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新・ガリア戦記  作者: 維岡 真
第19章 カエサルの過去 ~青年期Ⅰ~

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ただの食事会

キンナの屋敷の門は、昼間よりも静かに見えた。

灯りの並び方が整いすぎていて、歓迎というより配置に感じる。

カエサルは喉の奥の乾きを誤魔化すように息を吸った。

隣のティロが小声で言う。


「肩、また固くなってる」

「放っとけ」

「放っとけないって」


呼び鈴の代わりに名を告げると、すぐに扉が開いた。

案内は慇懃だが遅くない。

遅さは相手に主導権を渡す。

速さは相手を落ち着かせない。

この屋敷は、速さまで選んでいた。


広間にはすでに席が整えられていた。

キンナがいて、奥方がいて、コルネリアがいる。

家族の食卓の形をしているのに、客を迎える形でもある。

その中間の形が、いちばん逃げにくい。


「来てくれて嬉しい」

キンナが言う。

「今日は難しい話は抜きだ」

「ただの食事会だ」


奥方が柔らかく会釈をした。


「お父上のご不幸の後で、きっとお疲れでしょう」

「どうか、召し上がれるものがあれば」


コルネリアは静かに頭を下げた。

視線は逃げない。

逃げないのに、押してもこない。

その距離が逆に、カエサルの落ち着かなさを増やした。


最初の皿が運ばれてくる。

焼きたてのパン。

香草と塩。

蜂蜜の甘さ。

魚の酸味。

葡萄酒を薄めた水の匂い。

ローマのごちそうが、まずは「お口に合うかどうか」の形で並べられた。


キンナは一口食べさせると、すぐに場を温める話を始めた。


「ユリウス家の料理の好みはどうだ」

「この魚は嫌いか」

「剣の稽古の後は、肉が食べたくなると聞くが」


カエサルは一つずつ答えた。

答えるほど、試されている気がした。

礼儀の質問は、いつだって縄にもなる。


キンナが、今度はコルネリアへ視線を移す。


「コルネリアも、魚は好きだったな」

「それにほら」

「お前も本を読む」

「カエサルも本を読むそうだ」

「同じだな」


コルネリアが小さく頷く。

カエサルは箸ならぬ手が止まりそうになり、慌てて杯を持った。

共通点を探す声が、石畳を並べる音に聞こえる。

道を作る音だ。


「それから、年齢も近い」

「二人とも、やたらと大人の顔をする」

「大人の顔をする子どもは、似るものだ」


奥方が困ったように笑う。

コルネリアの頬がわずかに色づく。

カエサルは自分の頬が熱くなるのを感じて、さらに落ち着かなくなる。


ティロは黙っていた。

黙り方が、外向きのそれになっている。


料理が二皿、三皿と進んだ頃だった。

キンナが杯を置き、急に声を整えた。

整えることで、場の空気は逆に薄くなる。


「カエサル」

「君は立派だ」

「十六で家を背負う顔をしている」

「その顔は、簡単には作れない」


カエサルは礼をしようとして、半分だけ止まった。

褒め言葉が、次の言葉の踏み台に見えたからだ。


キンナが続ける。


「どうだ」

「うちのコルネリアを、もらってくれはしないか」


皿の上の香草の匂いが急に濃くなる。

奥方は視線を落としたまま、反対も賛成も言わない。

コルネリアは一瞬だけ目を伏せて、また上げた。

逃げない。

逃げないまま、どうしていいかわからない顔をしている。


カエサルは慎重に言葉を探した。


「……もったいないお言葉です」

「ですが、私はまだ」

「成年式も迎えておりませんし」

「今は、その」

「家のことで」


遠回しに退こうとする。

退き方が下手だと、相手の誇りを傷つける。

誇りを傷つければ、政治の刃が立つ。

カエサルはそれを怖がって、余計にぎこちなくなった。


キンナはあっさり言った。


「成年式は関係ない」

「立派なものには、それ相応の習わしがある」

「早いか遅いかを決めるのは、年齢より形だ」


そこで、にやりとする。

ただの冗談の形に戻す。

戻すふりをして、戻さない。


「それに」

「うちのコルネリアも、君のことを立派だと言っていた」


カエサルの背中が一段固くなる。

ティロが、ここで口を挟んだ。


「それは政治としてですか」


声は丁寧だった。

だが針は隠していない。


キンナは笑った。


「いや、あくまで私情だ」

「本日はただの食事会と言っただろう」

「純粋に親として気になるのだよ」

「どこぞの馬の骨と結びつくより、ずっとまともだ」


ティロは一度だけ頷いた。

頷き方が、納得ではなく記録だった。


コルネリアは、箸を動かすふりをして動かせていない。

奥方がそっと水差しを持ち、場の呼吸を整える。

食卓という形だけが、必死に「家庭」を演じていた。


カエサルは杯を口に運んだ。

薄めた葡萄酒は甘いのに、喉を通ると苦い。

逃げ道を探している自分が、ここでは一番子どもに思えた。



食事が一段落すると、キンナが軽く手を叩いた。

合図ひとつで屋敷が動く。

それが、この家の怖さでもあった。


「庭を見せよう」

キンナが言う。

「この季節の夜気は悪くない」

「二人で歩いてこい」


断る形が見つからない。

見つけたとしても、今度は“断り方”が問われる。

カエサルは立ち上がり、コルネリアも立った。


庭は静かだった。

灯りは控えめで、草木の影が柔らかい。

遠くの街の音が、壁の外で薄く鳴っている。

ここだけがローマから切り離されたみたいに見える。

切り離された場所ほど、政治は入りやすい。


カエサルは歩きながら、先に謝ってしまった。


「……なんか、すまないな」


コルネリアはすぐに首を振った。


「いいえ」

「お父様がいけません」

「いつも、決めるのが早いのです」


カエサルは苦く笑った。


「無理をすることはない」

「自分の道は、自分で決めたほうがいい」


コルネリアが横目で見た。


「それは、ご自分の境遇のことを言ってますの」


カエサルは少しだけ間を置いた。

間を置くことで、嘘を避ける。


「……そうなのかもしれない」


風が一度だけ吹いた。

コルネリアの髪が揺れ、灯りの色が頬に差す。

頬の赤みが、庭の暗さの中で不思議に目立った。


コルネリアは葬儀の時と同じ距離で、しかし違う速さで近づいた。

カエサルの手を取る。

指先が冷えている。

冷えているのに、握る力は弱くない。


「私は」

「立派だと思いますよ」


言い終えた瞬間、コルネリアは自分で恥ずかしくなったみたいに顔を赤らめた。

そして、そっぽを向いた。


カエサルは手を引けなかった。

引けば優しさが壊れる。

握り返せば、別の意味が生まれる。

どちらにしても、意味が生まれる。


カエサルは、自分の胸の中に小さな居場所のないものが増えるのを感じた。

嬉しいとも違う。

怖いとも違う。

ただ、いたたまれない。


夜気は確かに悪くなかった。

けれど、息がしづらい夜だった。

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