第33話 見送り
「それじゃあ今日の本題とさせてもらおうかな」
「……そういえばそうだったな」
美桜が凪と仲を深めて一段落したからか、瞳を輝かせて海斗を見つめた。
喫茶店に来てから大騒動があったせいで忘れていたが、ここに来た本来の目的は美桜にお菓子を持って来る為だ。
テーブルの上に置いていた箱を、そのまま彼女へ恭しく渡す。
「お代官様、お納めください」
「うむ、苦しゅうない。それで、何個ずつ?」
中身のないやりとりに笑みを交わすが、その後美桜の瞳がすぅっと細まった。
少々理不尽な気がするものの、これが信頼の裏返しだという事は十分に理解している。
そもそも、凪と美桜の二人が食べるのだ。
各種類一個ずつ食べてもらって終わらせるような、ケチ臭い事はしてない。
胸を張って唇の端を吊り上げる。
「各三個ずつ入れてるぞ。たっぷり食べてくれ」
「さっすが天音! それじゃあ凪ちゃん先輩、一緒に食べましょう!」
「え、いいの?」
「はい。こういうのは分け合うから美味しいんですよ!」
美桜が分けてくれるとは思わなかったようで、凪がきょとんと無垢な顔で首を傾げた。
自分へのご褒美ではあっても、誰かと分け合う精神は素晴らしいと思う。
しかし、これ以上凪がお菓子を食べては晩飯が入らなくなるはずだ。
彼女とてそれを分かっており、不安そうに海斗を見つめる。
「それは嬉しいけど、その……」
「一ノ瀬には悪いけど、それはナシにしてくれ。凪さんはさっき食べてきてるんだ」
「ああ、そういう事。凪ちゃん先輩はそれでいいんですか?」
「うん。海斗が言うなら食べない」
もしかすると食べたかったのかもしれないが、それでも海斗の言葉にあっさりと凪が同意した。
胸が申し訳なさに僅かだが疼き、「ありがとうございます」とお礼を口にして微笑むと、探るような美桜の視線が向けられる。
「オーブンとか使わせてもらったんでしょ? それに凪ちゃん先輩はテストで学年一位だったし、私よりも多めに作ってあげたのよね?」
「当然だ。まだシュークリームはあるし、プリンも食べてもらったぞ」
「ぷ、プリン!? 何で私にも作ってくれなかったの!?」
「シュークリームはオーブンを使わせてもらったお礼。プリンは学年一位のご褒美。何か問題が?」
そもそもシュークリームは美桜のリクエストなのだから、そこで「ついでにプリンも作るか」とはならない。
悲鳴のような声を上げた美桜に憮然とした態度で言い返すと、彼女がぐっと喉に言葉を詰まらせた。
「な、無いけどさぁ……。凪ちゃん先輩、プリン美味しかったですか?」
「すっごくおいしかった。残りは晩ご飯の後に食べるから、楽しみにしてる」
「ぬあぁぁぁぁ! 羨ましいー!」
美桜が体を捩らせて悶える。それほどまでに食べたかったようだが、美少女が台無しだ。
とはいえ感情を思いきり表現されるのはもう慣れており、何も思わない。
ただ、凪は気にしてしまったらしく、顔に焦りを浮かべて眉を下げた。
「ご、ごめんなさい……」
「謝る必要はありませんよ、凪さん。一人で勝手に盛り上がって嫉妬した奴なんて放っておけばいいんです」
「ひーどーいー! 作ってよー!」
「却下だ。テストで負けた件はこれで終わりだし、対価が無いと作らんぞ」
「けちー!」
「ケチで結構。ほら、さっさと食え。食べないなら没収するからな」
駄々っ子のように文句を言う美桜を素っ気なく流す。
すると、美桜の隣に座っている少女の蒼い瞳が見開かれた。
美桜への態度も凪への態度も、どちらも噓偽りのない海斗の姿だが、彼女にとっては意外だったのだろう。
少し気まずくて美桜に視線を戻せば、これ以上言っても無駄だと悟ったらしく、渋々といった表情でシュークリームの箱を開けていた。
「…………いただきます」
「おう。これでも一ノ瀬が食べると思って、気合入れて作ったんだ。割と自信はあるぞ」
「っ……。ホント、天音の不意打ちは卑怯だね」
