9話 聖女が魔法を控えてます。
今朝は焦げ臭い匂いに目が覚めた。
キッチンを見るとフィリアが黒くなったトーストを涙目で見ていた。
「申し訳ありませんでした」
2人で座卓に着いて最初に謝られてしまう。
「気にしなくていいよ。そんなに焦げてないし」
そう言いながら表面のこげたトーストをかじる。ジャムをたっぷり塗っており、苦味は気にならない。
「うん、ちゃんと美味しいよ」
今日は目玉焼きはなく、サラダとヨーグルトが添えられている。1人で食べていたトースト1枚と比べると満足感が段違いだ。
「……いただきます」
肩を落として申し訳なさそうな顔のまま、フィリアもゆっくりと食べ始める。
その指先に絆創膏が貼られていた。
「指、どうしたの?」
「あ……」
少しうろたえ、指を隠そうとし、眉を八の字にして笑った。
「申し訳ありません。少し包丁の扱いに失敗しまして」
「珍しい」
「トマトを切るときに滑りまして……」
珍しい……こともないのかな。そう言えば旅の途中も刃物は使ってなかったような? 切るのは護衛騎士か俺がやってた気もするけど、そんなことより。
「治さないの?」
いつもなら治癒魔法をすぐに使っていた気がするけど。
彼女は困った顔のまま視線を泳がせていた。
「あまり、魔法に頼るべきではないかなと。私も皆様と同じように魔法がなくても、聖女としていられるように控えております」
みんなは聖女ではないけども。
「フィリアがそうしたいなら良いけど」
なんだか昨日から調子が狂うな。
フィリアはコーヒーを飲んで一息付くと、スッと顔を上げて前を向く。
「見ていてくださいね。次は上手になりますからね?」
「はは、期待してるよ」
それから朝食を終えて、準備を済ませてから2人で学校へ向かった。
午前の授業を終え、昼ご飯を食べた後の昼休み。フィリアに連れられ図書室に来ていた。
他の利用者はおらず、図書委員が貸し出しカウンターの奥で本を読んでるだけの静かな空間だった。
「何か探し物?」
「はい、こちらの世界について色々書いてある物があればと思いまして」
「色々……図鑑かな」
本棚のジャンル分けを眺めがら合間を縫って歩く。
「絵で描いてくれているものも必要ですが、できれば言葉について詳しく書いている物もあれば嬉しいです」
そう言って2人で時点や図鑑のコーナーを眺めている。
「それなら百科事典と国語辞典かな」
大判で低学年向けの百科事典と、授業で使いそうな分厚い国語辞典を選ぶ。
「これとこれかな」
「すごく分厚いですね……」
机に置いて少しめくると目を輝かせた。
「わあ、見たことない物がいっぱいです」
初めて開いた幼少期のような笑顔を見せる。
教科書に載っているカラー写真にすら感動していたことを思い出した。
「あれ、そう言えば向こうって本あったっけ?」
「ありましたが、基本が写本のため、文章しかありませんでした」
返事の間も目線は百科事典に向けたままだった。
「こちらの印刷は素晴らしいですね。見たことないものをこんなにも知ることができるなんて、とってもステキなことです」
そう言いながら、開いたページがお菓子だったことを見逃さない。
とは言え、邪魔するのも悪いので時間いっぱいフィリアの隣で静かにしておくことにした。時々わからない言葉を辞書で調べ、どんどんとページを進めていたが、流石に昼休みは長くなく予鈴が響いて名残惜しそうに事典を閉じた。
「まだ読み足りません」
「そりゃそうだろうね」
顔に不服と書いてあった。
「借りて帰る? 重いけど、持って帰れると思うけど?」
百科事典も国語辞典も貸し出し禁止とは書いていない。
「え、ここで読むだけではないのですか?」
「うん、借りれるよ」
そう言って貸し出しカウンターを指差した。
