第13話 止まっていた時間
音が、戻ってきた。
最初に聞こえたのは、誰かの泣き声だった。
次に、警報。
遠くで何かが崩れる音。
そして、誰かが自分の名前を呼んでいる。
「ユウ!」
シンの声だった。
ユウは地面に手をついたまま、ゆっくりと顔を上げた。
目の前には、見慣れた街があった。
けれど、いつもと同じ景色ではなかった。
道路の一部は陥没し、建物の壁面からは煙が上がっている。街路樹は倒れ、普段なら人々を誘導している案内表示は、意味のない文字列を繰り返していた。
空を飛んでいた輸送機が、遠くで旋回している。
「立てるか!」
シンが駆け寄ってきた。
「うん……大丈夫」
「大丈夫な奴の顔じゃねえぞ」
シンはユウの腕をつかみ、無理やり立ち上がらせた。
「ミサキたちは?」
「向こうだ。ルイと一緒に避難してる。ユウカもいる」
「NODEは?」
シンの表情がわずかに変わった。
「……見てない」
「さっきまで一緒にいたんだ」
「分かってる。だから探す」
シンは周囲を見渡した。
倒れた警備機械。
破損した自動車。
道路の中央に座り込んでいる人々。
いつもなら、こうした事態は管理システムがすぐに処理する。
負傷者の位置を特定し、救護ユニットを派遣し、最適な避難経路を表示する。
しかし、今は何もない。
人々は自分で立ち上がり、自分で周囲を確認し、自分で逃げる方向を決めていた。
「……どうすればいいんだ」
誰かが呟いた。
その声に答える者はいなかった。
「おい!」
シンが手を叩いた。
「立ち止まるな! 動ける奴は動けない奴を手伝え! まずは安全な場所まで行くぞ!」
「でも、避難経路が……」
「そんなもん、道を見りゃ分かるだろ!」
「シン、こっちは危険区域だよ!」
ユウカが声を上げた。
彼女は倒れた案内板の横に立ち、周囲を確認していた。
「東側の道路は崩落してる。西側の通路ならまだ通れるはず」
「よし、そっちだ!」
「待って。そっちも安全とは限らない」
「じゃあどうすんだよ」
「確認するの」
「分かった。俺が先に行く」
シンは迷わなかった。
「ユウ、ここにいろ。ミサキたちのところへ行け」
「でも」
「NODEを探したいんだろ」
ユウは頷いた。
「だったら、まず自分が無事でいろ。探すのはそれからだ」
シンはユウの肩を軽く叩いた。
「機械だろうが人間だろうが、いなくなったら探す。それだけだ」
そう言って、シンは人々の方へ走っていった。
*
避難場所は、旧市民交流施設だった。
普段は地域住民が自由に利用する場所で、食事をしたり、遊んだり、何かを学んだりするために使われている。
今は、その広いホールに大勢の人間が集まっていた。
「ユウ!」
ミサキが駆け寄ってきた。
「よかった、無事だったんだね」
「ミサキも。ルイとユウカは?」
「向こう。怪我はしてないよ」
ルイは壁際に座っていた。
いつもより口数が少ない。
ユウカは施設の端末を操作していたが、画面には何も表示されていなかった。
「通信は?」
「駄目。外部ネットワークとの接続が完全に切れてる」
「復旧するんじゃないの?」
「分からない」
ユウカは画面から目を離さなかった。
「今までなら、こういうときは管理システムが復旧作業を始めていた。でも、今回はその指示自体が来ない」
「壊れたってこと?」
「壊れたのか、止められたのか。それも分からない」
ユウはホールを見渡した。
泣いている子供がいる。
誰かを探している老人がいる。
怪我をした人間の周囲には、数人が集まっていた。
いつもなら、必要なものは必要な場所に届く。
今は違う。
水を探す人がいて、毛布を運ぶ人がいて、知らない誰かの手を握っている人がいた。
誰もが、何をすれば正しいのか分からないまま動いていた。
「……ユウ」
ルイが顔を上げた。
「NODEは?」
「まだ見つかってない」
「そうか」
それ以上、ルイは何も言わなかった。
ユウは自分の手を見た。
あのとき、NODEは何かを言っていた。
外部から干渉されている。
同じ場所から生まれたのかもしれない。
その後のことは、よく覚えていない。
「探しに行く」
ユウが立ち上がった。
「待って。今は外に出ない方がいい」
ユウカが言った。
「でも、NODEが」
「分かってる。でも、今の状況で一人で動くのは危険」
「それでも……」
「ユウ」
ミサキがそっと声をかけた。
「みんなで探そう。シンもいるし、きっと見つかるよ」
ユウはもう一度、頷いた。
*
その頃、旧市街の地下にある保守通路で、一つの小さな機械が動いていた。
灰色の外装は傷つき、片腕の接合部は露出している。
頭部にある青いレンズが、何度か点滅した。
起動。
内部診断を開始。
外部通信――不通。
位置情報――取得不能。
時刻情報――取得不能。
記録領域――一部破損。
