表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
新・ガリア戦記  作者: 維岡 真
第20章 カエサルの過去 ~青年期Ⅱ~

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

249/275

草の匂い

宿に泊まることが、逆に危なくなった。

屋根は安全の印ではない。

屋根は噂を集める。

酒場は目を集める。

宿は銅貨を集める。

銅貨を集める場所には、必ず売る者がいる。


それからカエサルたちは野宿が増えた。

森の縁。

崩れかけた祠の裏。

乾いた河原。

誰も通らない獣道の先。

雨が降れば濡れる。

風が吹けば冷える。

それでも人の声がないだけで、息ができた。


ある日。

三人は洞窟に身を寄せていた。

口が狭く、奥が暗い。

火を焚けば外へ漏れる。

焚かない。

焚かない代わりに、肩を寄せて夜をやり過ごす。


ティロが先に気づいた。

カエサルの呼吸が荒い。

荒いのに、咳が出ない。

額に触れると熱い。

手のひらが跳ね返される熱だ。


「……おい」

ティロが囁く。

「カエサル」


カエサルは目を開けようとして、開けられない。

まぶたが重い。

重いまま、声だけが出た。


「……大丈夫」


大丈夫ではない声だった。

声の芯が薄い。

薄い芯は、すぐ折れる。


ルフスが近づいて、顔をしかめた。


「熱だな」

「やばい熱」


薬はない。

医者もいない。

焚火もできない。

できないことばかりが揃う。

揃った瞬間に、人は死にやすくなる。


カエサルは寝込んだ。

洞窟の床の冷たさが、熱を奪うどころか熱を押し戻す。

汗が出る。

出るのに、寒気がする。

歯が鳴る。


ティロは舌打ちを飲み込んだ。

音を出しても仕方がない。

仕方がないのに、焦りだけが増える。


「水」

ティロが言う。

「布」

「それと……草だ」


ルフスが眉を寄せる。


「草?」


ティロは頷く。


「薬草」

「前にグニポが言ってた」

「熱には、苦いやつ」

「臭いの強いやつ」

「全部が効くわけじゃないけど」

「何もしないよりは——」


ルフスは即座に立った。

立って、洞窟の入口を見た。

外は薄明るい。

薄明るいほど危ない。

追手の目は、昼の方が動く。


「行くなら今だな」

ルフスが言う。


ティロは頷いた。


「俺が探す」

「お前は——」


「一緒に行く」

ルフスが遮る。

「お前一人じゃ、危なっかしい」


ティロは言い返しかけて、黙った。

否定できない。

否定できないことが、怖い。


ティロは洞窟の奥を振り返った。

カエサルは目を閉じたままだ。

息が熱で細い。

細いのに、途切れそうで途切れない。

途切れないのが頼りで、頼りが薄い。


「すぐ戻る」

ティロは言った。

カエサルが聞いているかは分からない。

分からないけれど、言う。

言うことで自分の足を縛る。

戻るための縛りだ。


二人は外へ出た。

足跡を残さない道を選ぶ。

土の柔らかい場所を避ける。

石の上を渡る。

音を殺す。

息を揃える。


しばらくして、崖に出た。

崖の途中に、草が生えている。

背の低い、濃い緑。

葉の裏が白い。

臭いが強い。

ティロが指を差した。


「あれだ」


ルフスが覗き込み、舌を鳴らす。


「……取れるかよ」


足場が悪い。

石が脆い。

手を伸ばす角度がいやらしい。

無理をすれば落ちる。

無理をしなければ、カエサルが落ちる。


ルフスは息を吸った。

吸って、吐いた。

剣を振る前の呼吸だ。


「俺が取る」

ルフスが言った。


「待て」

ティロが言う。

「俺が——」


「お前は落ちたら戻れない」

ルフスが言う。

「俺は戻れる」

「雑だからな」


ティロは言い返せなかった。

雑だから戻れる。

その理屈が腹立たしいのに、今は正しい。


ルフスは身を低くして手を伸ばした。

指先が葉に触れる。

触れた瞬間、足元の小石が滑った。

滑った音が、嫌に大きい。


「っ——」


足場が崩れた。

崩れた瞬間、ルフスの体が浮く。

浮いて、落ちる。

数メートル。

石に当たり、土に当たり、肩から転がり落ちる。

転がる音が、骨の音に聞こえる。


ティロの喉が鳴った。

叫びは出せない。

出せば人が来る。

人が来れば終わる。


ルフスは下で止まった。

止まって、動かない。

動かない時間が長すぎる。

長すぎて、世界が一度終わる。


だが次の瞬間。

ルフスが呻いた。

呻いて、腕を上げた。

上げた腕の先に、草がある。

手放していない。

握りしめたままだ。


「……取った」

ルフスが掠れた声で言う。


ティロは息を吐いた。

吐いた息が震える。

震えても、手は動く。

ティロは崖を回り込み、下へ降りた。

降りて、ルフスのところへ駆け寄る。


ルフスはボロボロだった。

膝が擦りむけている。

肘が裂けている。

肩が変な角度で止まりかけている。

目だけが、妙に生きている。


「離すなよ」

ティロが言う。


ルフスは笑おうとして、顔を歪めた。


「……離してねえ」

「だから、早く」

「カエサルが——」


ティロは頷いた。

頷いて、ルフスを背負った。

背負う重さが、いつもより重い。

重いのに、草はもっと重い。

草は命の重さだ。


洞窟へ戻る道は、来た道より長く感じた。

感じるだけで、実際に長いわけではない。

不安が距離を伸ばす。

距離が伸びれば疲労が増える。

疲労が増えれば判断が遅れる。


ティロは判断を遅らせない。

遅らせれば全員が死ぬ。

息を数える。

足を数える。

背中の重さを数える。

草の匂いを数える。


洞窟に戻った時。

カエサルはまだ熱に浮かされていた。

唇が乾いている。

乾いているのに、息はある。

息があることに、ティロは一度だけ救われた。


「持ってきた」

ティロが言う。

「……だから生きろ」


ルフスを寝かせる。

ルフスは歯を食いしばる。

食いしばっても声が漏れる。

漏れる声を、洞窟の奥が飲む。


ティロは草を揉んだ。

汁を絞る。

水に溶かす。

苦い匂いが広がる。

苦い匂いが、なぜか安心になる。

苦いほど効く気がする。

効くかどうかは分からないのに、そう思うしかない。


カエサルの唇を濡らす。

少しずつ飲ませる。

飲み込めるかを確かめる。

確かめながら、ルフスの傷にも布を当てる。

布が足りない。

足りない分は、服を裂く。

服を裂く音が、ここではやけに大きい。


洞窟の中で、ティロは二人の看病をすることになった。

友達が二人とも倒れている。

倒れているのに、追手は待ってくれない。

この旅は、たぶん大変になる。

予感ではなく、確信に近い。


ティロは火を焚かないまま、二人の額に手を当てた。

手のひらの中で、熱と痛みが交互に脈打つ。

それが今、自分が生きている証拠だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