「私、行ってきます」
フィリアは2冊を抱えて急いで貸し出し手続きを済ませる。
なんとか本鈴までに教室に戻り、午後の授業を受ける。その間、カバンにも机にも納まらなかった百科事典がずっと机の上で邪魔そうだった。
放課後になって抱えて帰りそうになったので俺の鞄に入れて帰ることにした。
「勇者様、重くないですか?」
帰宅中に何度も聞いてくる。
「大丈夫だよ」
いつもより少し思い程度だと、旅の荷物の方がよっぽど重かった。
「ても解析魔法あるなら、百科事典なんていらないんじゃない?」
「あら、勇者様。汝魔法に頼ることなかれ、ですよ?」
それは護衛騎士の口癖だった。
「それ、懐かしいな」
「彼女は騎士団ですからね。不便を美徳でしたし、魔法は戦道具でしたから。ふふふ」
少し懐かしく、釣られてこっちも笑ってしまう。
俺の感覚では数ヶ月前にはまだ異世界にいて、2年も魔王を倒す旅をしていたんだ。その間もフィリアの魔法に助けられたけど、魔法を使うたびに護衛騎士が口酸っぱく注意して来ていた。
「今になって改めて、彼女の言っていたことが身に沁みます。楽をするために使う物ではないのだと」
少し真面目な顔で夕陽を見ていた。
「私はこの世界を学びたいのです。解析魔法では、目で見たものしかわかりません」
背筋を伸ばし、すーっと息を吸って見つめ返してくる。
そのまっすぐな瞳にどきっとした。
「勇者様はあちらの旅で私たちの世界を知り、国を守ってくれました。今度は私がこの世界を学ぶのです」
俺の手を取り、胸の前に持っていく。
「勇者様のそばにいるために」
言葉が胸にのしかかる。そのまっすぐな言葉が向けられるたびに、胸が苦しくなった。
勇者様、か。
わずかな落胆を飲み込み、笑って見せる。そんな俺に気付かずか、フィリアは手を掴んだまま走り出した。
「さあ、そのためにも早く帰りましょう!」
「急にどうして?」
「早く続きを見たいので!」
すでに知識欲に囚われている。
それでもやりたいことに一直線で、いつものフィリアに安心した。
それでこそ勇者の聖女様だ。
家に帰って部屋着に着替えると、すぐにフィリアは図書室でしたように百科事典と国語辞典を並べて両方を交互に見始める。そんな隣で遊ぶことも気が引けて、仕方なく俺も勉強を始めた。
しばらくそうしていたけど、1時間とせず俺の集中力は切れてしまう。シャーペンを置いて、百科事典を追いかけるフィリアを見た。変わらず楽しそうな顔をしていた。
邪魔しないようそっと立ち上がって先に晩御飯の準備を始める。
「勇者様、いけません」
「え、何が?」
「料理は居候の身である私の仕事ですと、前から申しております」
少し頬を膨らませ、不服を申し立てられた。
「いやいや、たまにはやるよ? フィリアは今、俺の世界を知るため一生懸命じゃないか。それはやっぱり嬉しいからね」
応援してるよ、と続けると顔を赤くして引き下がる。ゆっくり事典に戻ろうとしてこちらに向き直った。
「では、先にお風呂洗ってしまいますね!」
そう言ってパタパタと風呂場へ駆け込んで行った。シャワーで流している音を背中に聞いて、始めてこっちに来た夜も風呂場の掃除をしていたことを思い出す。
「そう言えば、あの日は魔法で全部やってたっけ……」
そうつぶやき、今は洗剤とスポンジで浴槽をこするフィリアの姿を思い浮かべる。ファンタジーな聖女が現代の掃除をする姿は正直かなりシュールな印象だった。
それでも最近では彼女も慣れたものであった。
あれ……
「そう言えば、最近魔法使ってないな」
1人でこぼした言葉は何かを思い出しそうだった。
結局何も思い出せなかったけど、その夜は妙に護衛騎士の顔がチラついた。
あれ、なんでだっけ……




