門の中の冬
ローマ側の会議は、会議の形を保てなくなっていた。
反スッラの側。
スッラに抗する側。
そう呼ばれていた集まりは、いまや名前だけが先に立つ。
中身は割れ、責任だけが宙に浮く。
誰も責任を取らない。
取ればその瞬間、名簿に自分の名が載る。
名簿に載れば、次は槍が来る。
だから皆、言葉を滑らせる。
滑らせて、誰かの手に渡す。
「まだ早い」
「民意が――」
「軍が――」
「資金が――」
「和平の可能性が――」
可能性の話ばかりが増える。
増えるほど、現実が減る。
現実が減るほど、会議は長くなる。
長い会議は、何も決めないための壁になる。
カルボは追い込まれていった。
表情は強く作れても、目が強くならない。
目が強くならないのは、背中が薄いからだ。
キンナの死後の空白は、いまや穴ではなく、崖になっている。
「ローマは一つだ」
カルボは言う。
「秩序を守る」
「勝利は――」
言葉の途中で、誰かが咳払いをする。
咳払いの音が、反対の意見の代わりになる。
誰も「違う」とは言わない。
違うと言えば責任が生まれるからだ。
会議の外では、戸が閉まる音が増えていた。
夜の鍵が二重になり、昼の鍵も重くなる。
人は外へ出るのをやめ、家の中で息を浅くする。
政治は、完全に生活になった。
*
ユリウス家の会議は短い。
短いのは、結論が出るからではない。
短いのは、手順が先に決まっているからだ。
アウレリアが蝋板を並べる。
資金。
避難先。
連絡網。
紙の焼却。
家人の配置。
護衛の交代。
誰を通すか。
誰に会わないか。
カエサルは父のいない家長として、主の席に座る。
座り方だけが、日に日に慣れていく。
慣れが、恐ろしい。
「決めるぞ」
カエサルが言う。
「迷ってもいい」
「でも、迷いのままにするのはやめる」
ティロが頷き、紙束を抱え直す。
印章の袋が腰で鳴る。
鳴らないように、手で押さえる。
音は外へ漏れる。
漏れた音は噂になる。
コルネリアは泣かない。
泣かないまま、準備する。
衣を畳む。
必要なものと不要なものを分ける。
身に付けて逃げられる重さだけを残す。
小さな金。
指輪。
家の印。
そして紙。
彼女は言葉を増やさずに動く。
動きが、答えになる。
カエサルはそれを見て、胸の奥が少しだけ痛む。
痛むが、止まらない。
止まれば家が止まる。
家が止まれば、次は名が止まる。
名が止まれば、終わる。
アウレリアが言う。
「今夜から戸は三重に」
「灯りは布で覆う」
「客は取らない」
「来た者は、書面だけ」
カエサルが短く返す。
「会わない」
「保留する」
「断る」
言葉が、以前より滑らかに出る。
それが成長なのか、氷なのか分からない。
コルネリアが小さく言った。
「お父様なら……」
言いかけて止める。
父はもういない。
言えば崩れる。
崩れれば漏れる。
カエサルは彼女の手に触れた。
触れて、ただ言う。
「今は、今を守る」
コルネリアは頷いた。
頷きが小さい。
小さいのに、折れない。
*
そしてその日が来る。
スッラがローマへ入城してくる。
祝祭ではない。
凱旋の熱ではない。
静かな制圧だ。
静かな制圧は、道の音で分かる。
兵が道を覚えている。
迷わない。
立ち止まらない。
角を曲がる角度が、訓練の角度だ。
この街は一度、軍に踏まれている。
踏まれた街は、足がどこへ行くかを覚えてしまう。
門が開く。
開く音が、歓声ではなく、錠の外れる音に聞こえる。
誰も叫ばない。
叫べば、名を晒す。
甲冑の擦れる音。
槍の束の揺れる音。
馬の蹄。
隊列。
規律。
そして、無駄のない目。
その中に、若い顔がある。
ポンペイウス。
若いのに、すでに老成した目をしている。
笑っていないのに、怖くない笑みの形だけを持っている。
勝ち方を知っている顔だ。
そして別の若い顔。
クラッスス。
目が落ち着かないのに、欲だけは落ち着いている。
兵を見る目が、兵ではなく数に向いている。
金の匂いがする目だ。
二人とも、スッラの後ろにいる。
後ろにいることで、前へ出る準備をしている。
若いのに、すでに前を見ている。
スッラ本人は、相変わらず落ち着いていた。
戦場の汚れがあるのに、目の奥が乾いている。
人を踏むことに理由が要らない乾きだ。
カエサルは遠くから、その列を見た。
前に一度見た光景だ。
前八十八年。
あの時と同じ。
軍がローマに入る。
だが、同じではない。
もっと悪い。
今回は、街のほうが慣れている。
慣れているから、抵抗の形すら作れない。
抵抗の形がないまま、制圧は進む。
氷は抵抗を必要としない。
ただ凍らせるだけでいい。
カエサルは息を吸った。
吸った息が冷たい。
氷の中の空気だ。
「……来たな」
ティロが言う。
カエサルは答えた。
「来た」
「そして、ここからだ」
アウレリアは窓から目を離さずに言った。
「見ないでいい」
「見るなら、手順を見なさい」
「兵の列の後に、何が来るかを」
コルネリアは泣かなかった。
泣かないまま、布を畳み、荷を結び直した。
結び目が固くなる。
固くなるほど、ほどく日は近い。
ローマの門の中に、冬が入ってきた。
静かに。
確実に。
そして誰も、責任を取らないまま。




