第34話 サービス
美桜を喫茶店の入り口から見送って中に入ると、ちょうど凪と清二が話を終えたらしい。二人が海斗へと視線を向けた。
「海斗くん達もすぐに帰るかい?」
「そうさせてもらいます。凪さん、いいですか?」
「ん。大丈夫」
小さく頷いた凪が、相変わらずの無表情で店の外へ向かっていく。
言葉が少ないのはいつも通りだが、どこかよそよそしい気がした。
美桜と三人で居る際にも偶に似たような雰囲気になっていたが、相変わらず理由はさっぱり分からない。
既に美桜とは仲良くなっており、海斗を取られまいとする独占欲は消えているはずなのだから。
そして一緒に帰る事に関して嫌がっていない事で、更に謎が深まっていた。
どうしたものかと頭を悩ませながら、海斗も店を後にしようとする。
すると「ああ、そうだ」と穏やかな男性の声が掛かった。
「今更言う事じゃないけど、これからも凪ちゃんをよろしくね、海斗くん」
「はい。出来る限りの事はしますよ。お邪魔しました」
身も蓋もない事を言えば、お金が貰えるから海斗は凪の世話をしている。
しかし凪が頼ってくれるからお世話したい、という気持ちの方が大きい。
しっかりと清二に頷きを返して店を出る。
外には嬉しさと不満を混ぜ込んだような、不思議な表情の凪が居た。
下手に突いて機嫌を斜めにしたくないので、この場でその表情には触れない。
「さて、帰ってご飯にしましょうか」
「ん」
凪と一緒に高級マンションへ帰るが、その際に会話は全くなかった。
部屋に入って荷物を置き、ソファに腰を下ろしている彼女の横に距離を開けて座る。
晩飯の前に、まずは済ませなければならない事があるのだから。
最悪の可能性を考えて緊張に手に汗が滲みながらも、意を決して口を開く。
「言いたくなかったら言わないでいいんですけど、もしかして俺が凪さんを怒らせましたか?」
女性の機微を見ただけで察せるようになれたら良いのだが、生憎と海斗にそんな技術はない。
そうなると、残る手段は正直に聞くだけだ。
黙って溜め込んで関係が拗れるよりかは、こちらの方が良いだろう。
決して強制はしないと微笑みながら尋ねれば、形の良い眉がへにゃりと下がった。
「そんな事ない。…………ちょっと、美桜が羨ましかっただけ」
「羨ましい?」
「うん。だって、海斗とすっごく楽しそうに話してたし、海斗も美桜に対して遠慮がなかったから」
「あー。そういう事ですか」
凪の前で美桜に雑な態度を取った際に驚かれたが、もしかするとああいう態度が気に食わなかったのかもしれないと思っていた。
下手をすると、嫌われた可能性もあると思っていた程なのだから。
しかし、凪はああいう遠慮のない態度を取る関係に憧れていたのだろう。
不機嫌な理由が分かって頷くと、彼女が申し訳なさそうに瞳を伏せて頭を下げた。
「嫌な思いをさせて、ごめんなさい」
「理由が分かったので、それはいいですよ。話してくれてありがとうございます」
全く話してくれずに不機嫌なままだったら、ぎくしゃくしていたはずだ。
勇気を出して良かったと、胸を撫で下ろす。
これで蟠りが無くなったはずだが、凪の表情は晴れない。
「本当は、こういう感情を口にするのは迷惑かなって、黙っておくつもりだったの」
「その割には、あっさり言ってくれた気がするんですけど」
「それは、海斗が居ない間に『尋ねられたら正直に話した方が良いよ』って清二さんに言われたから」
「二人で話してた事ってそれだったんですね」
「ん」
二人の話は気になっていたものの、凪の実家関係の話だと思って海斗は距離を取っていたのだ。
しかし、清二は凪に素晴らしいアドバイスをしてくれていたらしい。
今度喫茶店に行く際に、きちんとお礼する事を内心で決意する。
