19話 聖女じゃなくても。
朝、目が覚めるとフィリアの姿はなかった。
ベッドは布団が綺麗に畳まれて、その上にパジャマが畳まれている。
キッチンにも、風呂にも、姿はない。フィリアがこっちで使っていたジャージ、制服、化粧ポーチに通学に使った鞄や靴までそのまま残されていた。
押入れの奥に片付けていたはずの、こちらへ来た日に身に付けていた服と靴だけがなくなっていた。
これはつまり……
「自分から出ていったと……」
言葉にすることで足の力が抜け、膝から崩れる。
昨日の自分の言葉を思い返す。
フィリアはどうしたい?
フィリアが望むなら、帰った方が良い。
確かにそれは言った。
「言ったけどさ」
まさか何も言わずに出て行かれるとは思っていなかった。
ベッドに深く腰掛ける。
揺れた振動でフィリアの匂いがした気がした。
もう出ていってしまった後だというのに。
出て行かれたという事実が頭の中を覆い被さる。
いつもそうだ。
状況が来て、後から覚悟させられる。
異世界に転移した時も、魔王を倒して帰還した時も、そして今だ。
こっちの気持ちなんて待ってくれない。
「はああ……」
しばらく経ってからも何度目かわからないため息をこぼした。
何もしないまま時間だけが過ぎていく。
ふと鞄の中でスマホが震えている音が聞こえた。
取り出すと電話の着信画面に叔母さんの名前が表示されている。
出ようかと思ったところで着信が消える。
待受を見ると学校からも含めていくつも着信履歴があった。時計を見るとすでに1時間目が始まっている。
「学校か……」
行く気にはならなかった。
いつも一緒に行っていたのに。
「はああ……」
またため息が漏れる。
遠くから足音が聞こえてきて、扉の前で立ち止まる。
フィリア?
まさかと思って立ち上がる。
ドアを開けてのぞいた顔を見て肩が落ちる。
「お、まだいたね」
「良美さん」
叔母さんはグイグイと部屋に入ってきて中を見渡す。
「あれ、フィリアちゃんは?」
名前を出されて苦しくなる。
「帰った」
できるだけ短く吐き出した。
それを聞いた叔母さんは目を見開いてアングリと口を開ける。
「帰った? なんで」
「迎えが来て、聖女の役割がどうって……」
どこまで話すか悩み、うまく説明できない。
「それでフィリアちゃんはなんて?」
「フィリアは何も」
「言わずに出ていったって?」
言葉にされて胸がえぐられる。
「そんなことしないと思うけどなー」
「え」
「え?」
変な声が出た。
叔母さんも同じような声で返して来る。
「今、なんて」
「フィリアちゃんが何も言わずに出ていくかってこと。そんな子じゃないでしょ」
確かにそうだけど、昨日の俺の言葉からフィリアが思い至ったならそんなこと、でも。
「わからないだろ、そんなの」
「まあ、確かに思い込んだら一直線ぽい子だもんね」
それは確かにその通りだ。
叔母さんは腕組みをして思い返すように目をつむる。
「向こうのしがらみやらなんやかんや手放してさ。あんたのために来た子でしょ?」
「そうだけど」
「そんな子が迎えが来たからで帰るかな?」
「それは」
言いかけて言葉に詰まる。
「或斗、余計なこと言ったんでしょ」
「う……」
図星過ぎて言葉も出ない。
「大体想像付くわ」
やれやれとため息を吐かれる。
「何がわかるのさ」
「どうせフィリアちゃんが望むならとか、役目があるならとか、帰ればいいみたいなこと言ったんでしょ?」
「ぐ……」
何も間違えてなかった。
「あんたもシャッキリしなさいよ?」
バチンと腕が音を上げる。
叔母さんが腕を打ち抜いていた。
「あんたのそばにいたくて来た子でしょ? 自分の気持ちを大事にしてる子にさ」
痛がる俺の肩に手を置いて顔をのぞき込んでくる。
「あんたの気持ちを伝えなくていいの?」
「俺は」
「どうせ一度も言ったことないんでしょ?」
「なんでそんなことまで!」
物知り顔でズバズバ言われ、思わず声が大きくなる。
「わかるわよー。ちっちゃい頃から見てるんだから」
言い返す言葉もなく歯噛みする。
「まだ間に合うなら言ってきな?」
「ぐう」
叔母さんへの苛立ちを飲み込み、玄関に向かう。
「ちょっと、そのままで行く気?」
言われてパジャマであることに気付く。
「女の子迎えに行くなら決めに行くんだね」
俺が部屋に戻ると、叔母さんは入れ違いに出て行こうとする。
「あ、学校には用事で欠席って言ったから」
「ああ、ありがとう」
「うん、がんばれ或斗」
ドアの隙間から言い残し、足音を上げて去っていった。
ありがとう、良美叔母さん。
俺はフィリアに伝えに行くよ。
朝早く、町が起き始める前に家を出た。
まだ暗かったけど、勇者様が起きる前に片付けも着替えも済ませられたのは幸運だった。
暗い中で学校を目指す。聖女服で通学路を歩くのはいつもと違って少し楽しい。
元の世界から来てきた服に着替えたのは、そのまま帰ることになっても何も持ち帰らないためだった。だから持ち物も全て部屋に置いてきた。
ただ一つだけ、部屋の鍵は持ってきてしまった。
ダメだな……未練になる。
勇者様は帰った方が良いと言った。その前も私がどうしたいか聞いていた。
私に聖女じゃなくても良いと言ってくれていたけど、やっぱり……
「迷惑だったでしょうか」
気持ちが沈んでしまう。
リビアが来なければ、このまま続けられたのだろうか。
