第04話 モイーの大吟醸断ち
南船町の領主館。
その執務室で、モイーが椅子に座りながら、機嫌が悪そうにしていた。
日に日に機嫌を悪くしているモイーに、侍従長は表情こそ平静を保つものの、またか、と内心ではこっそりと溜息を吐いていた。
「ワタルはまだ来ないのか」
「はい、連絡はありません」
「連絡がないだと? あやつ、我がどれほど心待ちにしているか分かっておらんのか!」
「ワタル様もご多忙の身でございましょう。遠い異郷から品を揃えるというのは、簡単なことではありますまい」
「そんなことは分かっておる! しかし、しかしだな……」
「それに、あれほどの商品を仕入れるには、相応の時間も必要かと」
「時間だと? むううう、しかしあまりにも今回は長すぎないか!? 特にあの酒だ! 『大吟醸』。あれほどの美酒、一度飲んだら忘れられない、魔性の美酒が切れて、かれこれもう一月だぞ!」
モイーは机の引き出しから、大切に保管していた空の酒瓶を取り出した。
美しいガラス細工の瓶を、まるで恋人を抱きしめるかのように、そっと胸に抱く。
「おお……我が愛しのダイギンジョウよ……。なぜお前はもう空なのだ……。あんなにも我を楽しませてくれたというのに……」
瓶の蓋を開き、逆さまにしても、一滴たりとも出てくることはない。
今にも口づけでもしかねないほどの、熱い情熱。
あるいは水をねだる犬のよう。
他者の目がなければ、今にも瓶の口を舐めしゃぶりそうではないか。
その姿に、侍従長は眉をひそめた。
普段の威厳に満ちた領主の姿からは想像もつかない、あまりにも情けない姿だ。
(また始まった……。領主様がここまで一つの品に執着されるとは。ワタル様も罪なものをお持ちになる)
旨い酒には魔性の魅力がある。
そのことは、侍従長も認めるところだが、ダイギンジョウは、あまりにもモイーの心を掴んで離さない。
「……ああ、ダイギンジョウよ。我が人生において、これほど心を奪われたものが他にあっただろうか。いやない。お前の香りを思い出すだけで、胸が熱くなる……。一口、いや、たった一滴でもいい、もう一度味わいたいのだ。ぬわああああ! ワタルめ、なぜこんなにも我を焦がれさせる……。あの美酒を知る前の我に戻ることなど、もはやできぬというのに……!」
「はあ……左様でございますか」
「なんだその気のない返事は! 貴様も飲んだであろう! あの芳醇な香り、舌を滑るような滑らかさ、そして喉を通り過ぎた後に残る、えもいわれぬ余韻! 思い出すだけで……ああ、もう一度飲みたい! おお、ワタル、はやく来い!」
「たしかに素晴らしいお酒でございました。ですが、あれはワタル様もなかなか手に入らない貴重な品と伺っております」
「だからこそだ! それを手に入れ献上するのがあやつの役目であろうが!」
「はあ……」
(こいつ早く溜まってる仕事してくれねーかな)
そんな失礼なことを考えながらも、侍従長もよく弁えた者。
けっして口には出さない。
机の上に、いつものように多量の決済書類が山積みになっていたとしても。
ただし、その目にはわずかに呆れが浮かぶ。
「しかし、本当にここまで連絡が絶えるのは珍しいですね」
「うむ……。時おり姿を見せぬことはあったが、なんだかんだと連絡が取れたからな」
「病や事故など、何事もなければよいですが」
「さて……な」
それに、これまでは必ずウェルカム商会に少なからず在庫を用意していた渡が、今度ばかりは在庫を切らしたまま、姿を現せないことには、少し不安がよぎる。
渡はモイーにとって、その趣味を満たしてくれる数少ない、貴重な人間だ。
とくに万華鏡はモイーの栄達における大転換点をもたらした。
その他にも、江戸切子や砂時計、そしてこの『大吟醸』。
どれもが他では手に入らない特別感と充実感、そして権威をもたらしてくれる。
つい先日も、ボトルシップから帆船の新しい可能性をもたらしたばかり。
モイー個人として、そして一貴族として、もはや渡の価値は比肩できないほどに高まっている。
