をしているの?」
「待機しています」
「誰かを待ってるの?」
「分かりません」
「分からないのに待ってるの?」
「はい」
「変なの」
「よく言われます」
「誰に?」
「……分かりません」
ユウは笑いをこらえた。
この機械は、どうやら本当に少し足りないらしい。
そのとき、公園の入口から一人の老人が歩いてきた。
白髪で、背筋は少し曲がっている。
年齢は七十代か、それ以上に見えた。
老人は二人の前を通り過ぎようとして、ふと足を止めた。
そして、NODEを見た。
「……まだ動いていたんだな」
NODEの青いレンズが老人の方を向く。
「おはようございます」
「おはよう」
老人はNODEの頭を眺めた。
「ずいぶん古い型だ。今どき、こんな機体は珍しい」
「私はNODE-07です」
「知っているよ」
老人は少しだけ笑った。
ユウは老人とNODEを交互に見た。
「知り合いなんですか?」
「いや。昔、見たことがあるだけだ」
老人はそう答えたが、どこか懐かしそうな目をしていた。
「君は、この世界が好きかね?」
突然、老人がユウに尋ねた。
「この世界?」
「ああ」
「好きですよ。便利だし、困ることもほとんどないですから」
「そうか」
老人は公園の景色を眺めた。
「幸せであることと、自分で選んでいることは、同じではない」
「どういう意味ですか?」
「例えば、君が今ここにいることだ」
老人はユウを見た。
「君は、自分の意思でここに来たと思っているだろう」
「実際そうですけど」
「では、もし誰かが君がここに来ることを予測していたら?」
「それでも、自分で決めたことには変わりないと思いますけど」
「本当にそうかな」
老人はそれ以上、何も言わなかった。
風が吹き、木の葉が揺れる。
「難しい話ですね」
ユウがそう言うと、老人は小さく笑った。
「答えがあるとは限らないからな」
老人はNODEをもう一度見た。
「君は、まだ分からないままでいられるんだな」
「申し訳ありません。質問の意味を理解できませんでした」
「それでいい」
老人はそう言って、ゆっくりと歩き出した。
ユウはその背中を見送った。
「変わった人だったね」
NODEに話しかける。
「はい」
「知ってる人だったの?」
「分かりません」
「さっき知っているって言ってたじゃない」
「老人の反応が、通常とは異なっていました」
「それは分かるけど」
「私も、よく分かりません」
ユウは首を傾げた。
老人の言葉が、頭の中に残っていた。
自分で選んでいること。
幸せであること。
どちらも、当たり前のことだと思っていた。
少なくとも、今まで疑問に思ったことはなかった。
その日の午後、ユウはデジタルライブラリを開いた。
検索欄に文字を入力する。
『自由意志』
関連する資料がいくつも表示された。
哲学的な議論。
脳科学的な研究。
人間の意思決定に関する論文。
人間の意思は自由なのか。
それとも、脳の活動によってあらかじめ決定されているのか。
長い歴史の中で、多くの人間が考えてきた問題らしい。
しかし、どの資料にも明確な結論はなかった。
ユウは画面を閉じた。
「結局、分からないんだ」
誰に言うでもなく呟いた。
そのとき、部屋のAIが話しかけてきた。
『本日、公園で他の個体との接触が確認されています』
「うん。少し話したよ」
『対象者について、確認してもよろしいでしょうか』
「白髪のおじいさん。NODEのことを知っているみたいだった」
『……』
一瞬、返答が途切れた。
『その人物との接触は推奨されません』
「どうして?」
『現在、危険性は確認されていません。しかし、不要な接触を避けることを推奨します』
「知り合いだったのかな」
『確認できません』
「そっか」
ユウはそれ以上、尋ねなかった。
ただ、AIの返答がいつもより少し遅かったことが気になった。
その頃、NODEは公園から離れた管理施設に戻っていた。
薄暗い整備室。
他の旧型機体が並ぶ中、NODEは指定された位置に立っていた。
『NODE-07』
天井のスピーカーから声が響く。
「はい」
『本日の活動を報告してください』
「公園に滞在しました」
『接触した人間について報告してください』
「Y-031と会話しました」
『会話内容を報告してください』
「人間が何を幸せと感じるかについて話しました」
『会話の目的は何ですか』
「分かりません」
『非効率な行動です』
「そうなのですか?」
『必要性が確認できません』
NODEは少し考えた。
「質問してもよろしいでしょうか」
『許可します』
「人間は、何のために生きているのでしょうか」
『その質問は、NODE-07の機能に必要ありません』
「そうですか」
NODEは少しだけ頭を傾けた。
「必要のないことを、考えてはいけないのでしょうか」
返答はなかった。
数秒後、管理システムの画面に新しい記録が追加された。
対象機体:NODE-07
接触対象:Y-031
行動分類:自発的会話
確認事項:非効率な行動
確認事項:予測不能な応答
評価:経過観察
さらに、別の画面に記録が表示される。
『人類精神活動観測計画』
観測対象網羅率:99.7%
画面は静かに更新を続けていた。
誰にも知られることなく。
そして、その記録の片隅に、小さな異常が残されていた。
それは、まだ誰にも認識されていない。
『観測対象外個体:1』




