夏休み(4)
中佐が自分のカップに紅茶を追加で注ぎながらお爺様に尋ねる。
「ところで、最近ここいらの道路整備がどんどん進んでるんですが、これは公爵閣下のご意向ですか?」
「いやいや、私は野党の人間だよ? ロニー君の采配に決まっているじゃないか」
「与党はこれまでずっと緊縮財政でいたのに、急に政府の支出を増やす方向に舵を切るのを不思議に思っていましてね。財政出動といえば、閣下の政策だなと思ったのですが」
「急な噴火があったからロニー君もおっかなびっくりで方向転換したんじゃないのか?」
政府と繋がりがあるなら、今の政府に大きな不満がある陸軍にとってもそれは警戒の対象になる。
インフラ整備が進んでいるのは格差是正による農村部出身者の貴族・上級階層への不満を緩和し、彼らの蹶起を抑制するのが本当の目的なのだけれど。
終始曖昧な回答でのらりくらりと躱しているのは流石ね。
「ジェイムズが国会に登壇したのも私の要請を受けてという話があるようだが、あれも無実だよ。ロニー君が必死にお願いした結果さ」
と、いうことになっている。実際はお爺様の要請なのだけれど。
「ジェイムズ、リンドバーグ伯爵ですか。そう言えば、リンドバーグ伯爵のところへ連隊長拝命の挨拶に行った折、黒髪の少年がいたのですが、公爵閣下はご存じですか?」
紅茶の香りの向こうから、トックヴィル中佐の低い声が鼓膜を叩く。
しまった!
トックヴィル中佐が政治工作を企んでいる可能性はまだリンドバーグ伯爵にしか伝えていなかったのを後悔する。
お爺様にとってあの子は只の極東人でしかない。
「マチルダくん、小難しい話は詰まらないだろう。このお菓子はパインルートで一番人気の店のものなんだ。君も、きっと気に入るよ」
思わず身体が硬直してしまった私に中佐が綺麗なお皿に乗せて差し出してきたのは、白いクリームの上に真っ赤なジャムが乗ったスコーン。
まるでルナ、月を覆う旭日、太陽を暗示しているような……そんな妄想に囚われそうになるのを、私は必死で振り払う。
「ありがとうございます、中佐。いただきますわ」
スコーンを持つ手がわずかに震えるのを悟られないよう、私は努めて穏やかな動作でそれを口に運んだ。
「あの少年か。ラージヴィレッジにいた頃の極東人官吏の友人の子供を預かっていると聞いているよ」
「そうなのですか。黒髪はこの国では珍しいですから。ちょっと気になっていたんです」
そりゃあ、ファンタジー全開な赤髪金髪、緑髪までいるルナマーレ人とは違って、旭日人を含めた極東人は黒髪ですものね!
「その時伯爵に聞けばよかったではないか」
「いやあ、その時は貴族の方々への挨拶回りでそれどころではなくて」
トックヴィル中佐が頭を掻きながらお爺様に答える。
「確か名は秋策というそうだよ。秋の謀、という意味だったかな。尤も、策という名は向こうの偉人に肖った名らしいが」
お、お爺様! お願い! それ以上千秋君のことは口にしないで!
「ほう、秋ですか」
トックヴィル中佐のもとに深雪さんがいた場合、秋という名に聞き覚えがないわけがないじゃない!