「卑怯も何も、事実を言っただけだっての」
料理を作る上での一番の要素は、食べてくれる人を思う事だと教わった。
それはしっかりと海斗の中に根付いており、今回も美桜や凪の事を思いながら料理している。
自慢する事でもないと僅かに頬を染めている美桜に告げれば、はあと溜息をつかれた。
「そーですか。……ありがとね」
小さな呟きを落とし、美桜がシュークリームにかぶりつく。
何が理由か分からないが、呆れたと言わんばかりの表情は、すぐに蕩けるような笑みに変わった。
「んー、美味しい! 天音の料理は最高だね!」
「……そうか」
真っ直ぐな褒め言葉に頬が熱くなり、そっぽを向く。
すると「むぅ」という唸り声が耳に届いた。
声のした方を向くと、凪がほんのりと唇を尖らせている。
「凪さん? もしかして、ホントはシュークリームを食べたかったんですか?」
「違う。心配は要らない」
「そ、そうですか」
凪の声色が平坦なのはいつも通りだが、先程は微妙に棘があった気がする。
とはいえ彼女の表情からはあまり怒りは感じられず、困惑が見えるのだが。
何にせよ海斗が踏み込んではいけない気がして、すぐに引いた。
「へぇ……」
「何だよ」
「ううん。べっつにー」
いつの間にか生温かい笑みを浮かべていた美桜を問い詰めるが、さらりと流されてしまう。
明らかに話す気がなさそうなので、諦めて奥に引っ込んだ清二に水をもらいに行くのだった。
「さてと、それじゃあお邪魔しました!」
閉めた店に居続ける訳にはいかないという事で、美桜がシュークリームを食べ終わると、すぐにお開きとなった。
清二は居ても構わないと言っていたが、流石に良心が許さなかったのだろう。
一足先に帰るつもりだったらしく、美桜がすぐに店を出た。
話し込んだせいで日が暮れており、念の為に海斗もすぐに店を出る。
「待て一ノ瀬。暗いから送ってくぞ」
「これくらい遅い時間にここから帰った事なんて何度もあったし、大丈夫だって」
「いや、でも今日は俺がバイトに入ってないし――」
「大丈夫って言ったら大丈夫なの! それに、天音が送るべき人は私じゃないでしょ?」
店の中で清二に挨拶をしている女性を放っておくな、という美桜の圧が妙に強く、口が動かない。
凪とは仲良くなっていたし、途中まで一緒に帰るのに抵抗はないはずだ。
もし一人ずつ送るとしても、凪には喫茶店で待ってもらえばいい。
しかし、そんな海斗の考えを口にする暇は与えてもらえず、美桜が手をひらひらと振った。
「それじゃあまたね。凪ちゃん先輩のお世話もあるけど、偶にはバイトに来なさいな」
「俺が来ないと一ノ瀬が愚痴を言う相手が居なくなるからな、そうするつもりだ」
「助かるー。凪ちゃん先輩にあれこれ話すのは流石に申し訳ないしね」
いつも通りの軽いやりとりが空気を和らげ、肩の力が抜ける。
もう美桜と一緒に帰ろうとは思わないが、せめてここから見送らせて欲しい。
そう思って喫茶店の扉から動かないでいると、美桜が痛みを押し殺したような微笑を浮かべる。
「…………私の役割が分かったよ。清二さんは優しくて残酷だねぇ」
「どうした?」
「なーんでもない!」
小さな呟きは少し冷たい風にかき消され、よく聞こえなかった。
気にはなるものの、首を振った美桜の表情が普段通りのものだったので、彼女が話したくないのなら聞かない。
その後、美桜はくるりと身を翻して歩き出すが、すぐに首だけで振り返った。
可愛らしい顔はいつもの溌剌とした笑みではなく、遠くを見るような、けれど慈しむような優しい笑みに彩られている。
「凪ちゃん先輩、大事にしなさいよ。あんなに頼ってくれる人を悲しませちゃ駄目だからね」
「分かってる、心配してくれてありがとな。それじゃあ、また」
「うん」
短い返事をした美桜は、今度こそ歩き出す。
その姿が曲がり角で見えなくなるまで、海斗は喫茶店の外に居たのだった。




