第12話
一方、その頃。
キッチンで果物の瑞々しい果肉を切り分けながら、私は全く別のことをぼんやりと考えていた。
──困った。実にもって、困ったぞ。
別に管理局の猟犬どもが怖いわけではない。書類上の問題など奴隷商が裏金で揉み消すと言っていたし、いざとなれば管理局の長官に顔の利く貴族の知人に、極上の薔薇の香油でも贈って圧力をかければ済む話だ。そういう、俗世の政治的な話はどうでもいいのだ。
何が困るか。それは私のお花畑の拡張計画が、滞る。
私は林檎の赤い皮を美しく剥きながら、深く、不満の溜息をついた。
ブラン、ルージュ、ヴィオレット、ノワール。
四人が揃って、ようやく我が家の居間の色彩バランスが芸術的な調和を見せ始めてきたところなのだ。私の次の計画では、涼やかな「青い花の子」か、あるいは爛漫たる「黄色い花の子」、できればもっと市場に出回らない珍しい色彩の壊れた子を探そうと胸を躍らせていたというのに。
上限三体などという、役人の杓子定規な規則のせいで、私の美の探求が根本から邪魔されるなど、あってはならない。
全く、無風流で無粋な法律を作ったものだ。
包丁を置き、ふと窓の外を見ると、奴隷商の馬車がまだ門のところで何やらもたもたとしていた。そうだ、彼に渡すはずだった新しい培養液のサンプル小瓶を忘れていた。
私は美しい琥珀色の薬液が入った小瓶を手に、日当たりの良い庭へと出た。
「良かった、まだいたんだね」
「だ、旦那様……! いえ、サンプルをいただいてから帰ろうと思いましてね。しかし旦那様、本当に一体か二体、今のうちに穏便に軍へ売却して数を減らさねば、強制査察で四体とも『没収』されますよ?」
「売らないと言っただろう。あの子たちは私のものだ。没収なんて無粋な掠奪、私の世界が許さないよ」
「でしたら、どうやって法律の上限三体をすり抜けるおつもりですか!?」
必死に訴える奴隷商を見つめ、私はふっと退屈そうに唇を綻ばせた。
「ねえ、簡単なことじゃないか。帝国法が定めているのは、あくまで特殊生体兵器の『個人保有』の上限だろう?」
「ええ、左様ですが……」
「なら、新しく来る子を私の『養子』にして、我が公爵家の籍に入れてしまえばいい」
奴隷商が、完全に言葉を失った。開いた口が塞がらないとはこのことだ。馬車の御者はついに手綱を落とした。
「は……? よ、養子、ですって……!? 植物人間を、貴族の籍に……!? せ、生体兵器を、人間の、それも我が子の扱いにするというのですか!?」
「何か問題でも? 帝国養子縁組法の条文を隅々まで読んでごらん。被後見人の対象は『意思疎通が可能であり、保護者を必要とする知的生命体』としか書かれていない。植物人間がこれに該当しないという除外規定は、法律のどこにも存在しないよ。つまり法的には完全に『合法』だ」
「な、何を馬鹿な……ッ! しかし、そんな前代未聞の、狂った書類が通るはずが──」
「通るさ。現行法に違反していない以上、局の役人どもだって受理せざるを得ない。法を遵守する立派な役人なら、貴族の『令息や令嬢』を強制没収するような非道はできないはずだからね。ただ──」
私は奴隷商の胸元に培養液の小瓶をポン、と軽く押し当て、冷徹な目を向けた。
「──今まで、生体兵器を自分の『我が子』として籍に入れるような、倫理の壊れた人間がいなかった。ただ、それだけのことだよ」
奴隷商は小瓶を握りしめたまま、恐ろしい怪物でも見るかのように私を凝視した。
違法ではない。しかし、生体兵器を奴隷としてではなく、法的に「人間」として対等に迎え入れるなど、正気の沙汰ではない。現行法の盲点を突いた、完璧で、圧倒的に狂った合法ハッキング。
やがて奴隷商は、この底知れない大貴族の偏執的な知性と情熱に完全にねじ伏せられ、観念したようにガリガリと頭を掻いた。
