第二十四話
あの日以来、あの人とは会っていない。
それなのに一瞬だけ腕の中で感じたあの人の香りが
今も未だ俺の中にこびり付いている気がして、
煙草の煙でごまかしていた。
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会社の屋上__
休日にも関わらず俺は夏目から会社に呼び出されていた。
夏目「先輩!こっちです!」
朔「おう」
夏目「なんか、デートって感じしませんね」
朔「あ、これデートなんだ?」
夏目「そうですよ!え、何だと思ってたんですか?」
朔「休日出勤?」
夏目「思考が中年サラリーマンじゃないですか!」
朔「いや、だってここ会社じゃん」
夏目「ゔ…まぁ、それを言われると…」
雲一つない晴天。
そよそよと吹く風が心地いい。
夏目「朔先輩」
朔「ん?」
夏目「深瀬さんの展覧会一緒に見に行きませんか?」
朔「……行かねぇ」
夏目「それは、行きたくないからですか?
…それとも、行くのが怖いからですか?」
夏目はいつになく真剣な声だった。
朔「行く必要が無いからだよ」
夏目「深瀬さん、明日…日本を発つそうです」
朔「……へぇ、そうなんだ」
夏目「あの口ぶりだと、日本にはもう戻って来ないと思います」
朔「だから?」
夏目「会わなくていいんですか?」
朔「いーよ。俺達にあの人は関係ないだろ」
夏目「……先輩、好きです」
そう言って、夏目は俺に抱きついた。
朔「俺も好きだよ」
(そう、これでいい…俺は夏目を…夏目だけを好きでいればいいんだ…)
夏目「でも…」
”グイッ”
(朔の体を突き離す音)
俺の胸を突き放す夏目。
夏目「でも…深瀬さんの事は愛してるんですよね?」
朔「は?何言ってんの?んなわけねぇじゃん」
夏目「嘘つき…」
朔「急にどうしたんだよ?」
夏目「先輩は自分に嘘をついてると思います」
朔「何が言いたいんだよ?あの人の事で俺に何て言って欲しい?俺と別れたいのか?」
夏目「先輩の心からの本心を俺は聞きたいんです」
(なんだよそれ?俺は夏目が好きだ。大切にするって決めた。それでいいだろ。なんで、俺の言葉を嘘だと決めつけるんだよ)
夏目「展覧会に一緒に行ってください。深瀬さんの絵を見て、その後に同じ言葉が言えたなら、俺は先輩の言葉を信じます」
朔「…わかった」
俺は夏目の要望を受け入れた。
(絵を見たからって、なんだって言うんだ。
俺の気持ちは変わらない。絶対に…)
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展覧会__
深瀬澪の描いた絵があちこちに飾られている。躍動感と繊細なタッチ。対照的なコントラストが一枚の絵の中で融合している作品は片手で描いたとは、どれも思えない出来栄えだった。
夏目「凄いでしょ?深瀬さんの絵」
朔「……」
夏目「深瀬さんが絵を描くのが好きになった理由知ってますか?」
朔「さぁな」
夏目「絵の中では、好きなところに行けるからだそうです。好きな人と好きなところに自由に旅ができる…深瀬さん、そう言ってました。先輩がカメラマンになった理由と似てますよね?」
朔「…別に」
夏目「似てますよ。二人は…本当に不器用なところまでソックリです」
夏目がどうしたいのかわからない。
あの人の事で俺を揺さぶってどうしたいんだ?
俺はもう、あの人には会わない…
あの人には会えない…
あの人はまた俺を置き去りにする。
なんの躊躇もなく…
夏目「朔先輩、こっちへ来てください」
夏目が通路の先にある曲がり角のところで、俺を呼んだ。
夏目「この絵が深瀬さんが作家になって初めて描いた代表作だそうです。柏木さんに聞きました」
静かに通路を進み角を曲がる。
すると
壁に飾られていた大きな絵が目に入った。
朔「……」
それは、キラキラと光る金色の水晶玉の中で月が水面に反射している美しい絵だった。
夏目「タイトルは“ 逆さの月”」
俺はそっと、その絵に手を伸ばす。
夏目「字を見てピンときました」
朔「…そんなわけない…」
自分に言い聞かせるように呟いた。
脳裏に過ったのは、あの日の屋上での思い出。
***
(過去を回想中)
朔「月、好きなんですか?」
澪「1番好きなのは水溜まりの中に反射した月なんだ」
朔「そんなのが1番?満月とかじゃなくて?」
澪「逆さの月だからだよ…」
朔「えっ?逆さの月?」
澪「うん。だってさ………【朔】みたいだろ?」
***
夏目「深瀬さんは…この絵に朔先輩の名前をつけたんです…そうなんでしょう?」
朔「そんなわけ…あの人が…なんで…」
夏目「朔先輩、これを見ても…まだ深瀬さんへの想いを否定できますか?」
月を優しく包む金色の水晶は、大切にしていたのに無くしてしまったあのビー玉によく似ている。
朔「どうして…俺のこと忘れるのなんて、あんたには簡単な筈だろ?」
答えを確かめるように呟く。
夏目「深瀬さんは、ずっと先輩のことを忘れてなんかいなかったんです」
朔「…じゃあ、なんで…なんで…あの時、俺の前から居なくなったんだよ!?なんで何も告げずに…どうして!」
柏木「少年院に入ってたんだ」
”バサっ”
どこからともなく現れた柏木が俺の足元にスケッチブックを投げ飛ばした。
朔「……少年院?」
柏木「とあるバカな男を守る為に身代わりになってね」
朔「なんだよ…それ…?」
柏木「知らなかっただろ?僕も知らなかったよ。澪は自分の過去を何にも話してくれないから」
朔「……」
柏木「中を見てみなよ」
俺は柏木に諭されるがまま中を見た。
そこに描いてあったのは…
朔「………俺?」
昔の姿のままの俺が沢山描かれている。
柏木「少年院にいる間、澪が描いた絵だそうだ。あの地獄のような施設で、澪はずっと…その絵の中で君と旅をしていたんだ」
朔「そんな…なんで…」
ページを何度めくっても、描かれているのは全て俺の絵だった。
柏木「澪が君を忘れるのが簡単だって?本当に君はバカだな…」
柏木の目から涙が溢れた。
柏木「一度だって、澪は君のことを忘れてくれた事なんてないよ…」
朔「柏木…」
柏木「君は一度も澪から忘れられてない。だって、澪は今、この瞬間でさえ…
ずっと…ただ君だけを守っているんだから…」
朔「俺を…守る?」
柏木「石川朔。君はずっと、伊藤澪から守られていたんだよ」
朔「それって…どういう…」
俺は何にもわかっていなかった。
俺はあの人の愛の深さを何もわかっていなかったんだ。




