第3話
ブランとルージュは、我が家の「のんびり」というルールに、まだ完全には順応できずにいた。
朝、微睡みから覚めるとまず私の姿を必死に捜し、床に膝をついて「今日の任務」をたどたどしく尋ねてくる。昼は日向ぼっこを命じられ、夕方は庭の軽い散歩を勧められ、夜は柔らかな絹のベッドに沈む。
そのすべてが彼らにとっては未知の「命令」であり、過分すぎる「贅沢」なのだ。
特にルージュは、戦闘用として過剰に調整されたその強靭な身体の扱いに困惑していた。
手入れされた庭の芝生の上、大きな拳を無意味に握り締め、所在なげに立ち尽くしている姿を何度も見かけた。酷使された筋肉は修復され、緑の脈管には培養液が力強く流れているというのに、叩き壊すべき敵も、運ぶべき重荷もここにはない。
代わりに私が彼に与えるのは、ただ「そこに座って、私を見ていなさい」という、ひどく簡単な拘束だけだった。
対するブランは、もう少し素直に甘やかされ始めていた。
エメラルドグリーンのドレスの襟元を少しずつ着崩し、胸元の白い花を贅沢な陽光に晒しながら、ソファの上で小さく丸くなる。時折、私が近づくと、歓喜と気恥ずかしさに白磁の花弁を細かく震わせて目を伏せた。
ハチミツの味を覚えてしまった彼女は、午後のティータイムが近づくと、チラチラと銀のトレイの方を盗み見ては、すぐに自身の浅ましい欲を恥じるようにふくよかな唇を噛むのだった。
そんなある穏やかな午後、私は二人を温室へと連れ出した。
全面ガラス張りの天井から降り注ぐ光は、居間のものよりも一段と濃く、蜂蜜のように甘い。
壁一面に這う蔓植物たちが、微かな温風に揺れて葉を鳴らしている。中央には大きな円形のソファベッドが鎮座し、ふかふかのクッションと薄いレースのカーテンが、まるで巨大な花弁のように彼らを迎える準備を整えていた。
「今日はここで過ごしなさい。特別に、土の匂いを嗅ぐことを許すよ」
私が告げると、二人は揃って息を呑んだ。
植物人間にとって、土は本能の記憶そのものだ。
ルージュはゆっくりと巨体を屈めて膝をつき、無骨な素手で柔らかい培養土に触れた。黒い土をすくい上げる指先が、微かに震えている。かつて戦場で血と泥に塗れていたその手が、今はただ、生命を育む温かい土を掴んでいる。その官能的な感触に誘われるように、彼の胸の深紅の花がゆっくりと開花し、濃厚な香気を放った。
ブランの反応は、もっと直接的だった。
ドレスの裾を愛らしくたくし上げ、裸足のまま黒い土の上へと降り立ったのだ。足の裏が温かい土に沈み込んだ瞬間、彼女の緑の髪がサッと瑞々しく輝き、白い花が歓喜に大きく震え、香気を爆発させた。
「……あ……あたたかい……、主人様……」
溢れた声が、熱を帯びて甘く空間に溶けていく。
私は少し離れた籐の椅子に深く腰を下ろし、いつもの紅茶を啜りながらその光景を眺めた。
二人が土に触れ、陽光を貪り、互いの花の香りに包まれながら、徐々に野生の緊張を解いていく。その様子は、極上の美術品が自ら真の命を宿していく、至高の瞬間だった。
ルージュがふと顔を上げ、迷子のような瞳で私を見つめた。
「主人……本当に、私たちに何もさせないのですか? 私たちは……たとえ手足が壊れたままでも、戦うことができます。あなたを守ることだって……」
未だに己の価値を、誰かに「役立つこと」でしか証明できないらしい。
私は愛おしさに微笑み、静かに首を振った。
「君たちはもう、十分に『役立っている』よ。ほほが緩むほどにね。ほら、見てごらん」
私は自身の胸にそっと手を当てた。
「私の心が、こんなにも満たされている。これ以上、私が何を望むというんだい?」
ブランが土から顔を上げ、頰を薔薇色に染めてこちらを見つめた。白い花弁の先端が、照れたように内側へ小さく巻いている。ルージュは言葉を失い、再び土の塊へと視線を落とした。その大きな背中が、感情の揺らぎで微かに上下している。
「ほら、君たちの本能も感じているだろう? この家は、君たちを絶対に傷つけない。君たちが私の所有物である限り、理不尽な痛みを引き起こすものは何一つ存在しないよ」
私は立ち上がり、二人の間へと静かに近づいた。
右手を伸ばしてブランの柔らかな頰を、左手を伸ばしてルージュの硬い顎を、そっと均等に持ち上げる。
二人の瞳が、至近距離で私の顔を映し出した。怯えの色彩はもう薄れ、代わりに深い戸惑いと、わずかな──まだ名前のつかない熱い感情が揺らめいている。
