第61話 いじらしいお願い
清二に海斗と凪の今の状況を説明し、遠回しにお世話を続ける事を許された次の日。
凪が修学旅行から帰ってきて、初めての昼休みになった。
「海斗、来たよ」
普段と同じく、教室を訪れて海斗の席に来る凪。
それを女子が生温かい目で見るだけでなく、男子が海斗をほんのりと恨めしそうに見るのもいつも通りだ。
しかし、海斗の内心はいつも通りではない。
(この状況って、俺と凪さんが恋人のように見えるよなぁ)
凪が海斗の弁当を学校で受け取って食べるのは、海斗が大切だと態度で示す為だった。
勿論、目的は変わっていないし、凪が以前と変わらず誰よりも海斗を優先してくれるのは嬉しい。
とはいえ、頑なに凪が「海斗は友達」と言ったり、弁当関係以外は普通の友人として接してくれるからか、最近では海斗と凪の仲を詮索する人は居なくなっていた。
ある意味で勝ち取った平和ではあるが、改めてこの状況を客観的に見て、海斗の胸に羞恥が沸き上がってくる。
「海斗? どうしたの?」
必死に顔に出ないように感情を抑え込んでいたからか、凪には海斗がぼんやりしているように見えたらしい。彼女が心配そうに顔を覗き込んできた。
吐息が掛かる程ではないものの、仲の良い友人としても近い距離に、美しい顔がある。
澄んだアイスブルーの瞳に見つめられ、どくりと心臓が跳ねた。
「……何でもありませんよ。それじゃあ行きましょうか」
凪に微笑を向け、鞄から弁当箱を取り出す。
いつも通りの態度を取れたのは、バイトで気持ちの切り替えに慣れていた賜物だろう。
しかし僅かに反応が遅れてしまったのも確かで、海斗のクラスにはその瞬間を逃さない人が居た。
「へぇ……」
弁当箱を持って凪と共に教室を出ようとするが、すぐ傍に美桜のグループが集まっている。
その中心人物である彼女が、にまぁ、と一瞬だけ面白い物を見つけたような笑みになった。
流石にこの場で揶揄う気はないようで、すぐにクラスメイトとの会話に戻る。
(これ、後が怖そうだな……)
美桜には凪をどう思っているか聞かれた際に、アドバイスをくれた。
なので、海斗の気持ちだけでも伝えるべきなのかもしれない。
絶対に茶化されるだろうが、必要経費と割り切るべきだ。
そう割り切りをつけて、人気のないベンチに移動して昼飯を摂る。
「ん。今日も海斗のご飯が美味しい」
「ありがとうございます」
毎日変わらずお礼を言ってくれる凪に感謝を返すのもいつも通りだ。
それでも自らの気持ちを理解したからか、普段よりも胸が温かくなる。
これで向き合っていたら、冷静で居られなかっただろう。
ホッと胸を撫で下ろせば「でも」と先程の歓喜を滲ませたお礼と違い、少し沈んだ声が耳に届いた。
「もしかしたら、これが無くなるかもしれなかった」
「……そう、ですね」
家での凪のお世話を辞めるかもしれなかったのだ。
仮に辞めたとしたら、昼だけ弁当を渡すのはおかしな話だろう。
少なくとも、海斗はきっちり割り切りを付けるべきだと、凪の弁当を作らなくなるはずだ。
海斗の肯定に、凪が形の良い眉をへにゃりと下げる。
「続いて良かった。海斗のご飯は美味しいし、海斗と一緒にお昼ご飯を食べたかったから」
「……」
凪が投げる純粋な信頼の剛速球は、今の海斗の心臓にあまりにも悪い。
凪とて海斗への好意を抱いているはずだが、こういう所は変わらないようだ。
何と答えればいいか悩んでいると、凪が僅かに頬を染めて微笑む。
「これからもお願いね、海斗」
「勿論です」
確実に本人は意識していないだろうが、凪の掌の上で踊らされている気がする。
しかし決して悪い気分ではなく、小さく笑みながら頷く海斗だった。
海斗が凪への気持ちを自覚しても、お世話内容は変わらない。
学校を終えて凪の家に向かい、まずは脱ぎ散らかされた制服を畳んでいく。
凪は昨日と同じで羞恥を隠さず、海斗も気持ちを自覚して以前よりもやり辛くなっていた。
「……」
学校で弁当を食べる際や、図書室でのやり取りは以前とあまり変わりないのに、こういう時だけは強烈に異性を意識してしまう。
とはいえ下着や制服に触っているのだから、無理もないのだが。
ただ、これは海斗の仕事でもあるのだ。出来ませんでは済まされない。
少なくとも、凪が嫌がらない限りはしっかりと勤めを果たさなければ。
建前でもあり本音でもある言い訳を心の中で述べながらも、リビングに散らばった衣類も含めて片付けを終えた。
「もう片付けは終わりましたし、今日は部屋に入りませんから」
「……ん」
ソファで頬を赤くしている凪に、もう羞恥に悶える必要はないと伝えてキッチンへ向かう。
彼女が本を読み始めたのを確認し、晩飯の準備を始めた。
すぐに料理は出来上がり、テーブルへと運んで凪に声を掛ける。
「凪さん、出来ましたよ。こっちに来てください」
「なら連れてって」
ソファに座っている凪が、海斗へ手を伸ばした。
今まで一度もした事がない甘え方をされ、一瞬だけ思考が固まる。
しかし彼女の言動から察するに、頭を撫でられない代わりに別の事で海斗と触れ合いたいのだろう。
いじらしい態度に胸を弾ませ、凪の元へ向かった。
「了解です。……よっと」
雪のように白い手を掴み、柔らかな感触を意識しないようにして凪を引っ張る。
あっさりと立ち上がった凪の表情は、驚きと楽しさに彩られていた。
「海斗、凄い」
「こんなの凄くも何ともないですから。ほら行きますよ」
「わ、分かった」
凪が甘えてくれたのだから、信頼のお返しとして少し雑に彼女を扱ってもいいだろう。
とはいえ内心で謝罪しつつ、凪の背中に回り込んで華奢な肩に触れる。
心臓の鼓動を乱しながら背中を押せば、凪が戸惑いながらも口元を緩め、大人しく誘導された。
その後は普段通りに晩飯を食べ終え、律儀にお礼を言ってくれる凪に照れながらも片付けを開始する。
「ホント、凄い事になったなぁ……」
凪と知り合って二ヶ月と半分以上が過ぎた。
当時の海斗からすれば、彼女とここまで親密で歪な関係を築くとは思わないだろう。
しかしこの関係が何よりも大切で、失いたくなくて。
甘えだと分かっていても、清二に許されたからと手を動かすのに集中するのだった。




