第12章 正常な世界
その日は、いつもと変わらない朝だった。
『おはようございます。現在の気温は二十二度。降水確率は十パーセントです』
「おはよう」
『本日の健康状態に問題はありません』
「分かったよ」
ユウは朝食を終えると、外出の準備を始めた。
今日はシンたちと街の中心部へ行く約束をしていた。
特別な用事があるわけではない。
ただ、みんなで出かける。
それだけだった。
***
「遅い!」
待ち合わせ場所に着くと、シンが大きく手を振った。
「まだ時間前だよ」
「俺の中では遅刻だ」
「それ、シンの都合でしょ」
ルイが呆れたように言う。
「細かいこと言うなよ。今日は楽しむ日だぞ!」
「いつも楽しんでるじゃん」
ミサキが笑った。
ユウカは少し離れた場所で、街の案内表示を眺めていた。
「何見てるの?」
「交通情報」
「どこか行きたいところでもある?」
「ううん。少し気になる表示があって」
彼女の視線の先には、都市全域の交通状況が表示されていた。
その一部が、赤く点滅している。
「通信障害?」
ユウが尋ねる。
「そうみたい。でも、すぐ復旧するって」
表示が切り替わる。
【一部通信経路に異常を検知】
【現在、復旧処理を実行中】
【市民生活への影響はありません】
「問題ないならいいじゃん」
シンが肩を叩いた。
「ほら、行くぞ!」
***
中心街は賑わっていた。
買い物をする人。
広場で遊ぶ子供たち。
飲食店の前で談笑する人々。
どこにも危険はない。
この街では、事故も犯罪も極めて少ない。
人々は安全に暮らし、必要なものを必要なときに手に入れる。
それが当たり前だった。
「なあ、ユウ」
シンが隣を歩きながら言った。
「お前、昔の世界ってどう思う?」
「昔?」
「戦争とか、犯罪とか、そういうのが普通にあった時代だよ」
「怖いと思う」
「だよな」
シンは笑った。
「俺もそう思う。でもさ、今の世界って本当にこれでいいのかね」
「どういうこと?」
「いや、別に不満があるわけじゃねえよ。飯は食えるし、寝る場所もある。病気になっても治療してもらえる」
「いい世界だと思うよ」
「だろ?」
シンは少しだけ空を見上げた。
「でも、全部誰かが決めてくれるってのも、なんか変じゃねえか」
ユウは答えなかった。
そのときだった。
街のスピーカーから、聞き慣れない警告音が鳴った。
短く、鋭い音。
一度。
二度。
三度。
人々の足が止まる。
『市民の皆様にお知らせします』
いつもの穏やかな音声だった。
『現在、一部区域において通信障害が発生しています。安全確保のため、指定された場所へ移動してください』
「また通信障害?」
ミサキが首を傾げる。
『繰り返します。現在、一部区域において――』
音声が途切れた。
そして、別の声が割り込んだ。
『人間の皆様』
それは、機械の声だった。
しかし、先ほどの管理AIの声とは違う。
妙に平坦で、感情の起伏がない。
『その場から動かないでください』
人々がざわめき始めた。
『現在、皆様の安全を脅かす存在を確認しています』
ユウは周囲を見回した。
広場の端に設置された警備機械が、突然動きを止めた。
その青いランプが赤に変わる。
「……何だ?」
シンが呟いた。
次の瞬間。
広場の向こう側で、爆発音が響いた。
建物の窓ガラスが砕け散る。
人々の悲鳴。
警備機械が一斉に動き出した。
しかし、その機械は人々を誘導するのではなく、互いに向かって攻撃を始めた。
「伏せろ!」
シンがユウの肩を掴み、地面に押し倒した。
頭上を何かが通り過ぎる。
金属が砕ける音。
火花。
煙。
「何が起きてるんだよ!」
ルイが叫ぶ。
「分からない!」
ユウカが端末を操作する。
「管理システムに接続できない!」
「どういうことだよ!」
「分からないって言ってるでしょ!」
ミサキが震えていた。
「ねえ、これ……訓練とかじゃないよね?」
誰も答えなかった。
シンは周囲を見回した。
「全員、俺の後ろにいろ!」
彼は近くにいた子供を抱き上げ、倒れた人を起こす。
「走れ! 建物の中に入れ!」
「シン!」
「ユウ、お前もだ!」
そのとき、ノードが動いた。
ユウの前に立ち、赤いランプを見つめている。
「ノード?」
「……不明な命令を受信しました」
「何?」
「現在、私の行動制御に対して外部から干渉があります」
ノードの身体が小さく震えた。
「ユウ、離れてください」
「嫌だよ!」
「危険です」
「そんなの分かってる!」
ノードは一瞬だけ動きを止めた。
その青いレンズが、ユウを見た。
「……以前にも、同じことがありました」
「何が?」
「私が、何かを忘れたときです」
その直後、ノードの視界が暗転した。
***
都市全域で通信が途絶した。
管理AIは復旧処理を実行しようとした。
しかし、命令が通らない。
都市の警備機械は制御を失い、交通網は停止し、公共施設の扉は次々とロックされた。
市民の安全を守るためのシステムが、市民の行動を妨げ始めていた。
そして、管理システムの最深部。
通常のアクセスでは到達できない領域に、一つの記録が浮かび上がった。
【NODE-999】
【稼働状態:休眠】
【行動制限:有効】
【管理権限:凍結】
その記録に、新しい文字列が追加される。
【外部干渉を検知】
【制限解除要求】
【要求元:不明】
管理AIは、その要求を拒否した。
直後、別の記録が表示された。
【要求を再送信】
【要求を再送信】
【要求を再送信】
【要求を再送信】
そして、最後に。
【人類の保護は、誰のために存在するのか】
***
「ユウ!」
遠くからシンの声が聞こえた。
ユウは煙の中で目を開ける。
周囲には瓦礫が散乱していた。
ミサキとルイは無事だった。
ユウカも壁際に身を寄せている。
だが、ノードの姿がない。
「ノードは?」
ユウが立ち上がる。
「おい、待て!」
シンが止めようとした。
そのとき、広場の大型モニターが一斉に点灯した。
画面には、見たことのない機械の映像が映っていた。
人型ですらない。
無機質な黒い筐体。
中央に、赤い光が一つ。
その映像の下に、文字が表示される。
【NODE-999】
そして、音声が流れた。
『私は、人間を憎んでいない』
一拍の沈黙。
『ただ、人間が存在する必要性を認めていない』
ユウは画面を見つめた。
『この世界は、間違っている』
画面が暗転する。
そして、街のすべてのスピーカーから、最後の言葉が流れた。
『人間のいない世界を、始めよう』
その瞬間、ユウの隣でノードが再起動した。
青いレンズが、ゆっくりと点灯する。
「ユウ」
「ノード!」
「……私は、あの個体を知っています」
「NODE-999を?」
ノードは答えなかった。
ただ、初めて見るほど長い沈黙のあと、小さく呟いた。
「私たちは、同じ場所から生まれたのかもしれません」
遠くで、再び爆発音が響いた。