「ブラン。ルージュ。君たちは私の至高の『宝物』だ。飾るための、愛でるための、眺めるためのね。それでいいんだよ。それだけで、君たちは私をこの上なく幸せにできる」
ブランが、消え入りそうな声で囁いた。
「……幸せ、に……? このような私たちが……主人様を……?」
「そうだよ。君たちの困惑した顔も、土に触れて嬉しそうな顔も、無防備な寝顔も、そのすべてが私の娯楽だ」
ルージュが、喉の奥で小さく音を鳴らした。彼の頭上の深紅の花が、熱を帯びたようにドクドクと脈打つ。
私はふたりの額に、順番に深く唇を寄せた。ただの軽い愛撫。
それでも、二人は雷に打たれたように全身を強張らせた後、堰を切ったようにふっと脱力した。
私は二人の身体を、優しくソファベッドのクッションへと導いていく。
その中央に腰を下ろし、ふたつの体温の間に私の身体を滑り込ませた。ブランが自然な動作で私の左腕に寄りかかり、ルージュが私の右肩に、ためらいながらも心地よさそうにその重厚な重みを預けてくる。
「今日は特別に、ここで一緒に昼寝をしよう。──命令だよ。私が許すまで、絶対に起きないこと」
二人は従順に小さく頷いた。
ブランはすでにその瞳をとろけさせ、ルージュはまだ少し眉間に武骨な皺を寄せながらも、深い安堵の溜息とともに重い瞼を閉じた。
私は二人の髪を交互に愛おしく撫でながら、心の中で次の調律の計画を練っていた。その時、静寂を破るように、玄関のベルが静かに鳴り響いた。
その硬質な音に、ふたりの頭上の花がピクリと過敏に反応する。ブランが不安げに私の顔を見上げ、ルージュの身体が反射的に起き上がりかける。
「大丈夫。寝ていなさい。これは、私の時間だ」
私は二人の額に宥めるようなキスを落とし、静かに立ち上がった。ブランは名残惜しそうに私の指を最後まで離そうとせず、ルージュは「……何かあれば、すぐに」と低い戦士の声で呟いた。戦闘用の習性はまだ完全には抜けていない。
だが、その強大な忠誠の矛先が私だけに向けられている事実が、たまらなく心地よかった。
玄関で待っていたのは、先日の裏オークションの奴隷商だった。
彼の背後の不浄な荷車には、分厚い布に覆われた「それ」が横たえられていた。
「……お約束通り持ってまいりました、旦那様。ですが……今回は本当に、最悪と言っていい状態の個体でしてね。正直、買い取っていただけるかどうか……」
商人は忌々しそうに額の油汗を拭いながら、荷車の上を指差した。布を剥ぎ取る。
そこに横たわっていたのは、ひとつの女型の植物人間だった。
しかし、その損壊具合はブランやルージュの比ではない。見るも無残に、徹底的に破壊し尽くされた凄惨な姿だった。
胸元の薄紫の花はほとんどが腐り果て、黒ずんだ花弁が半分以上散り落ち、残った部分も虫に食い荒らされたように無数の穴が空いている。美しいはずの緑の髪は暴力的に引きちぎられ、青白い頭皮が無残に露出していた。
何より凄惨なのは、両腕が肘の先から丸ごと失われ、肩の付け根には無理やり出血を止めた苛烈な焼灼痕が広がっていることだ。両脚は不自然な角度にへし折れ、皮膚の表面で断裂した緑の脈管から、ドロりと乾いた樹液が濁って固まっていた。
かつては白磁のようであったろう肌は、劇物による薬品焼けと無数の鞭の痕でドブネズミのような灰色に変色し、その呼吸はいつ止まってもおかしくないほどに微かだった。
私はその場に屈み込み、女型の、冷え切った灰色のアゴに指先で触れた。
「……素晴らしい」
歓喜のあまり、自然と笑みが唇からこぼれ落ちた。
商人はまたしても「この貴族は本物の狂人だ」とでも言いたげに引きつった顔をしたが、私は構わず、その凄惨な美に目を細めて尋ねた。
「名前は?」
「個体番号は『No.47』……。裏の実験施設で、植物人間の『痛覚増幅』の試験体にされていたそうです。痛みに耐えかねて暴走したため、徹底的に四肢を叩き潰され、廃棄される予定だったものを拾ってきました」
「結構。最高の商品だ。すべて言い値で買い取ろう」
商人は安堵と薄気味悪さを同時に浮かべながら、素早く契約書にサインをし、逃げるように荷車を置いて去っていった。
私はその完全に壊れた子を優しく抱き上げ、地下の薄暗い作業室へと運んだ。以前、ブランとルージュをこの世の至高の美へと蘇らせた、あの洗練された部屋だ。
今回は、かつてないほど慎重に、そして偏執的なまでの慈しみをもって臨んだ。
