2話 聖女との同棲生活は前途多難です。
「ちょ、ちょっと待って」
「いいえ、待てません」
上着を脱いでフィリアが迫ってくる。
「でもまだ準備が」
「必要ありません」
ゆっくりと、その細くキレイな手が伸びてくる。
「でも、そんなに急がなくても……」
「いいえ、少しも待てません」
ガッと力強く両肩が掴まれる。そのまま横に退けられ、立ち塞がっていた風呂場へ侵入される。
「お風呂です!」
そこは転移前、いや1人暮らしを始めた去年からちゃんと掃除していない。排水や浴槽は簡単に掃除しているものの、あまり触らないところは汚れがたまって色が付いている。
「掃除するから待ってって……」
「いえいえ、ご厄介になる身として、家事はお任せください」
また魔法によって清掃具どんどん動き、目に見える汚れがキレイになっていく。
「料理でも思いましたが、水が贅沢に使えるのはすごいですね」
「ああ、水道が整備されてるから」
異世界から帰ってきて俺も感動した。
「誰かが汲んで来なくても良いのは助かるよね」
「さて、終わりました」
ピカピカになった風呂場を見てさらに感動する。
「いつ見てもすごい、見事な仕事です」
「ふふふ、どうですか? 私がいると便利ですよ?」
腰に手を当て胸を張る。ドヤる姿のかわいさについ見惚れるところだった。
玄関から部屋の中の隅々まで掃除され、キレイに片付けられてしまった。出たゴミもしっかり分類されてゴミ袋に収まっている。
「向こうでも助けられたけど、現代適応して料理に掃除まで……」
「ふふふ、末長くお傍で役に立ちますよ?」
フィリアはまるで旅に出た初めの頃のように役立つことを強調してくる。もうそんなことをしなくても、俺は……
フィリアはいつもしていたように自然な動作で湯沸かしのスイッチを押し、お湯の蛇口を捻って浴槽にお湯を貯め始める。
「本当になんでもわかるんだな」
「どこの世界でも物は使い方を知ってるんですよ」
風呂場から出てくると、さてと手を叩く。
「さあ、脱いでください」
「なんでそうなるの!?」
「ふふふ、お任せくださいと申しましたよ?」
理論が飛躍するのもいつも通りだ。
「家主のお背中を流すのも従者の役目ですので」
いや、彼女の中ではしっかりとつながっているのだった。
聖女修行の頃、洗い方が良いとお姉様方に褒められていたと自慢していたのを思い出す。
でもそれって男子禁制、百合の園!
「フィリアは十分やってくれてるよ!」
「まだまだです。旅の途中は機会もありませんでした。ここはフィリアに洗われてはいただけませんか?」
下から伺うようにおねだりしてくる。
「いやいやいやいや」
ダメダメ、それだけは絶対ダメ。
「この世界では自分の体は自分で洗うの!」
「あら、そうなのですか?」
よし、こちらの常識とすれば押せそうだ!
本当に残念そうに肩を落としている。
「そう、そうなんだよ。ダメなの」
「少しだけとか」
「少しでもダメです」
「では、一緒に入るのは?」
「もっとダメ!」
思わず大きな声が出た。
フィリアは唇を尖らせむくれている。一体誰にこんなことを吹き込まれたのか。
「ほ、ほらよく見て」
風呂場のドアを開いて中を見せる。
「さっき見たと思うけど、洗い場は狭いし浴槽も狭い。2人で入れる物じゃないんだ」
「むぅ……わかりました」
「わかってくれて良かった……」
心の底から安堵した。今はきっと耳の先まで赤くなってる。一息ついて勉強机に腰掛ける。
「ほら、転移してきて疲れてるだろ? 結局授業終わりまで待たせちゃったし。ここまでも、人目を避けたから大変だったろ」
「いいえ、それでしたら勇者様も」
「俺は大丈夫だよ。身体強化使えるし」
フィリアは身体強化は苦手だった。体力的にも普通の女の子で、旅の途中もよく騎士が引く馬に乗っていた。
「色々やらせたけど、今日はお客さんだから、お風呂も先に入ってよ」
「……わかりました」
何か考えた後、フィリアは自身の服に手をかけ、脱ぎ始める。
「待って待って!」
「はい?」
慌てて立ち上がる。
「いや、わかってる。風呂に入るんだね?」
「はい。そうです」
俺の前で服を脱ぐ。そのことになんの躊躇もないようだ。
「俺、ベランダで待ってるから!」
急いでベランダに出て内側のカーテンを閉め、窓を閉める。
部屋に背を向け座り込む。
「風呂側と、玄関側にもカーテンつけなきゃな……」
まだ心臓が駆け足しているようだった。早くフィリアにこっちに馴染んでもらわないと俺が持たない。それに聖女と元勇者がこんな生活していると知れたら、護衛騎士に刺されかねない。
しばらく星空を眺めていた。
異世界だと星が明るくてよく見えたけど、こっちは少し見えにくい。
コンコン、と窓をノックする音がした。振り返ろうとする。
だが窓の向こうに肌色の人影が見えた瞬間、サッと外へと向き直る。
「勇者様、タオルは勝手にお借りしたのですが、服はどれをお借りすればよろしいですか?」
「あ、着替えね」
驚きすぎて声がひっくり返りそうだ。
でもどうする? 女物の服なんてないぞ?
「この、ジャージというもの、お借りしても?」
「ああ! 着れそうなら大丈夫!」
動揺して声が大きくなる。
ジャージ……ジャージか。
俺のジャージ。
俺のジャージをフィリアが着るのか?