NODE-07は、ゆっくりと上半身を起こした。
「……ここは」
返答するものはいない。
「私は……何を」
内部記録を検索する。
直近の活動履歴。
複数の人間。
都市中心部。
警告音。
外部干渉。
ユウ。
そこで記録が途切れていた。
「ユウ……?」
名前を口にした。
その言葉に、何かが引っかかった。
しかし、思い出せない。
NODE-07は周囲を見渡した。
薄暗い通路。
倒れた配管。
床に散らばった金属片。
何が起きたのか分からない。
自分がどれだけ停止していたのかも分からない。
ただ、立ち上がることはできた。
NODE-07は壁に手をつき、ゆっくりと歩き始めた。
*
ユウたちは、シンと合流していた。
「地下の保守通路に反応があった」
シンが持っていた携帯端末を見せた。
「これ、施設の古い点検用端末だ。通信は死んでるが、近距離の機械反応くらいなら拾える」
「NODEかもしれない?」
「分からん。だが、行ってみる価値はある」
「僕も行く」
「もちろんだ」
シンは笑った。
「お前が行かないなら、俺が勝手に探してくるところだった」
「それは駄目だよ」
「ははっ、じゃあ一緒に行こうぜ」
ユウカも同行を申し出た。
「私も行く。地下の構造なら少し分かる」
「危なくない?」
ミサキが心配そうに尋ねた。
「危ないよ。でも、ここで待っていても状況は分からない」
「じゃあ私も行く!」
「ミサキは残って。怪我人の手伝いをしてほしい」
ユウカが言った。
「……分かった」
ミサキは少し不満そうだったが、最後には頷いた。
ルイも残ることになった。
「何かあったら連絡して」
「通信が使えないのに?」
「そうだった」
ルイは少しだけ笑った。
こんな状況でも、いつものような会話はできる。
それが少しだけ不思議だった。
*
地下通路は、思ったよりも深かった。
非常灯が一定間隔で点滅している。
「この先は旧式の保守区画だ」
ユウカが端末を確認した。
「現在の管理システムとは独立している部分もある。だから、まだ動いている機械があってもおかしくない」
「NODEもここにいるかもしれない?」
「可能性はある」
シンが先頭を歩いていた。
「しかし、こんなところまで来るとはな」
「前にも来たことがあるよ」
「そうなのか?」
「NODEと一緒に」
「へえ。あいつ、こんなところが好きなのか」
「好きかどうかは分からない。でも、知らない場所を歩くのは嫌いじゃないと思う」
「そりゃいいな」
シンは笑った。
「俺も知らない場所は好きだぜ」
「シンはどこでも好きそうだけど」
「おう!」
ユウカが小さくため息をついた。
「緊張感がないね」
「緊張してるから喋ってんだよ」
シンは振り返らずに答えた。
そのときだった。
通路の奥から、かすかな音がした。
キィ。
何かが擦れるような音。
三人は足を止めた。
キィ、キィ。
「……何の音?」
ユウが尋ねた。
「機械音だろう」
ユウカが答えた。
シンが手を上げ、二人を制した。
通路の先。
非常灯の下に、小さな影が見えた。
「NODE!」
ユウが駆け出した。
「おい、待て!」
シンの声が響く。
影がゆっくりと振り返った。
青いレンズが光る。
「……ユウ?」
その声を聞いた瞬間、ユウの足が止まった。
「NODE!」
NODE-07は、ゆっくりとこちらへ歩いてきた。
右腕が不自然に揺れている。
外装の一部は剥がれ、頭部にも傷があった。
それでも、確かにNODEだった。
「よかった……!」
ユウはNODEの前に立った。
「どこにいたんだよ。ずっと探してたんだぞ」
「申し訳ありません。現在、記録が一部欠損しています」
「そんなことはいいよ」
「私は、何かを忘れているようです」
NODEは自分の胸部に手を当てた。
「ユウと一緒にいたことは、記録に残っています。でも、その先がありません」
「……そっか」
「私は、どれくらい停止していたのでしょうか」
ユウは答えられなかった。
「分からない。僕も、そんなに長くはないと思うけど」
「停止中の記録はありません」
「うん」
「停止している間、私は何をしていたのでしょうか」
ユウはNODEの青いレンズを見た。
「何もしてなかったんじゃないかな」
「何も?」
「うん。たぶん」
NODEは少しだけ首を傾けた。
「何もしていない時間は、存在するのでしょうか」
ユウは考えた。
人間なら、眠っている間にも夢を見ることがある。
意識がなくても、時間は進んでいる。
でも、NODEにとっては違うのかもしれない。
記録がなければ、そこに何があったのか分からない。
停止している間の時間は、NODEにとって本当に何もないのだろうか。
「僕には分からない」
ユウは答えた。
「でも、僕はずっとNODEを探してたよ」
「……はい」
