夏休み(3)
パインルート。前世で言うところの松本にあたる町。
そこに第50連隊の駐屯地がある。
駐屯地の周りには軍人を目当てにした飲食店や雑貨店が立ち並び、特に駐屯地の正面に続く一本の大通りは商店街の様になっていた。
「凄い町ですね、お爺様。こんな商店街、ルナマーレでもそうは見ないです」
車からひらりと降りて、後からゆっくりと降りるお爺様に言う。
今はキャベンディッシュ家総出で駐屯地の正面に来ている。
「そりゃあ、ここは第50連隊のお膝元だからね。軍都と言っても過言ではない。約3000人の底なしの需要を満たすためにこの町はあるんだよ」
リンドバーグ伯爵の家があるのは前世でいうところの松代辺り。県庁に近いから結構栄えているけれど、人の賑わいという点ではこちらが勝る。
「アーサー達も来れば良かったのに」
「仕方ないです。お父様はどうしても外せないお仕事があるようですもの」
寂しそうに言うお婆様の手を引きながら車から降りるのを手伝ってあげる。
外せないお仕事。当然、首相暗殺への対抗だ。
昨日の電話で、お父様が公安の情報を共有してくれた。
ルノワール中尉は既に殉国社への協力理由について吐露したらしい。
その理由は私達の推測通り、テロへ同情的であろう国民感情を利用した軍部拡張を企図してのことだった。
今はトックヴィル少佐を抑えるための証拠探しと、殉国社への立入捜査を準備しているらしい。
このテロが未然に防がれれば、政府が軍部を抑え続けることができる。そうなれば、満州事変も起きないかもしれない。起きたとしても、早期に収拾を図ることができる。
満州事変で軍部が完全に政府の手綱を引きちぎったのは、政府が弱かったからだから。
殉国社への立入検査を早くしたいところだけれど、拳銃の所在が分からなければ。
立ち入ったところで拳銃が見つからなければ相手の感情を逆撫でしかねない。
などと考えている内に、ナタリアとジョンがハワード兄様とも面会のための手続きを終わらせてくれる。
門をくぐる時にパインルート駐屯地の警衛さんに手を振ると、にこりと笑って振り返してくれた。あと内緒だよって言いながらお菓子もくれた。
普段男所帯のむさ苦しいところで暮らしていると、子供というだけで世間の人以上に可愛がってくれるのかもしれない。
「ハワード、会いたかったわ。立派になって」
お兄様と会って最初に言葉を発したのはお婆様だった。
「お婆様も、お元気そうで」
そう言いながらお互いに抱き合う。
ここは陸軍宿舎の娯楽室。
娯楽室とは余暇であったり、職務時間外で皆が思い思いの時を過ごす場所だ。居室では基本飲食は禁止だから、隅の方でお菓子を食べている人もいる。
やはり、いつの世も閉鎖的な環境に住んでいる軍人にとって甘いものは数少ない娯楽の一つなのだろう。
チェスでお菓子を賭けて遊んでいる人もいるし。
「マチルダ、あれは見てはいけないよ」
お兄様に釘を刺される。
「ここは妹の教育に良くないね。まったく、妹が来るから今日だけは賭事は止めろと言ってあったのに」
そう言いながらお兄様が苦笑いをする。
いくつか挨拶を交わした後、場所を変えようか、という話になった時に私が切り出した。
「そういえば、トックヴィル少佐にも挨拶をしたいのですけど、今どちらにおられるのですか?」
「大隊ちょ、いや連隊長なら連隊長室だと思う。それと、言いそびれていたが連隊長は中佐になられた。急な人事で上を下への大騒ぎだよ」
「普通は四半期の頭に人事があるからね。それが7月末とは上も思い切ったことをする」
お爺様がお兄様に続いて補足してくれる。
確かに、6月末であれば皆がそわそわし始める時期だし、そこで人事が出ても少し早めかとなるが、通常人事が終わって落ち着いた頃に人事が出るとまさに寝耳に水といった感じだ。
それほど上がトックヴィル……中佐を重要視しているのか。
それとも、トックヴィル中佐の軍部での影響力が高まりつつあるのか。
「じゃあ連隊長室に寄ろうか。連隊長もマチルダに会えるのを楽しみにしていたからね」
そう言われて少しドキリとする。
私とトックヴィル中佐はそこまで親しい間柄ではないと思っていたから。被災地で多少仲良くなったとは言え、部下の家族という括りからは脱していないと思っていた。
はっきり言ってしまえば、私は部外者だ。
それが会えるのを楽しみにしていた?
なんだか良くない気配がする。
「連隊長! キャベンディッシュ少尉、入ります!」
通路でお兄様が叫び連隊長室の扉を開ける。
「おお、来たか。公爵閣下、公爵婦人、お孫様にはいつもお世話になっております」
私たちの顔を見るなり、トックヴィル中佐がデスクから歩いてきて手を差し出す。
中佐がお兄様を見てお爺様と熱い握手を交わすと、中佐の階級章がきらりと光る。
「マチルダくんも、元気そうで何よりだ」
笑顔のトックヴィル中佐。けれど不気味だわ。
「中佐への昇進並びに連隊長就任、おめでとうございます。ところで、私に会いたがっていたと兄から聞きましたが」
「ありがとう。きみに会った後はいつも必ず探し物が見つかるからね。ある意味きみは、私にとって勝利の女神さ」
探し物。きっとただの探し物ではないのだろう。
旭日帝国の末裔たち、そして、キャロルのことに思えてならない。
「あら、うれしいです。女神様だなんて」
笑顔で返す。ぎこちなくないわよね?
「ハワードは家にいた頃はぐうたらで。連隊長殿の足を引っ張っていませんか」
お爺様が冗談交じりな声色で尋ねる。
「いえいえ、ハワード少尉は私の期待以上の働きをしてくれていますよ。遠いところへわざわざありがとうございます。ささ、こちらへ」
トックヴィル中佐は笑いながらそう言って、部屋の中央に置かれた大きなテーブルへ私たちを促し、紅茶とお菓子を自ら用意する。
「急な人手不足で連隊長殿もお忙しいでしょう。わざわざ済みませんな」
お爺様が紅茶に口をつけながら言う。
トックヴィル中佐がルノワール中尉とテロ工作を共同している可能性について、お爺様はお父様から聞いている。つまり、これはお爺様からトックヴィル中佐への揺さぶり。
中佐がルノワール中尉のことをどこまで把握しているのか。
中佐がちらりとお兄様の顔を見てからお爺様を見る。
「まあ、確かに急な異動には困ったものですが、いつ何が起きても対応できるようにしておくのが軍人というものです。例え、いなくなったのが私の右腕だとしても」
いい終わると再び冷や汗を搔きながら襟元を直しているお兄様の方を見る。
この様子、お兄様がルノワール中尉が横領で捕まった件を私たちに話したことはもう感付いてるわね。
けれど、ルノワール中尉が横領で捕まったと聞いて動揺していたのはどういうこと? そりゃあ、普通は驚くでしょうけれど、お兄様の話だと捕まったこと自体よりも横領という罪の方に驚いていたという風だったらしいし。
普通逆でしょう? やっぱり、ルノワール中尉が捕まることは織り込み済みで、でも、予想とは違う罪で捕まったということなのかしら。
じゃあ、なんの罪で捕まるのを想定していたのかしら? それがわかればもうちょっとトックヴィル中佐を詰問できるのに。




