第62話 調理実習
多少気まずい時はあれど、それでも凪のお世話を続けて十二月となった。
今日は数ヶ月に一回の調理実習の時間という事で、家庭科室に来ている。
曰く、生徒全員に料理の経験をさせるべきだ、という教育方針らしい。
凪は大丈夫だったのかと一瞬だけ不安を覚えたが、実は料理が出来る人だったなと思い出す。
そして海斗はというと、特に興味がなかった。
(めんどくさ……)
清二に料理を叩き込まれた海斗にとって、調理実習は正直なところお遊びでしかない。
どんな料理を要求されたとしても、完璧に作る自信がある。
とはいえ、それはあくまで海斗一人で行った場合だし、わざわざ自慢する事でもない。
昼前の空腹を我慢しながら家庭科室の角で気配を消していると、教師が入ってきた。
「では、六人くらいのグループを作ってください」
ぼっちには死の宣告とも言える教師の言葉に、ひっそりと肩を落とす。
前回までは海斗と似たような立場の人とグループを組んでいたので、今回も同じようになるだろう。
そんな楽観的な思考は、周囲をきょろきょろ見渡している美桜とばっちり視線が合った事で打ち砕かれた。
「おーい、天音ー」
華やかな笑みを浮かべて美桜が近付いてくる。
男子の嫉妬の視線が一斉に海斗へ向き、一瞬だけ美桜から逃げようかと思ったが、ここで逃げても仕方がないと諦めた。
海斗が頬を引き攣らせているのは分かっているだろうに、それでも美桜は微笑を浮かべて口を開く。
「ねえ天音、私達とグループを作らない?」
「私達って、まさか……」
「うん。皆とね」
そう言って美桜が視線を向けた方向には、普段彼女と一緒にいる女子達が居た。
全員が期待と興味の視線を海斗に向けているので、美桜の独断ではないのだろう。
しかし、流石に女子達の中に男子一人はやりすぎだ。
「いや、やめとくよ。俺が入って空気を乱したくない」
「なら、他に男子が居るならいいよね。それじゃあ――上村と三島も来てよ」
海斗の近くに居た、クラスでも大人しくグループ分けになると残されがちだった男子へ、美桜が声を掛けた。
彼等とは以前の調理実習や似たような事になった場合、偶に一緒に行動していた。
なので友人とは呼べずとも、もしもの場合の運命共同体と呼んでも良い二人だ。
しかし今回は事情が違っており、まさか美桜から声を掛けられるとは思っていなかったようで、彼等が素っ頓狂な声を上げる。
「「え、俺!?」」
「うん。ただの調理実習なんだし、いいでしょ?」
「「え、あ、その……」」
「ね?」
「「……分かった」」
唐突な展開に頭が付いていかないのか、それとも周囲の男子からの嫉妬の視線が辛いのか。
口ごもる彼らだったが、可愛らしく小首を傾げて頼み込んだ美桜にあっさりと懐柔された。
紛れもない美少女からのお願いは、相当な破壊力があったのだろう。
海斗の言い訳をねじ伏せた事で、美桜が海斗へと視線を戻し、してやったりと笑む。
「これでいいでしょ?」
「……ああ、いいぞ」
おっかなびっくりという風な男子二人と美桜のグループへ合流するが、予定から男子が二人増えた事によって、流石に人数が増え過ぎた。
なので美桜に説明を任せ、彼女の友人には申し訳ないがじゃんけんで負けた人が外れてもらう。
そして男女三人ずつという、バランスの取れたグループになった。
「こんな事になるとは思わなかったけど、今回もよろしくな天音」
「お、俺もよろしく。足手まといにならないように頑張るから」
「そんなの気にしないでいいって。こっちこそ、今回もよろしくな」
男三人が言葉を交わし、大切な仲間だと絆を深める。
勿論、彼等は美桜と一緒に調理実習出来る機会を喜ぶよりも、周囲の嫉妬に辟易していた。
視線だけで言葉に出来ない思いを交わして頷きあっていると、美桜の友人が海斗へと視線を向ける。
「天音って料理出来るんでしょ? 今回はクッキーだけど、天音が居るなら安心だよね!」
「もしかして、その為に俺と調理実習するのか?」
「うん!」
いくら教室内でも話すようになったとはいえ、美桜が海斗を呼んだのには少し違和感があった。
だが、彼女達が海斗の力を当てにしたのなら納得がいく。