少しして背後の窓が中から開かれる。
「勇者様、お風呂ありがとうございました。
伺っていたシャワーもシャンプーも、どれも素晴らしいです。見てください」
振り返ると長い髪を手ですくってゆっくり流し落としていた。
「香油がなくてもツヤツヤのサラサラです!」
嬉しそうにしているフィリアが少し眩しかった。
銀髪美少女が俺の部屋で俺のジャージを着てはしゃいでいる。
「それにこのジャージ。ゆったりしているのにしっかり服です。これを男女問わず着ているなんて羨ましいです」
少し余った袖をまくり、両手を広げてジャージを見せてくる。俺の持ち物だったはずが、フィリアが着ているともっと良い物に思えた。
「お気に召したようで何より」
「うわ」
そのままフィリアが飛び出してくる。
「夜なのに明るいですね」
ベランダから見える外はそう広くない。地上4階だし、道を挟んで同じくらいの高さに建物に囲まれており、遠くまでは見渡せない。他の家からこぼれる明かりや街頭で真っ暗には程遠い。
見上げた空も異世界で見た夜空とは比べるまでもなかった。
「明るくて星もあまり見えない」
「それでも素敵な星空ですよ」
見られている気がして、フィリアの方を見るとまっすぐに見つめてきた。
「あなたと見れる星空です」
優しく微笑まれ、目を奪われる。
思い出すのは初めて会った日、聖女の奇跡で呼び出された俺は大勢の大人に囲まれて萎縮していた。値踏みする大人、見下す大人、怒っている大人、誰であっても敵意のような棘を隠さず近づいてくる。
そんな中、フィリアだけは優しかった。
「勇者様が無事お役目果たされますよう、お手伝いいたします。私はお役に立ちますよ?」
そう言って、ずっとそばで助けてくれた。
護衛騎士に止められても必ず旅に着いてきた。心が負けそうなときは必ず支えてくれた。
フィリアはずっと役に立とうと、ずっと助けてくれていた。
それなのに……
「すぅ……すぅ……」
ベットの上で無防備に寝息を立てていた。
電気を消した暗闇で、彼女の息や微かに動く音に過敏になる。
風呂を出るとフィリアはすでにベットで寝ていた。そういえば旅の途中も日が沈むとすぐに寝ていたっけ。
電気を消して床に座るも、眠気どころかどんどん目が冴えている気がする。
「ん……」
漏れ聞こえる声に心が乱される。
いや、無視するんだ。
ずっと、魔王を倒すまでずっと支えてくれたフィリアなんだぞ……
そんな目で見たら……
「勇者様……」
急に熱が冷めていく。
ここまで来てくれたけど、彼女にとっては勇者の補佐という役割を果たしてるってことなんじゃないか。
フィリアにそっとタオルケットをかけて、自分は座布団を枕にして床に寝転がった。
彼女の前ではちゃんと勇者様でいなくちゃ。
そう、思っているのだけど。
「ん、ん……」
俺の意思は寝息のたびにグラついた。
ダメだ。
落ち着け、俺。
フィリアは俺を信頼してくれているんだ。
強い意志を持って眠ろうとしていたが、窓の外側明るくなっているのに気づき、意識を失った。
朝、目覚めると、何故かフィリアは怒っていた。
「勇者様、なぜ床で寝ていたのですか」
休日の遅めの目覚ましに彼女が驚き、その声に驚いて起きて目覚ましを止めると改めて床に座らされた。
「なぜ、と申しましても」
「確かに、先にあなたのベットで寝てしまったのは無作法でした。ですが私を起こして移動させるとか」
真剣な眼差しで口をへの字に曲げている。
「いや、流石に男がベットで寝て、女の子を床で寝かせるなんてできないよ」
「では一緒に寝れば良いではないですか」
「一緒のベットはもっとダメだよ」
「何故ですか?」
「何故って……」
本当にわからないのか、非難する目が自分が間違えている気すらしてくる。
「男女は結婚するまで一緒に寝たらいけないんだ!」
「雪山では身を寄せ合ったじゃないですか!」
「それは、非常事態だっただから!」
口論の末、ついにお互い肩で息を始める。
言い合っても仕方がない。ゆずれない。両手を上げて手のひらを見せる。
「じゃあ、布団と服。これを買いに行こう。今ないから揉めるなら、買えばいいんだ」
そう言っても仕送りはそんなに贅沢に使えない。でも貯金が少しあるから大丈夫なはず、たぶん。
提案する俺を見てフィリアは目を丸くして、今度は眉をへの字にする
「私としたことが、お金を持ってきていませんでした」
「気にしない。俺があっちにいた間は全部出してくれただろ?」
「呼び付けた者として当然です」
「どうせお金が違うから、持って来ても使えないよ。帰る方法が見つかるまではなんとかするよ」
「帰る……」
そう呟き、フィリアの動きが固まる。
何かおかしいこと言ったかな?
「フィリア?」
「! いえ、なんでもありません」
居心地悪いのか急いで立ち上がり、昨日脱いだ服に手をかける。
「待った! それを着る気か!?」
「? いけませんか?」
彼女の服は白を基調とした聖女装束だ。長い上着とワンピースを重ねたような作りで、街を歩けば注目されてしまう。
「こっちの服と違うからすごく目立つと思う」
「ではどうしましょう?」
「色々売ってる店が近くにあるから、ジャージのままで良いよ」
「この、まま……」
急に頬を赤くして胸元とお腹の前を手で隠す。
「どうしたの?」
「いえ、寝巻きにしましたので、その……下は……」
俺の中で何かが走る。
彼女が脱ぎ捨てた服を見ると、肌着のようなものが見えた。
「さすがにこのまま外へ行くのは恥ずかしいと言いますか」
「ごめん! 下着は着て! 出て待つから!」
大慌てでベランダに逃げ出した。