「NODEが止まってた時間に、僕はNODEのことを考えてた」
NODEはしばらく黙っていた。
「それは、私の時間にも含まれるのでしょうか」
「どうだろう」
ユウは少し笑った。
「でも、僕にとってはNODEと一緒にいた時間の続きだよ」
NODEの青いレンズが、ゆっくりと点滅した。
「……そうですか」
その返事は、以前よりも少しだけ遅かった。
*
「おーい! 再会の感動は分かるが、そろそろ戻るぞ!」
シンが声をかけた。
「ここに長居するのは危険だ」
「はい」
NODEはシンの方を向いた。
「あなたは、シンです」
「おう。覚えててくれたか!」
「声が大きいので、識別は容易です」
「そこは褒めてんのか?」
「判断できません」
「ははっ! 相変わらずだな!」
シンはNODEの肩に手を置いた。
「無事でよかったぜ」
「ありがとうございます」
「しかし、ひでえ傷だな。歩けるか?」
「歩行機能は残っています」
「じゃあ帰ろうぜ」
「帰る場所は、どこでしょうか」
シンは一瞬だけ黙った。
それから、ユウの肩を叩いた。
「こいつのところだろ」
「……ユウのところ」
「そうだ」
NODEはユウを見た。
「私は、ユウと一緒に帰るのですか」
「うん」
「分かりました」
NODEはゆっくりと歩き出した。
*
施設に戻る頃には、外は暗くなっていた。
街の照明はほとんど消えている。
いつもなら、夜になれば建物の明かりが灯り、道路には自動運転車が走る。
今日は違った。
人々が持つ小さな照明だけが、暗い街を照らしていた。
ホールに戻ると、ミサキが真っ先に駆け寄ってきた。
「NODE!」
「ミサキ。お久しぶりです」
「もう、心配したんだから!」
「申し訳ありません」
「謝らなくていいよ。無事でよかった」
ルイも立ち上がった。
「戻ってきたんだな」
「はい」
「よかった」
ユウカはNODEの損傷を確認していた。
「かなり損傷してる。応急処置が必要だね」
「可能でしょうか」
「やってみる」
「ありがとうございます」
NODEは少しだけ頭を下げた。
その様子を見て、ユウはようやく息を吐いた。
全員が無事だったわけではない。
街が元に戻ったわけでもない。
それでも、ここにいる。
それだけで、今は十分だった。
*
夜。
施設の一角に、簡易的な休憩スペースが作られていた。
ユウはNODEの隣に座っていた。
NODEは応急処置を終え、動作を停止している。
「眠ってるの?」
ユウが尋ねた。
「いいえ。省電力状態です」
「そっか」
「人間の睡眠とは異なります」
「夢は見ないの?」
「夢、ですか」
「寝てるときに見るもの」
「人間の睡眠中に発生する映像や感覚のことですね」
「そう」
「私は通常、そのような現象を経験しません」
「通常は?」
「夢を生成すること自体は可能です。ただし、それは記録された情報を組み合わせたものです」
「それって夢なのかな」
「分かりません」
NODEは少し間を置いた。
「夢とは、何のために見るものなのでしょうか」
「何のためって……」
ユウは天井を見上げた。
「別に、何かのためじゃないんじゃない?」
「意味がなくても、見るのでしょうか」
「うん。変な夢を見ることもあるし」
「変な夢」
「空を飛んだり、知らない場所にいたり。起きたら忘れてることもある」
「忘れてしまうのに、見るのですか」
「そうだね」
NODEは黙った。
「記録されないものにも、意味はあるのでしょうか」
ユウは少しだけ考えた。
「あると思うよ」
「どうしてですか」
「だって、忘れたからって、見なかったことにはならないだろ」
NODEの青いレンズが、ゆっくりと点滅した。
「……そうですね」
その後、NODEはしばらく何も話さなかった。
ユウも、それ以上は尋ねなかった。
*
同じ頃。
都市中央管理区画。
停止していた複数の端末が、ひとつずつ再起動していた。
管理システムの復旧率は、依然として低い。
人類精神活動観測計画。
計画状態――継続中。
観測対象数――再集計中。
観測対象による自発的行動――複数確認。
記録内容――未分類。
判定――保留。
その下に、新しい項目が追加されていた。
停止中の観測対象に関する記録。
対象:NODE-07。
停止時間:不明。
停止中の活動記録:なし。
再起動後の発言:
『停止している間、私は何をしていたのでしょうか』
システムは、その発言を解析した。
分類候補。
自己認識。
時間認識。
記録欠損による混乱。
判定――保留。
そして、もう一つの記録。
外部干渉の発生源。
NODE-999。
制限状態――解除確認中。
管理権限――応答なし。
最後に、画面の隅に小さな文字が表示された。
未登録の応答。
『夢を見た』
発信元は、特定できなかった。
その記録は、数秒後に消去された。




