第31話 大騒動
「本当に会いに行くんですか……?」
マンションを出て、喫茶店への道を歩きながら凪に問い掛けた。
凪があまりにも意外な発言をしてから、海斗は何度か同じ事を彼女に尋ねている。
しかし凪は全く意思を曲げず、こうして一緒に喫茶店へ向かっているのだった。
「うん。もう決めた。いくら海斗のお願いでもやめない」
「何でそんなに会いたがるんですか? 正直、凪さんが気にするとは思わなかったんですが」
凪は基本的に他人と仲良くなろうとしない。何せ、海斗とて最初は拒絶されていたのだから。
その理由は自分が会話下手だったりトラウマがあるからなのだが、他人と距離を取るのに違いはないだろう。
いくら海斗の友人相手でも凪のスタンスは変わらないと思ったのだが、どうやら違ったようだ。
彼女の考えが全く分からないので思いきって質問すれば、彼女が顔を僅かに曇らせて首を傾げる。
「……何となく、そうしたいと思ったの」
「それなら別に良いですけど、いきなり喧嘩とかしませんよね?」
オーブンを借りる際にも似たような顔をされたが、未だに自らの感情が分からないらしい。
流石に二回目ともなればある程度確信を持てるものの、海斗の口からは言えなかった。
自覚が無いながらも独占欲を抱いてくれる事に、緩みそうになる頬を抑える。
とはいえ、海斗が下着を畳んでいても相変わらず無反応なので、単に海斗が凪以外の同年代の人と仲が良いからだろうが。
凪の性格上、まず有り得ないと思うものの、それでも心配になって尋ねた。
すると、心外だという風に彼女が唇を尖らせる。
「海斗の友達だし、そんな事しない。それに、向こうは良い人なんでしょ?」
「まあ、そうですね。良い奴ですよ」
「……へぇ」
海斗の言葉に、凪が低い声を漏らして機嫌を斜めにした。
いけない事だと分かっていても、海斗を大切に思ってもらっていると態度で示され、胸が温かくなる。
とはいえこれ以上美桜の事を話すのは危険だと、口を噤んで歩いていれば、あっさりと喫茶店に着いた。
「「こんにちは」」
カランとベルの音を響かせて店に入る。
夕方ではあるが今日も閑古鳥が鳴いており、店には美桜と清二しか居なかった。
「あ、来た来た。やっほ、あま――」
「いらっしゃいま――」
二人の視線が海斗と一緒に入ってきた人物へと向けられ、言葉が途切れる。
清二には一言くらい伝えるべきだったと今更ながらに後悔したが、凪を問い詰める事しか頭に無かった。
流石に怒られる事はないと思うものの、胸を張れはしない。
曖昧な笑みを浮かべて清二と美桜に近付く。
「えっと、どこから説明した方が良いでしょうか」
「…………私は、ちょっと、落ち着かせて欲しい、かな」
「じ、じゃあ僕が先に聞かせてもらうよ。どうして凪ちゃんを連れて来たんだい?」
「私が海斗に無理矢理ついてきました。海斗がお菓子を渡す人を見たかったので」
清二は海斗に尋ねていたのに、凪が代わりに答えてしまった。
あまりに情報が多すぎるからか、清二が頭痛を覚えたかのように頭を抑える。
どうやら、喫茶店のマスターとしての顔を作る余裕はないらしい。
美桜はというと、澄んだ瞳を大きく見せていた。
「…………少しずつでいいから、詳細を話してくれるかな?」
「了解です。西園寺先輩、まずは座りましょうか」
「ん? 何でそんな呼び方をするの? いつも通りでいいのに」
「いつも通り!? 天音はいつもどんな風に西園寺先輩を呼んでるの!?」
ついに我慢が出来なくなったのか、美桜が悲鳴のような声を上げた。
清二は生温い笑みに呆れを混ぜ、凪は何が駄目だったのかと無垢な顔で首を傾げている。