胸のつっかえが取れたからか、凪が口元に緩やかな弧を描かせた。
「正直、嫌がられたらどうしようって思ってた。でも、そんな事なかった。ありがとう、海斗」
「……こんなの普通ですよ」
嬉しさを全力でぶつけるような笑みを直視出来ず、視線を逸らして頬を掻く。
胸のむず痒さを誤魔化す為に晩飯を作ろうとしたが、腰を僅かに浮かせた瞬間に「じゃあ」という声が耳に届いた。
「私にも美桜みたいに接して欲しい」
「うーん……。年上にああいう態度を取るのは、流石に抵抗があるんですが」
偶に子供っぽい仕草をする事はあるが、凪が年上の女性という事実を忘れた事はない。
彼女の気持ちは理解したものの、そう簡単に納得は出来なかった。
頬を引き攣らせれば、凪が小さな唇を尖らせる。
「たった一歳違うだけなんだから、そんなの気にしちゃ駄目。敬語も無し」
「え゛。いやぁ、それは……」
「海斗と堅苦しい関係は嫌。だから、お願い」
着飾らず全く隠そうともしない純粋な思いに、海斗の思考がぐらりと傾いた。
とはいえ凪の言い分から判断すると、もしかしたら彼女は勘違いしているかもしれない。
誤解を解く為に、沸き上がる気恥ずかしさを抑えながらアイスブルーの瞳を見つめる。
「そう言ってくれるのは嬉しいですが、俺は凪さんと堅苦しい関係だと思った事はありませんよ」
「でも、美桜への態度と全然違うから……」
「そりゃあ知り合う人全てに同じ反応なんてする訳ないでしょう? 俺は清二さんにも敬語を使ってますが、壁があるように見えましたか?」
「……あんまり海斗と清二さんが話す所は見た事ないけど、壁はなさそうだった」
痛い所を突かれたという風に、凪が顔を顰めた。
良くも悪くも、人は相手によってある程度は態度を変えるものだ。
それは生きていく上で仕方のない事だし、各個人で距離感が違うからというのもある。
それでも、清二に対しても凪に対しても、海斗は本心で接していた。
「でしょう? だから、敬語のあるなしは関係ないんですよ。でも、そうですね……」
いくら説明したとしても、納得出来ない事はある。
現に凪はお願いをしてこなくなったが、表情には不満の色が見えていた。
拗ねた子供のような態度の凪に、くすりと小さな笑みを落とす。
「今度からは、もう少し雑な態度でもいいですか?」
「……っ。うん!」
澄んだ瞳が大きく見開かれ、喜びに満ちた満面の笑顔が咲いた。
ここまで喜んでくれるのなら、もう少し譲歩してもいいかもしれない。
「なら、納得してくれた凪さんに少しだけサービスです。……嫌だったら、すぐに言ってくださいね」
許可はもらっていたものの、一応予防線は張った。
具体的な内容を言わなかったせいで、凪が可愛らしく小首を傾げる。
「ん? 分かった」
「言質は取りましたよ。それじゃあ晩飯が出来るまでの間だけですが――これでいいか、凪?」
「……」
突然敬語を外した事で、凪が固まってしまった。
流石にいきなり過ぎたかと不安が沸き上がってくるが、心配は無用だったらしい。
美しい顔が歓喜に彩られ、凪が海斗との距離を詰める。
「それでお願い! というか、ずっとそれでお願い!」
ふわりと香った甘い匂いに、心臓の鼓動が早まった。
胸の動揺を抑えつつ、ソファから立ち上がる。
「滅茶苦茶違和感あるから勘弁してくれ。何を言われても期間限定だからな」
「うぅ……。けちー!」
「うわぁ。一ノ瀬二号が出来た……」
憤りをぶつけるかのように駄々を捏ねる姿に、先程別れた友人の姿を幻視した。
呆れを混ぜた呟きを落とすものの、子供っぽい姿は可愛らしく、海斗の頬が緩む。
とはいえここで妥協は出来ないと、凪を無視してキッチンに向かうのだった。




