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花奴隷調律譚  作者: 駒草
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第11話


 奴隷商が我が家を訪れたのは、ノワールの黒い花が開いてから十日ほどが経った、ひどく穏やかな昼下がりのことだった。

 いつもの金に汚い大仰なノックとは違う、どこか切迫した調子のベルの音に、私は紅茶のカップをソーサーへと戻した。

 居間にいた四人が、それぞれ過敏に花を揺らして顔を上げる。ノワールだけが、昏いナイトブルーの瞳をゆっくりと窓の外へ向けた。

 扉を開けると、奴隷商はいつも下卑た脂性を帯びている愛想笑いを、完全に引っ込めた深刻な顔をしていた。

 

「旦那様、少々、込み入った話がありましてな」

「また極上の、壊れた植物人間の仕入れ話かい?」

「それも、あるにはあるんですが……今日は先に、別の、少々厄介な話をせねばなりまりせん」

 

 私は彼を静かな応接間へと通した。居間で待つ四人には「のんびりしていなさい」と目配せだけを送り、分厚い扉を閉める。

 奴隷商は革椅子に腰を下ろすなり、上等な帽子を膝の上で形が崩れるほどきつく揉み始めた。その額には、ねっとりとした冷や汗が浮かんでいる。

 

「実はですね、旦那様。上の方から、少々不穏な風が吹いておりまして……今のうちに、その、お耳に入れておいた方がいいかと思いましてね」

「上の方?」

「生体兵器管理局、でございますよ」

 

 私は冷めかけた紅茶を、優雅に一口だけ含んだ。

 

「はあ、あの無粋な役人どもの組織かい」

「……旦那様、あいつら本気です。この国じゃ『特殊生体兵器の個人保有は三体まで』って法律、これまでは私の裏工作でいくらでも誤魔化せていたんですがね。最近になって局の新しい査察官どもが、裏の取引記録をそれこそ重箱の隅を突つくように洗い始めやがりまして……! 私のところにも、お得意様のリストを出せって、あの冷酷な目をした猟犬どもが鞭をチラつかせて迫ってきているんですよ」

「なるほど」

「旦那様のお名前が、その……没収対象の筆頭に近い形で載っております」

 

 奴隷商はハンカチで執拗に汗を拭った。私は応接間の窓から、手入れされた庭園を眺めた。青々と茂る大樹の枝が、風にしなやかに揺れている。

 

「それで?」

「それで、といいますか……実は旦那様のところの四体、特にあの修復された戦闘用の個体を欲しがっている軍部の上層部や高位貴族が何人かおりましてね。今のうちに何体かを、その、高値で売却していただければ、私の方でうまく書類の辻褄を合わせることもできますし、局への言い訳も立つといいますか……」

「売らないよ」

 

 一分の猶予もない即答だった。奴隷商が言葉を失い、目を丸くした。

 

「は、はい?」

「売らない。手放すわけがないだろう。それどころか、私はまだまだ買い足したいくらいなんだ」

 

 奴隷商の顔が、みるみるうちに土気色へと変わっていった。

 

「だ、旦那様……! 管理局が本気で動いたら、お家断絶すらあり得る大罪組織とみなされるのですよ……っ!」

「なんとかなるだろう。君もあちこちで商売がある身だろうから、書類の方はこれまで通り、上手によしなに頼むよ」

 

 奴隷商は帽子を完全に握りつぶしそうな手つきで、しばらく私の超然とした顔を見つめていた。

 やがて、深い、すべてを諦めたような溜息をついて立ち上がった。

 

「……承知いたしました。ですが旦那様、本当に、本当にお気をつけください。局の猟犬どもは、一度目をつけた獲物は骨の髄まで噛み砕くまで止まりませんから」

「うん、忠告ありがとう。帰りに門のところで、我が家で新しく調合した培養液のサンプルを渡すから、持っていきなさい」

 

 奴隷商は何かを言いかけて口を噤み、深々とお辞儀をして応接間を後にした。

 私はすっかり冷めきった紅茶を気怠げに飲み干し、愛しき箱庭──居間へと戻った。

 

「お利口に、のんびりしていたかい?」

 

 四人が一斉に頷いた。しかし、純白のブランだけが、引きつったような強張った笑顔を浮かべていた。

 私はいつものアームチェアに腰を下ろし、新しい温かい紅茶を注ぐ。

 

「さて、今夜のディナーは何を食べようか」

 

 四人の返事は、いつもよりほんの一拍だけ、不自然に遅かった。

 私がメニューを決めるためにキッチンへ立った後、残された居間には、水を打ったような重苦しい沈黙が落ちていた。

 最初にその静寂を破ったのは、ルージュだった。

 

「……聞こえたか」

 

