第38話 鬼影衆カスミ
夜が明け、薄い霧が荒地を覆っていた。
アーレンは寝ぼけ眼をこすりながら、キャンプの外れへと歩いていった。
「ふあぁ……昨日はよく眠れ……」
その言葉は途中で途切れた。
足元に、黒い影が転がっていた。
「……っ!?」
黒い鎧に包まれた地底人の死体だった。
首元には、鋭い刃物で一撃で断たれた跡。
血はすでに乾き、夜の間に倒されたことがわかる。
アーレンは反射的に後ずさった。
「な、なんだこれは……!?」
驚愕と恐怖が混ざった声が、朝の静寂を破った。
その声に釣られ、兵士たちが次々集まってくる。
「アーレン隊長!? 何が──」
「うわっ……!」
「地底人の死体だ……!」
「こんな近くまで来ていたのか!?」
瞬く間にキャンプは騒然となった。
「誰か、こいつに気がついた者は?」
「殺されたりした者はいないか?」
パニックになりかけている者もいた。
こんな近くに接近されたのに、誰も気がつかなかったのだ。
兵士たちは死体を囲み、口々に叫び始める。
「昨日の夜、誰も気づかなかったのか!?」
「透明化していたんじゃ……?」
「いや、こんなに近くまで来られて……
「俺たち、寝てる間に殺されててもおかしくなかったぞ!」
「明日は……いや、今日かもしれん……次は俺たちだ……!」
恐怖は瞬く間に広がり、
兵士たちの顔から血の気が引いていく。
アーレンは必死に声を張り上げた。
「落ち着け! まず状況を──」
だが、誰も聞いていなかった。
兵士たちは疑心暗鬼に陥り、
互いに不安をぶつけ合うばかりだった。
その様子を見ていたシオリは、胸が締め付けられるような感覚に襲われた。
(……このままでは、部隊が瓦解してしまう……)
彼女は静かに息を吸い、
内響を深く沈める。
(カスミ……こちらに来てください。
皆の前に姿を見せてください。
今は、あなたが必要です……)
その呼びかけに、
空気がわずかに震えた。
次の瞬間…
兵士たちの背後に、
“ふっ”と黒い影が立っていた。
誰も気づかなかった。
誰も気配を感じなかった。
ただ、そこに“突然”現れたように誰もが思った。
その場にいる兵士たちが呆然としているのを横目に、その影は口を開いた。
「……皆さま、落ち着いてくださいませ。」
静かだが、よく通る声、
後ろでまとめられた黒髪、
大きく澄んだ黒目、
透き通るような白い肌、
俊敏そうな細身で無駄のない体つき。
兵士たちは一斉に振り返り、
息を呑んだ。
「なっ……!?」
「いつの間に……!」
「ど、どこから現れた……!?」
影は一歩前に出て、
地底人の死体を見下ろした。
「これは、我らが昨夜、排除した者の一人です。
皆さまが眠っている間、周囲の脅威はすべて処理いたしました。」
だが、兵士たちは、正体不明の人物の出現に、再び恐怖を感じた。
「ひっ……!」「ど、どこから現れた……!?」
地底人の死体を見た時とは違う、
“味方かどうかすらわからない存在”への恐怖だった。
影は静かに頭を下げた。
「驚かせてしまい、申し訳ありません。」
だが、その丁寧な所作すら、兵士たちの不安を完全には拭えない。
「な、なんなんだ……この人たちは……」
「味方……なのか……?」
「一体、どこから現れたんだ……」
ざわめきは収まらない。
シオリは一歩前に進み、
落ち着いた声で兵士たちに語りかけた。
「皆さま、どうか聞いてください。」
その声には、不思議と人を落ち着かせる力があった。
「この者たちは、小島家に仕える“鬼影”と呼ばれる者たちです。
私が幼い頃より、影のように私を守ってくれていました。」
兵士たちは息を呑む。
「鬼影……?」
「東国の……影の護衛……?」
シオリは続ける。
「カスミたちは敵ではありません。
皆さまを守るため、昨夜も周囲の脅威を排除してくれました。
どうか、恐れずに。」
兵士たちのざわめきは、少しずつ静まっていった。
だが、イオリだけは別だった。
妹の前に突然現れたカスミを、
鋭い眼差しで睨みつける。
「……シオリ。
こやつらがなぜここに?誰の命によるものだ?」
その声音には、
妹を守る役目を奪われた兄の複雑な思いが滲んでいた。
カスミは静かに答える。
「お館さまの命にございます。」
イオリは眉をひそめる。
「父上が……?」
シオリは苦笑しながら言った。
「兄さまの影嫌いは知っております。
でも、ずっと私たちを守ってくれていたのです。」
イオリは黙り込んだ。
納得はしていないが、仕方ない。
結果的に全員が生きているのだから…
一方、アーレンはカスミを見つめながら、ぽつりと呟いた。
「……また東国の神秘を見た気分だ。」
その声には、恐怖よりも驚嘆が混じっていた。
「気配を完全に消すなんて……
あれはもう、人の技じゃない。」
カスミは淡く微笑んだ。
「人であることに変わりはありません。
ただ、影としての務めを果たしているだけです。」
アーレンは苦笑した。
「その“務め”が、俺たちの命を救ってくれているわけだ。」
カスミは深く頭を下げた。
「イオリさまとシオリさまの安全を守ることが、我らの使命です。」
兵士たちはまだ完全には落ち着いていないが、
落ち着き払ったシオリの説明とカスミの態度により、
恐怖は徐々に薄れていった。
だが、この朝の出来事は、
“何かが迫っている”という不穏な予感を
全員の胸に刻みつけることになる。