「……ハハ、本気で仰っている。旦那様、あなたは本当に……法律を味方につけた、本物の狂人だ」
「褒め言葉として受け取っておくよ。それで、さっき言っていた『処分待ちの壊れた子』の話に戻ろうか。引き取りの手続き、進めてくれるね?」
奴隷商は深い深い、しかしどこか諦めと可笑しさが混じった溜息を吐き出し、懐から小さな手帳を取り出した。
「……分かりましたよ、もうどうにでもなれだ。幸い、南部で夜逃げした実験施設に取り残された個体ですからね、局に察知される前に、私が『旦那様が哀れな孤児を拾い上げ、養子に迎えた』という完璧な戸籍書類を役所に通してみせますよ。処分待ちの廃棄物ですので、私への秘密の手数料だけで結構です」
「素晴らしい。やはり君は優秀な商人だ。すべて言い値で支払おう」
「本当に、旦那様というお人は……。ちなみにまだ何色の花かの情報はないのですが……それでも?」
「もちろん。何色であれ、私が世界で一番美しく調律して、私の誇り高き『家族』にしてあげるさ」
私は機嫌よく手を振った。奴隷商の馬車が、今度こそゆっくりと砂煙を上げて動き出す。
庭に一人残り、私は愛しき箱庭──居間の窓を見上げた。窓の微かな隙間から、四つの花の香気が、うっすらと漏れ出てきている。
局の件など、なんとでもなる。
それよりも、新しい、可哀想な壊れた子が、もうすぐ我が家へやってくる。私の愛を注ぐべき「新しい家族」が増えるのだ。
私は満足の笑みを深く刻み、ステップを軽やかに踏んでキッチンへと戻った。
居間では、四人が未だに深刻な顔で、主人を守るための密談を続けていた。
ルージュが低い声で館の裏口の間取りと防衛線を指で示し、ノワールが窓の数と鍵の耐久度を的確に答えていく。ブランはそれを聞きながら、不安そうに白い花を揺らし、ヴィオレットは膝を緩めたまま、施設で嫌というほど叩き込まれた局の査察官たちの突入手順を、掠れた声で懸命に共有していた。
庭から戻ってきた私の、上質な革靴の足音が廊下に響いた瞬間、四人の会話がピタリと、不自然なほど完璧に停止した。
「ただいま。よく冷えた果物を、綺麗に切り分けてきたよ」
私が銀のトレイを携えて居間へ入ると、四人はそれぞれ何食わぬ顔をして、優雅にソファへと収まっていた。
ブランだけが、少しだけ嘘が下手で、パチパチと早く瞬きを繰り返していたが、私はあえて気づかないふりをしてあげた。
「さあ、みんなで食べようか。それからね、愛しい我が家のみんなに、素敵な話があるんだ」
四人の花が、一斉にピクリと緊張の反応を見せた。
「もうすぐ、新しい仲間がここへ来るかもしれないよ」
ブランがエメラルドの目を丸くした。ルージュが深く、驚きに息を吸い込む。ヴィオレットが嬉しそうに膝を緩め、ノワールは窓の外を向いたまま、歓迎するように漆黒の花から香気を放った。
「……局の件は、どうされたのですか」
ルージュが静かに、探るように聞いてくる。
「ああ、そんなつまらない話かい? なんとでもなるよ。それより、次のディナーのスープの味付けについて話そう」
ルージュが、そのあまりの「お気楽さ」に、フッと短い息を吐き出した。
私はトレイを置き、四人の愛らしい顔を順番に、満足を込めて眺めた。
彼らが私のいない隙に、必死に密談を交わしていたことなど、当然気づいていた。廊下の手前でわざと足音を殺した時、ノワールの冷徹な声と、ルージュの防衛計画が壁を透過して聞こえていたのだから。
しかし、私は永久に気づかないふりをしてあげることにした。
今やこのお気楽な「主人」を守るために、必死にその小さな知恵と牙を研ぎ澄まそうとしている。
その健気な謀反が、たまらなく愛おしく、私の歪んだ所有欲を満たして止まない。
私の愛する美しき箱庭は、まだまだ、いくらでも広く、残酷に、そして甘美に拡張されてゆくのだ。




