第32話 女子の繋がり
「さてと、まずは――」
すぐに海斗を揶揄うかと思ったが、美桜は生温い笑みを引っ込めて凪へ視線を向けた。
明るくはあれど落ち着いた微笑みには、凪への批判など欠片も込められていない。
「改めて、一ノ瀬美桜です。よろしくお願いします」
海斗が事情を話す前に軽く挨拶していたとはいえ、改めて美桜が自己紹介した。
外見だけを見れば今時の女子高生なのに、美桜の態度は非常に落ち着いている。
そのせいで、凪がアイスブルーの瞳に戸惑いを浮かべていた。
「あ、えっと、西園寺凪。よろしく」
「はい。それで、天音が西園寺先輩のお世話をしてるんですよね? 間違いはありませんか?」
「う、うん。そうだけど……」
詳細を話していないとはいえ、料理をしなかったり掃除が必要な部屋なのを知られたのだ。
何を言われるのか分からないと、凪が僅かに体を引いて警戒する。
そんな態度を解すように、美桜が鮮やかな笑みを浮かべた。
「なら心配は要らなさそうですね。天音って料理に掃除と完璧ですし、気遣い上手ですから」
「…………え?」
「だって喫茶店で出す料理は絶品。店の掃除をよく清二さんに任されてるみたいですし、水とか気が付いたら注いでくれるんですよ? 西園寺先輩のお世話も大丈夫に決まってます」
普通ならば海斗と凪の関係に口出ししてもおかしくないのだが、美桜は一切深入りしない。
そこまでは予想していたものの、まさか海斗をべた褒めされるとは思わなかった。
凪はというと、美桜の予想外の態度に固まってしまっている。
沸き上がる羞恥を沈めながら、美桜へ視線を向けた。
「料理を褒めてくれる事はあったけど、俺ってそんなに評価が高かったんだな」
「そうよ。おかしい?」
「おかしくはないし、むしろ嬉しいけど、何でいきなり俺の前で褒めたのか気になる」
「そ、そりゃあ、天音の良さを分かってくれる人を見つけたからね」
何だかんだ恥ずかしいようで、美桜が頬を僅かに染める。
海斗の心を擽る言葉に何を返せばいいか分からず「……そうか」としか言えなかった。
普段ならば間違いなく揶揄ってくるのだが、美桜は優しい笑みを浮かべただけで、すぐに凪へ視線を戻す。
「まあ天音と西園寺先輩に関わりがあったのは驚きですが、西園寺先輩は天音の良い所を知ったからこそ一緒に居るんでしょう?」
尋ねる形ではあったものの、そうでなければ一緒に居るはずがないと確信している口調だった。
美桜とて凪が学校で誰とも仲良くしないのを知っているのだから、予想するのは簡単だったのだろう。
とはいえ美桜からは海斗への信頼がこれでもかと伝わってきて、頬が炙られたかのように熱いのだが。
「……うん。海斗は特別。海斗じゃなきゃ、ここまで仲良くしなかった」
硬直から復活した凪が、恥ずかし気に瞳を伏せて言葉を零した。
美桜だけでなく凪からも全力の信頼を向けられ、海斗の羞恥は限界に近い。
今すぐにこの場から逃げ出したいが、初めて会って一時間も経っていない二人を放っておくのは不安過ぎる。
回れ右しそうになる足を理性で縛り付けていると、美桜がにまぁ、と生温い笑みを浮かべた。
「成程ねぇ……。実は私も似たようなものなんですよ。本当に仲が良いのは天音くらいです」
「そう、なの?」
「はい。と言う訳でもう一度、改めてよろしくです」
「う、うん。よろしく……」
海斗を褒めたからか、それとも凪の境遇に余計な口を挟まなかったからか。
何にせよ、凪の中で美桜は信用に足る人物になったらしい。
差し出された美桜の手へ凪が手を重ね、しっかりと握手を交わした。
何だかんだで相性が良いとは思っていたが、本当に仲良くなって一安心だ。
もう海斗が居る理由はないと、頬の熱を逃がす為に二人から距離を取ろうとする。
しかし突然美桜が海斗へ首を向け、じとりと目を細めた。
「何逃げようとしてんのさ。私が恥ずかしい事を暴露したんだから、天音も暴露して」