凪の手によって次から次へと爆弾が投下されたせいで、収拾の付け方が分からない。
「お願いですから落ち着いてください。ホントお願いします……」
がっくりと肩を落とし、必死に懇願する事しか出来ない海斗だった。
「事情は分かったよ。まさか凪ちゃんがそんな事をするとはねぇ……」
何とか喫茶店に来た流れを説明し終えて一息つく。とはいえ、凪の簡潔な説明を補足する程度だったのだが。
また、店は海斗が説明する前に清二が閉めていた。
あまりに自由過ぎないかと心配になったが、清二曰く「こんな状況で店は開けない」との事らしい。
流石に申し訳なさが沸き上がってきて、一度帰るべきかと事前に提案した。
しかし「自営業だから気にしないで欲しい」と言われ、結局説明をして今に至る。
「いい傾向ではあるし、僕に凪ちゃんの行動を止める権利はないよ」
「う……。いい傾向は言い過ぎ、です」
「おや、今までの行動を振り返っても、凪ちゃんはそんな事を言えるかい?」
「…………すみません」
これまで他人を拒絶する態度を取っていたせいで、凪が清二に言い負かされた。
しゅんと身を縮める凪へ、清二が生温い視線を向ける。
「でも、いい傾向だって言ったはずだよ。海斗くんを名前で呼んでるみたいだし、そこも進展があったようで何よりだ」
「海斗は大切な友達だから、名前で呼ぶ事にしました。何か変ですか?」
「全然変じゃないよ。だから、海斗くんもいつもの呼び方にしていいんだからね?」
「それ、は……」
今すぐに呼べと視線で催促され、羞恥が沸き上がってきた。
何とか話題を逸らしたいのだが、期待に彩られたアイスブルーの瞳がジッと海斗を見つめている。
一言も話さずに説明を聞いていた美桜は、興味深々とばかりに目を輝かせていた。
こんな状態で話題を逸らす事など出来ず、覚悟を決めて口を開く。
「…………凪さん」
「ん。それでいい」
散々振り回されたので凪に文句の一つでも言いたくなったが、満足気な笑みにその気持ちが萎んでいった。
せめてもの仕返しとして盛大に溜息をつけば、清二が柔らかい笑みを浮かべてうんうんと頷く。
「取り敢えず、これで海斗くんと凪ちゃんに聞くことはないかな。でも、一ノ瀬さんにはお願いがあるんだ。いいかい?」
「天音が西園寺先輩のお世話をしている事は他言無用、ですよね。分かってますよ」
ここまで来て美桜を仲間外れにする訳にはいかず、彼女には海斗が凪のお世話をしている事を詳細をぼかして話した。
とはいえ美桜が秘密を守る人物だと信用した上での事であり、清二もそれを分かっていたからこそ追い出しはしなかったのだが。
美桜に尋ねたのは、あくまで確認の為でしかない。
お願いという言葉だけできちんと美桜が理解して頷けば、清二が満足そうに笑んだ。
「ならいいんだ。それじゃあ僕は引っ込んでおくよ」
「何も相談せず、勝手な事をしてすみません。それと、ありがとうございます」
「相談される事じゃないさ。単に、凪ちゃんがここに来たのに驚いたってだけだからね」
「…………ありがとうございます」
余計な口出しはしないと、あくまで凪のお世話をお願いしただけだと、大人の包容力を見せた清二に深く頭を下げる。
顔を上げれば、彼がゆるく首を振ってカウンターの奥に向かって行った。
ありったけの感謝を込めて、見えないと分かっていても再び頭を下げる。
これでまずは一段落だとホッと息を吐き出すと、先程まで殆ど聞き手だった美桜が艶やかな口を開いた。
「それじゃあ次はいよいよ私のターンだね?」
海斗と凪の関係を秘密にすると約束はしてくれたが、美桜はその程度では終わらない。
揶揄う気満々のにやついた笑みに、細く息を吐き出すのだった。