海斗が料理出来るだけでなく味も良いのは、凪の弁当によって周知の事実になっているのだから。
ちらりと美桜を見れば、ばつが悪そうに眉を下げていた。
別に怒るつもりはないし、これから少し空気を悪くすると思うと、むしろ美桜に申し訳なくなる。
しかしこれだけは譲れないと、真剣な表情を作って美桜の友人へと視線を向けた。
「クッキーは多少作った事があるからアドバイスは出来るし、質問にはちゃんと答える。でも、分担する役割以上の事はしない。それでもいいか?」
これから行うのはあくまで調理実習であり、海斗一人でやってはいけない。
協力するのは構わないが任せっきりは許さないと、海斗のスタンスをきっぱりと示した。
すると、意外にも美桜の友人達は嬉しそうに微笑む。
「おっけーおっけー。むしろ全部されたら、女子のプライドがなくなっちゃうよ」
「流石にそんな酷い事しないって。よろしくね、天音」
「……ああ、よろしく」
海斗の意思はあっさりと受け入れられ、調理実習が始まった。
「おーい、天音ー。バターってこのくらい溶かせばいいのかー?」
「ああ、そのくらいだ」
「混ぜるのはこれでいいんだよな?」
「ストップ。それは強力粉だから生地の成型に使うやつだ。薄力粉を持ってきてくれ」
「お、おう。俺には違いが分かんないけど、取り敢えず了解だ」
男子三人での生地作りはスムーズに進み、いよいよ最後の工程である海斗の出番となった。
溶かしてくれたバターと薄力粉を、ゴムベラで切るように混ぜる。
「ねー。もっと勢いよく混ぜたらダメなの? 何か全然混ざってなくない?」
「ああ、混ぜすぎるとクッキーが固くなるんだ。だからこうやって数字の1を描くように、少しづつ混ぜた方がいい」
「はえー。そうなんだ」
頼られている立場で、間違った答えを言う事は許されない。
真剣に質問に答え、感心したような声を上げながら生地を混ぜる女子の様子を窺う。
生地が完成したら、後は女子三人の出番だ。
「あ、天音……。窓開けなくてよくない? 寒いよぉ……」
「少しだけ我慢してくれ。成型する時は生地が冷えた方がいいんだ」
「うぅ、分かったよ……」
申し訳ないと思いつつも大切な事だと言い聞かせ、アドバイスをしていく。
勿論、周囲のクラスメイトや教師にも許可を取ってだ。
とはいえ多くのクラスメイトから「あいつら何やってんだ」という風な視線をいただいているのだが。
何にせよ美桜達女子のお陰でクッキーの成型も終わり、後は焼くだけだ。
オーブンに突っ込み、焼いている間に片付けを行う。
その中で使った食器等を美桜が洗い、海斗が拭く係となった。
「凪ちゃん先輩と何かあった?」
「……凪さんはいつも通りだよ」
凪が修学旅行から帰ってきてから、美桜は海斗へ何も聞いてこなかった。
しかし、気が変わったらしい。
皿から一瞬だけ海斗へ視線を変え、彼女が面白そうに笑う。
「つまり、天音は違うって事だ」
「ああ、そうだよ。ちゃんと自覚した」
別に隠す必要はないし、凪と向き合えと言ってくれた美桜には正直な気持ちを伝えたかった。
とはいえ今更かと、面白い事になったと揶揄われるかと思ったが、どうやら違うらしい。
美桜がふっと力が抜けたような笑みを零す。
「そ。なら、頑張って付き合いなさいな」
「……それだけ、か?」
「天音の恋路を応援する事はあっても、揶揄う気はないよ。言ったでしょ? 凪ちゃん先輩なら天音を安心して任せられるって」
「やっぱり俺が任せられる側なんだな」
以前喫茶店で話した時と変わらない美桜の言葉に、苦笑を落とした。
美桜はというと、分かり切っているだろうという風に呆れ混じりの微笑を浮かべる。
「もちろん。目指せ主夫、でしょ。というか、今日作ったクッキーも凪ちゃん先輩にあげるんじゃないの?」
「主夫になるかは置いておいて。クッキーはその通りだよ」
六人で分けられるクッキーだが、海斗は自分で食べるつもりがない。
どうせなら、凪に渡して喜んでもらいたいのだ。
素直に認めれば、微笑ましいものを見るように美桜の頬が緩む。
「凪ちゃん先輩、滅茶苦茶喜びそうだね」
「そうだといいがな」
食器を洗い終えるまでの僅かな時間。
それでも、美桜とゆるい空気を楽しむのだった。