「ふざけんな。一ノ瀬の自爆だから俺は無関係だろ」
「はぁー? 折角天音の株を上げてあげたのに、そんな事言うんだ?」
「それは嬉しいけど、恥ずかしい事なんて何も無いっての」
「ホントにぃ?」
にまにまと意地の悪い笑みを浮かべ、美桜が海斗を覗き込む。
毎日凪の下着を見ているせいで、動揺に心臓が跳ねた。
悟られては駄目だと、逸らしそうになる視線を根性で固定する。
「な、無い」
「ふうん……。ねえ凪ちゃん先輩、ホントですか?」
「な、凪ちゃん先輩!?」
おそらく一度も言われた事がない呼び方をされたせいで、凪が素っ頓狂な声を上げた。
明らかに混乱している様子の凪に、美桜がにこやかな笑みを浮かべて擦り寄る。
「だって凪ちゃん先輩が滅茶苦茶可愛いんですもん。というか滅茶苦茶話しやすいので、誰とも仲良くしないなんて噂は噓っぱちですねぇ」
「可愛い、はあんまり分からないけど、一ノ瀬さんは海斗の友達なら悪い人じゃないって信用してるから話せるだけ。後は、私が海斗にお世話になってるのを何も言わなかったから」
「部屋の掃除とか料理なんて天音に任せればいいんですから、そんなの欠点でも何でもないです! というか一ノ瀬さんなんて堅苦しい呼び方じゃなくて、美桜でお願いします!」
勝手に決めるな、と言いたくはあったが、凪の世話を任されているのは事実なので口を噤んだ。
それに凪が変な呼び方をされたのが気になったものの、嫌がっているように見えないので、放っておいてもいいだろう。
とはいえ、美桜の勢いに押されてたじろいでいるのだが。
「えっと、美桜?」
「はいはい、美桜です! いやぁー、まさか凪ちゃん先輩と話せるとは思いませんでした! ああそうだ。今更ですが、凪ちゃん先輩で大丈夫ですか?」
「……長いけど、美桜がそれでいいなら」
「全然おっけーです!」
美桜が嬉しさが弾けたような笑みを浮かべているので、仲良くなれたのが余程嬉しかったのだろう。
もしかすると、海斗という共通の話題以外にも感じるものがあったのかもしれない。
そして、凪も何だかんだで微笑を浮かべていた。
「それで、天音に恥ずかしい事はされてませんか?」
「大丈夫。それに海斗は何でもしてくれるから、すっごく助かってる」
「何でも?」
「うん。料理に掃除、それに――」
「な、凪さん! こういう場であんまりプライベートの事を話すのは駄目です!」
凪が明らかに余計な事を言いそうだったので、適当な理由をでっち上げて遮る。
文句の一つでも言われるかと思ったが、あっさりと頷かれた。
「海斗がそう言うなら言わない」
「天音ー。それはズルじゃない? というか私達しか居ないんだし、話しても良いと思うんだけど」
「駄目なものは駄目だ!」
明らかに何かありました、という態度を取ってしまったので、美桜にはバレてしまったのだろう。
しかし海斗が明確に拒否するなら、これ以上は踏み込まないでくれるはずだ。
予想通り、美桜は溜息をついて「仕方がないなぁ」と呟いた。
「分かった分かった。もう聞かないから」
「……そうしてくれ」
「でも女性じゃないと話せない事とかあるから、そういうのは許してね。という事で凪ちゃん先輩、連絡先を交換しませんか?」
にやりと一瞬だけ悪い笑みを浮かべ、美桜が凪へお願いした。
珍しく詳細を知ろうとしたのは、連絡先を交換する為だったのだろう。
そんな事までして連絡先を知りたいと思わなかったのか、それともお願いされたのが嬉しかったのか。凪があっさりとスマホを取り出す。
「いいよ。はい」
「ありがとうございます! いっぱい話しましょうね!」
「うん。ありがとう、美桜」
「いえいえ、それは私の方が言いたいくらいですよ!」
海斗をダシにして凪と仲良くなるという、美桜の悪知恵にひっそりと溜息をつく。
とはいえ凪に友人が出来た事は確かで、胸が温かなものに満たされたのだった。