まずは、失われた両腕の修復からだ。私は温室から最も生命力の強い、しなやかな野生の蔓を切り出し、彼女の切断された肩の脈管と一本ずつ、顕微鏡下で精緻に接ぎ木していった。千切れた植物繊維の隙間に、新鮮な葉緑素を配合した特製の軟膏を肉厚に塗り込み、蔓の腕へと柔らかな紫の葉を纏わせてゆく。
不自然に折れ曲がっていた両脚の骨を一本ずつ正しい位置へと矯正し、断裂していた緑の脈管を繋ぎ直して、凝固した樹液を丁寧に拭い去った。
最も心血を注いだのは、彼女の胸元の核だ。枯れ果て、黒ずんだ薄紫の花弁に、私は自身の指先から直接、濃密な魔力を編み込んで流し込んだ。拒絶反応を起こさないよう、細い絹糸を紡ぐように優しく、絶え間なく。彼女の壊れた核を何度も愛撫するように刺激し、特製の栄養剤を主脈へと注射し続けた。
三日目の夜、私はついに彼女の意識を起動した。
ゆっくりと開いた彼女の瞳はひどく濁り、そこには過去の実験施設で植え付けられた、純粋な恐怖と絶望だけがべっとりと染みついていた。
私は怯える彼女の顎を指先で優しく持ち上げ、耳元で甘く囁いた。
「もう大丈夫だよ。ここは君を切り刻む地獄じゃない。私の家だ」
彼女は、新しく接がれた蔓の腕をガチガチと震わせ、掠れた声で啼いた。
「……ころして……ください……お願い、ですから……もう、痛いのは……いや、なの……」
その絶望に満ちた懇願に、私の胸の奥が狂おしいほどの熱を帯びた。
完全に壊されてしまった子。まだ「痛み」の記憶しか持たない、哀れな人形。
「殺したりしないよ。痛いことも、二度とさせない。君にはこれから、ただ綺麗に、私の部屋を飾る美術品でいてもらう。それだけが君の義務だ」
私は彼女の灰色に汚れていた身体を上質な香油で丁寧に洗い流し、誂えたばかりの新しい衣服を着せてやった。
淡いラベンダー色のシルクのガウン。胸元が大きく開いたそのデザインは、私が三日三晩かけて修復したばかりの、儚くも美しい薄紫の花を綺麗に覗かせていた。引きちぎられて短くなった髪には、温室の瑞々しいアイビーの葉を編み込んで飾り立てた。
地下の作業室から彼女を抱き上げ、陽光の差し込む明るい居間へと連れて上がる。ソファでは、主人の帰りを待ちわびていたブランとルージュが静かに座っていた。
私が新しい壊れた個体を抱いているのを見て、二人は同時に息を呑んだ。
「ブラン、ルージュ。新しい家族だ。彼女の名前は……『ヴィオレット』にしよう。その可憐な紫の花に、とてもよく似合っている」
ヴィオレットは私の腕の中で、ちぎれそうなほど小さく身を震わせ、目の前に佇むブランとルージュを交互に見つめた。恐怖で溢れかえった瞳。また新しい実験が始まるのではないかという、硬直した表情。
すると、ブランがそっとソファから降りて近づき、ヴィオレットの手代わりである蔓の指先へ、自身の温かい指をそっと重ねた。
ヴィオレットの肩から伸びる瑞々しい蔓が、その温もりに驚いたようにピクリと跳ね、拒絶する代わりに、おずおずとブランの指先へと細く絡みついた。
「……大丈夫だよ……。ここ、痛いこと、何もないの……。主人様はとっても優しいから……」
ルージュは無言のまま、ヴィオレットの不自然に強張った脚の位置を痛まぬように優しく直してやり、その上にふかふかの毛布をそっと掛けた。
かつて自分が主人にされた救済を、今度は新入りへと与える側になっている二人。その、植物人間としてのぎこちなくも温かい優しさが、私の歪んだ所有欲をたまらなく愛おしさで満たした。
私は三人を大きなソファに並べて座らせ、その中央へと腰を下ろした。
左にブランを寄り添わせ、右にルージュの重みを預け、そして私の膝の上には、怯えるヴィオレットを横たえる。
「今日は特別に、三人とも一緒にのんびりしよう。──命令だ。何も考えず、何も恐れず、ただ、私のそばにいなさい」
ヴィオレットは最初、私の膝の上で全身の繊維をカチカチに強張らせていた。しかし、ブランが隣で彼女のアイビーの髪を優しく撫でさすり、ルージュが温かい培養液の入ったグラスをそっと口元へ差し出すと、張り詰めていた肉体から、徐々に、じわりと力が抜けていった。
彼女の胸元の薄紫の花が、弱々しくも、確かな生の光を取り戻し始める。居間の空気に、彼女本来の、ひどく甘美な夜の香気がふわりと放たれた。
純白の花と、深紅の花が、その新入りの香気に呼応するように、優しく、大らかに開花した。
私は三人の頭を順番に、交互に優しく撫でながら、静かに、至上の満足とともに微笑むのだった。