 地を這うような低い、声を潜めた響き。ブランがエメラルドのドレスの膝の上で、細い指をきつく握り合わせ、小さく怯えるように頷く。ヴィオレットはすでに、ラベンダー色のガウンの中で自身の膝をぎゅっと抱え込んでいた。

 ノワールは窓の外を見つめたまま、声音を削ぎ落として静かに言った。

 

「全部だ」

 

 応接間とこの居間は、壁一枚を隔てた構造に過ぎない。野生を生き抜き、戦闘用に調律された植物人間の聴覚で、あの密談が聞こえないはずがなかった。

 

「生体兵器管理局……お前、知っているか」

 

 ルージュがノワールへ鋭い視線を向けた。アイビーの髪を微かに揺らし、ノワールがゆっくりと振り返る。

 

「闘技場に、一度だけ来た。査察だ。書類の不備を理由に、俺のいた部屋の半分以上の個体が、その日のうちに生きたまま廃棄場へ投げ込まれた」

 

 ヴィオレットの頭上の薄紫の花が、その言葉に怯えるように音もなく、きゅっと固く閉じた。

 

「……施設にも、何度も来てた」

 

 彼女が、掠れた、痛覚の記憶に塗れた声で言った。

 

「あの制服の男たちが来る前の日、実験室のベッドにいた子供たちはみんな、急にいなくなるの。私は……運良く、別の地下室で痛覚の検査中だったから、見つからずに済んだけど……」

 

 ブランは何も言えなかった。ただ、胸元の純白の花弁が、内側へとしがみつくように小さく折れ曲がっている。

 彼女のいた前の飼い主の場所には、管理局の手が伸びたことがなかったのだろう。だからこそ、その未知の巨大な悪意に、白い花を哀れなほど震わせるしかなかった。

 

「──だが、主人は、あの人は、全く気にしていない様子だった」

「気にしていないんじゃない」

 

 ノワールが静かに、しかし冷徹にその言葉を遮った。ナイトブルーの瞳に、現在の主人の底知れない横顔を映しながら。

 

「あの御方は、管理局如きを……気にする必要があるとすら、思っていないんだ」

 

 ノワールが、その主人の常軌を逸した傲岸さに、ハッと低く息を吐いた。

 

「傲慢がすぎる。お気楽な主人だ」

「そうだな。身の程を知らない、最高の主人だ」

 

 ルージュが窓の外へ視線を移した。

 

「ただ主人が動く必要がないと思っているなら、その足元を脅かす害虫は、俺たちが動いて排除すればいい」

「動くって……何を?」

 

 ブランが涙目の顔を跳ね上げた。

 

「私たち、主人様の言うことを絶対に変えちゃいけないし、もし勝手なことをして、嫌われたら──」

「勝手な戦闘はしない。ただ、最悪の事態に備えるだけだ」

 

 ルージュが不敵に腕を組んだ。その戦闘用の獰猛な瞳が、久しぶりに「大切なものを守る」という正当な大義名分を得て、ギラリと静かに光を帯びる。

 

「この館の防衛構造の確認、および襲撃された際の逃げ道の選定。局の猟犬どもが押し寄せてきた時の、迎撃の手順。……何より、あの無防備な主人を、なるべく前線に出さない方法の構築だ」

「守るの……?」

 

 ヴィオレットが、ガウンの中から小さく、確かめるように聞いた。

 

「主人様を……私たちの手で?」

「当たり前だ。あそこにいる方以外に、誰が俺たちを『宝物』と呼ぶ」

 

 ルージュが獰猛に即答した。彼の頭上の深紅の花が、熱い血を滾らせるように大きく、猛々しく開花する。

 ヴィオレットが、抱え込んでいた膝の力をゆっくりと緩めた。腕が解かれ、薄紫の花が、覚悟を決めたように一枚だけ花弁を開く。ブランが、祈るように握り合わせていた両手をそっとほどき、エメラルドの瞳に強い光を宿した。

 ノワールは何も言わなかった。しかし、その胸元の漆黒の花から、夜の底のような深く静かな、しかし確かな殺意と忠誠の混じり合った香気が、ゆっくりと部屋全体を満たしていった。

 キッチンからは、楽しげな包丁の音と、甘い果物の香りが漂ってくる。

 四人は互いに顔を見合わせ、深く頷き合った。

 

「主人には、絶対に悟らせるな」

 

 ルージュが囁く。

 

「言ったら間違いなく、のんびりしていなさいと止められる」

 

「うん」と、ブランが愛らしくも固い意志で頷いた。その後にヴィオレットが続く。

 ノワールは頷かなかった。ただ、漆黒の花を誇らしげに静かに揺らした。主の知らぬところで、その絶対防衛の檻を編み上げるために。それだけで、彼らの意思疎通には十分だった。

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