だが、それだけの価値を持つ男が、あまりにも無防備すぎるのではないか、というのが侍従長の考えだ。
金虎族や黒狼族といった一流の護衛はつけているが、その価値を考えれば、どれだけ屈強な護衛がいても足りないだろう。
最強の個も重要だが、数もまた正解の一つだ。
物量作戦で攻撃されれば、命に手が届きうる。
(良からぬ輩に目をつけられていなければ良いが……)
侍従長の懸念は、モイーも同じだったようだ。
先程までの情けない姿は消え、領主としての険しい顔つきに戻る。
「……ウェルカム商会に人をやれ。ワタルの動向について、何か情報がないか確認させろ」
「はっ。すぐに」
「それと……諜報部隊にもだ。あやつの身辺で、何か変わったことがなかったか、徹底的に洗え。もし、ワタルの身に何かあれば……」
モイーの目から、冷たい光が放たれる。
先程までの、醜態をさらしていたものと同一人物とは到底思えない、威厳ある姿。
「我が御用商人を傷つけた不届き者には、相応の報いを与えてやらねばなるまい」
「かしこまりました」
◯
そして、モイーたちがそんな心配をしているその頃――。
渡たちは、沖縄で日本の夏を満喫していた。
ザザーン、と寄せては返す波の音が、単調なリズムを刻んでいる。
鼻をくすぐるのは、しょっぱい潮の香りと、太陽に熱せられた砂の匂いが混じり合った、夏特有の香りだ。
視線を上げれば、どこまでも突き抜けるような青い空が広がり、水平線の先には巨大な入道雲がもくもくと湧き上がっている。
エメラルドグリーンから沖合のコバルトブルーへと美しいグラデーションを描く海は、波打ち際では底の砂が見えるほどに透き通っていた。
「いやー、いい場所だな。沖縄の海はキレイだって聞いてたけど、本当にすごい! 仕事で来てついでに遊べるなんて、最高だ」
人の踏み跡もない真っ白な砂浜は、まさにプライベートビーチと呼ぶにふさわしい。
ギラギラと照りつける太陽が肌をジリジリと焼き、裸足で踏みしめた砂は、火傷しそうなほど熱を帯びていた。
時折、熱をはらんだ風が頬を撫でていく。
目の前には、色とりどりの水着に身を包んだマリエル、エア、クローシェ、ステラの四人が、眩しい笑顔を浮かべている。
マリエルは、落ち着いた色合いのワンピースタイプの水着で、その優雅な立ち姿は、まるで絵画のようだ。
エアは、活発な彼女らしいスポーティーなビキニで、鍛えられた健康的な肉体を惜しげもなく披露している。
クローシェは、少し大胆なデザインのビキニで、豊かな胸元を強調し、渡の視線を意識しているのがありありと分かった。
そしてステラは、おそろしく大胆な紐ビキニの水着を恥ずかしそうに着こなし、頬を染めながらも、その瞳は喜びで輝いていた。
渡は目の前に広がる二重の意味での絶景に、やに下がった笑みをにちゃぁ……と浮かべていた。
あまりにも目を奪う光景だった。
彼女たちの素晴らしい肉体は余すことなく知っているが、日差しの下で、水着に身を包んでいると、また違う感動に打ち震える。
「主! 早く早く! 海、冷たくて気持ちいーよ! およごー!」
エアが子供のようにはしゃぎながら、波打ち際で渡を手招きする。
ピコピコと動く虎耳。白い肌。そしてたわわな乳房が、動きに合わせてポヨポヨと揺れる。
その隣では、クローシェが「お姉様、はしゃぎすぎですわ!」と言いつつも、尻尾を楽しそうに揺らしていた。
いっとき程の執着は見せなくなったとは言え、エアに構ってほしいのは相変わらずだ。
「ご主人様、日差しが強いですから、あまり無理はなさらないでくださいね」
「あなた様……その、わ、わたしも、一緒に……」
砂に刺したビーチパラソルの下で、日焼け止めを塗リ終わったマリエルが優しく声をかけ、ステラがもじもじと渡の袖を引く。
爆乳が渡の腕を包み、完全に埋まってしまった。
「ああ、もちろん。せっかく来たんだから、みんなで楽しまないと損だよな。さあ、目一杯遊ぼう!」
渡は笑顔で応えると、彼女たちと共に海へと駆け出した。
モイーの心労など露知らず、渡たちの夏は、まだ始まったばかりだった。