いえ、どちらにしても勇者様に帰った方が良いと思われてしまった以上、残ってはいけませんね。
時間はかなり早いけど、学校の近くまで来ていた。
改めて見ると大きな建物です。3階建てが4棟もあり、公会堂に体育館、運動場に水泳場と、あっちでも滅多に見ない規模でしたが、こちらではそう珍しくもありません。
以前行ったショッピングモールなど、王宮より大きかったのではないでしょうか。
学校の敷地に侵入し、校舎を眺めていると目的の人が向こうから現れた。
「フィリア様、お早いお越しで」
リビアはさっと近づいて来ると仰々しく頭を下げる。
「やめて、リビア」
顔を上げたリビアは満面の笑みだった。
「そんなに嬉しいの?」
「もちろんです!」
目を開いて真剣な表情で迫ってくる。
「礼拝の時間に消えたと聞いた時、それはもう居ても立っても居られませんでした」
大仰に手を広げて心配の度合いを表現している。
「それが転移魔法の類いだとわかった時は、調査にきた魔法使いを蹴飛ばして、大急ぎで探させました」
「蹴飛ばし……転移は大魔法です。解析だって簡単ではないのに、また人に無茶をさせて……」
自分の正しさの証明に人に同じことを強いる。
相変わらずの強引さに呆れてしまう。
「はい。ですが、当代の聖女の行方とあらば、何を置いても調べるのは当然です」
まるで自分の成果を褒めて欲しい子どものよう。
「当代……」
リビアの言葉に一つ気がかりがある。
私は来る前から、自身の役目について考えていた。
その結論として、
「ねえリビア。聖女継承は終わった?」
リビアの動きが止まる。笑顔が固くなり、自分の成果を自慢する輝きは失せていく。
「他の聖女見習いはよく育っていました。私がいなくても聖女は途絶えず、国への祈りは問題ないよね?」
リビアの肩が落ちる。アピールに上がった息も落ち着き、詰まらなさそうに口を曲げた。
「見習い一位が継承しました。二位が側仕え筆頭となり、すでに次代の新体制が聖女業務を執り行っております」
苦しそうにリビアが言葉をつむいでいる。よほど継承が行われたことが不満のように。
「やっぱり、次世代も優秀でしたね」
だからこそ、私も安心していたのだけど。
「ですが、聖女の魔力の扱いや起こせる奇跡はフィリア様の足元に及ばす」
「それは戦時ゆえ。今は魔王も倒しました。もう先代となった聖女は必要ないでしょう?」
「うぐ」
そうだ。
強い勇者も、勇者を呼べる聖女も、もう必要ないのだ。
「ですが、聖女が急に役目を放棄するなど」
それを言われると耳が痛い。
正しく継承してから来るべきなのはもっともだろう。だけど私は勇者の聖女としての役目を果たすため、こちらに来たいと祈ったのだ。
祈りはしたものの、急に来ることになるとは思わなかった。
「それは……混乱させたと思うし、申し訳ないことをしたと思うわ」
私の言葉にリビアの顔が明るくなる。
「そうでしょう? でもご安心ください。戻っていただければ、皆も喜んで迎え入れてくれますよ」
「私は……」
戻りたくないとは言わない。だけど戻りたいわけではない。
勇者様のそばにいたい。
でも、昨日聞こえてきたのは、
『帰った方がいいと思う』
あの一言が、私をここには居させてくれない。
「ねえ、リビア」
「はい、フィリア様」
「勇者様とは何を話していたの?」
「なんのことでしょう」
再びリビアの顔が固くなる。
「私は最近、勇者様と同じ生活をして、一緒にいられる嬉しさを知りました」
「そ、それはようございました」
「でも昨日、あなたと分かれた後、勇者さまの部屋に来たのは、あれはあなたよね?」
リビアは口を閉ざし、私は続けた。
「勇者様だけを外に連れ出し、私に聞こえないようにして、あなたは何を話していたの?」
「それは、ですね」
なんとも歯切れが悪く、言葉が続きそうになかった。
「私ね。
勇者様と暮らして、学校に通って、役目を忘れて過ごしていたわ」
リビアは口を閉ざしたまま眉を寄せている。
「聖女だった頃も何一つ嫌だと思ったことはないけど、こちらでの生活はとても楽しかった」
私よりも役目を重視するリビアに取って聞き入れ難いとばかりに顔色が悪くなる。
それでも私は続けた。
「勇者様がね。私に聖女じゃなくて良いって言ってくれたの」
そうだった。
自分で言って思い出した。
「私に、フィリアにいて欲しいと言ってくれたの」
自分で口にするだけで胸の中が暖かくなった。
「……あの男め」
リビアが顔を険しくして地面を睨みつけている。
「あなたが何故そんなに勇者様を嫌っているか知らないけど、私はあの人と一緒にいたいの」
「フィリア様!」
咎めるように大きな声になっている。
「やっぱり、勇者様と話をして来るわ」
「ダメです!」
「許可は求めてない。私は私の考えで聞くのだから」
構わずリビアに背を向けて家に向かおうと歩き出す。
「行かせません」
リビアの低い声が聞こえた。次いで何かが弾ける音に嫌な気配を感じる。
「え」
振り返ろうとした背に痛みが走る。
視界が地面に横倒しになった。
「ワガママもここまでです」
リビアの言葉が耳に届くより、視界が暗くなる。
手足は先まで動かない。
嫌だ。
私、勇者様に伝えてないのに。
もがく意識さえ、暗い中へと落ちていく。
ああ……勇者様……