ど、ど、どうにかして話題を変えなくちゃ。
刹那。
「秋といえば、この辺りは紅葉が綺麗なのですよ。今度お爺様とお婆様だけでなく、お父様やお母様もお連れしてご案内いたしますよ。もちろん、マチルダもね」
「ほう、そいつはいいな」
思わぬところから助け舟が入る。お兄様! 助かった。
千秋くんのことは知らないはずだから絶対偶然だけれど、ありがとうお兄様。
「その時は事前に言ってくれよ、休暇を与えるから、存分に家族孝行するといい」
「はい! ありがとうございます!」
目を細めて笑うトックヴィル中佐にお兄様が満面の笑みを見せる。
それからしばらくどこへ行こうか5人で話し合っていると、中佐が時計を見る。
「あ、いや、失礼。仕事が立て込んでいるんだった。ハワード少尉、ご家族をちゃんと門までお送りしろよ」
「はい」
私たちが部屋を出た時、お兄様が得意げな顔で言う。
「お爺様、立派で優しい方でしょう?」
マチルダたちが去った連隊長室。
先ほどまでの団欒が嘘だったかのようにしんと静まり返っている。
「秋……策……ね」
お菓子や茶器を片付けながらポツリとトックヴィルが呟く。
「いや、まさかな」
そう言って、マチルダが座っていた椅子を見つめるのだった。
8月中旬。
「よ! 来たぜ!」
私達のいるリンドバーグ伯爵の屋敷にローランド様とモーリス様がやってきた。
当然、保護者役として従者も一緒だ。
「ローランド殿下、モーリス殿、わざわざご足労頂き感謝申し上げます」
ローランド様の一行を伯爵自ら出迎える。
「いや、伯爵が申し出てくれた出迎えの車を断ったのは俺だ。気にしないで欲しい」
どうやら駅から歩いてきたらしい。手には道すがら売店で買ったであろう、氷菓子を齧りながらローランド様が答える。
それをローランド様の従者が咎めると、一言伯爵に誤りペロリとそれを飲み込む。ゴミは従者が回収した。
8月の中旬はルーナスターに帰ってローランド様達と遊ぶことになっていたのだけれど、私達がロングフィールドで涼んでいると知った彼らが狡いと言ってこっちにやってきたのだった。
「殿下、お久しぶりで御座います。モーリス殿も」
お爺様がローランド様とモーリス様に挨拶をする。
「キャベンディッシュ公爵か。マチルダの誕生日パーティー以来だな。息災そうで何よりだ。父も公爵は頼りにしている。引き続きルナマーレのために尽力して欲しい」
「御意」
子供ながら、現総督の息子らしく、大貴族の長老にも堂々と対応している。
普段は誰にも分け隔てなく親切に対応しているローランド様だけれど、社交界でのローランド様の姿を垣間見たような気がする。
視界の端ではモーリス様の従者とナタリアが会釈で挨拶を交わし、そこにローランド様の従者とミモザのメイドも混ざって挨拶を交わす。
「お邪魔するよ、ミモザ。マチルダも」
ミモザに笑顔でそう言いながら屋敷の門をくぐる。
「マチルダ嬢。マチルダ嬢がいない間、ローランドは毎日今日は何日だ。後何日でマチルダに会えるんだって俺に言ってきてね。だからよろしく頼むよ」
「おま、それを言うんじゃねえ」
ローランド様がモーリス様の髪の毛をぐしゃぐしゃにする。
「あら、可愛いですね、ローランド様。今度は私が胸を貸しましょうか?」
ニンマリと笑みを浮かべ、そう言いながら自分の胸に手を当てると、ローランド様は私の胸を見てからナタリアの胸を見る。
「お前のメイドの胸の方が気持ちよさそうだ」
悪意のない鋭利な言葉に私は思わず顔を真っ赤にして叫ぶ。
「ローランド様のばかぁ!」
確かに私よりもナタリアの方がお姉さんよ? でもどうして私と年が2つしか変わらないのに胸はナタリアの方が格段に大きいのよぉ! ナタリアが今の私の年齢の時は今の私よりも大きかったし!
原作でも悪役令嬢より主人公の方が大きかったのを思い出す。
「マチルダさん、きっと大きくなりますわ! 自信を持って!」
ミモザ、慰められる方が悲しい場合もあるのよ?
私よりも膨らんだ胸を見ながら。私よりも背が小さいのに胸が大きいってどういうことなのよ。




