内談(2)
学園の教室に入ると、モーリス様が話しかけて来た。
「おはよう、マチルダ嬢」
珍しいこともあるのね。
「お前も例のビラのことは知っているだろう。その件で放課後に話があるのだ」
「ええ、勿論です。ローランド様も一緒に—―」
「いや、俺だけだ」
「え」
モーリス様の顔はいつになく深刻だった。
放課後、私達は図書室の個室にいた。
ここは普段生徒達が自習のために使っているが、防音室にもなっていて人に聞かれたらマズい話し合いなんかにも使われたりしていて、寧ろ、そっちの方がメインで使われていたり。
さっきも私達中等部の生徒会長と高等部の副生徒会長が別の部屋に入っていった。
この学園は生徒会長は3年生から、副生徒会長は2年生から選ばれるのが通例。
私達の生徒会長も3年生。来年は高校の生徒会に入るのでしょうね。
話し合いはどこのポストにつけるのかってところかしら。
1年生で庶務か会計に入って、2年生で副会長、3年生で会長ってのがスムーズな出世コースだけれど。
「それで、なんだが」
ああ、モーリス様と話しているのだったわ。
普段ローランド様にべったりなモーリス様が一人離れて私と密談だなんて。きっとただ事ではないわ。
「マチルダ嬢の兄は陸軍士官だったな」
「ええ」
「それもトックヴィル少佐傘下の」
「ええ」
なんなのさっきから。
「これは父上から聞いた話なのだが。トックヴィル少佐の大隊が近く、復興支援の任を解かれロングフィールドの守備に戻るらしい」
「そうなのですね。お兄様に感謝と労いの電話を差し上げなくては」
話が読めないわ。そんな話ならわざわざここを使わなくてもいいのに。
「ええい、まどろっこしいことは性に合わん!」
モーリス様が自分の膝を叩く。
「今朝、私の家にビラを投函する奴の顔を見た」
暫くの沈黙の後、モーリス様が続ける。
「あれはトックヴィル少佐の部下だった。父上に連れられて行った陸軍の慰安会で見た少佐の部下の顔に間違いない」
「それは……お父様に言いましたの?」
「言えるものか。いや、言っても信じてもらえんだろう。何せ、その投函した奴というのが、父上が同じ統御派として信頼の置くルノワール中尉なのだから」
統御派。国粋派が王権復古によって強権的な軍隊を目指すなら、統御派は軍人の政治進出によって合法的に軍隊強化を目指す派閥だ。前世で言うところの統制派に近い。
ルノワール中尉は先日の被災地慰問の際に挨拶をした。
そこではハワード兄様のいる第1中隊の中隊長だった。
対応も柔らかで、温厚な性格という印象を受けたけれど、まさかあの人が殉国社と繋がりがあるだなんて。
ん?
「待って。被災地支援部隊の撤収はまだなのでしょう? どうしてここにいるのよ」
「そうなのだ。いち中隊長が理由もなく部隊を離れられると思うか?」
「つまり、これはトックヴィル少佐の命令?」
冷や汗が頬を伝う。背中もじんわり塗れているのが分かる。
「そうとは限らんが……十中八九、トックヴィル少佐が何も知らんということはないだろう」
トックヴィル少佐は国粋派にも、統御派にも属さない、中立派にあって理性的に物事を進める人物だとお爺様から聞いている。
そんな人物が、殉国社の行動を許容する?
旭日帝国復興を考えているなら、軍部が強まるのは都合が悪い筈なのに。
陸軍情勢は複雑怪奇だわ!
一体何がどうなっているの!
「お前はトックヴィル少佐と関わりがあるだろう。だからという訳ではないが。トックヴィル少佐はあまり信用するな」
「ありがとうございます。教えて下さって。でもこんな重要なこと、どうして私に?」
モーリス様は少し逡巡すると、席を立って私に告げる。
「ローランドのそばにいる人間が、万が一にも、ローランドの妨げになってはならんからな。まあ、いつも理性的なお前のことだ。大丈夫だと思うが」
「気を付けます」
私の言葉を聞くなりモーリス様が口を大きく開く。
「あはは、俺が道を踏み外そうになったら、その時は宜しく頼むよ、マチルダ嬢」
モーリス様が開ける扉の向こうには、いつもの図書室が広がっていた。
扉の前ではナタリアと、モーリス様の従者が小声だが、楽しげに話していた。普段はお互い自分の主の世話に手一杯だし、こういう機会でもないと話なんかできないか。
年頃の男女が、二人きりにされて話をするなと言う方が無理がある。
「あら、いい雰囲気じゃないの。もうちょっと遅れて出てきた方が良かったかしら」
私の言葉に二人が慌てて距離を取る。
「あ、え、からかわないで下さいお嬢様。それよりも、アーサー様が校門でお待ちです」
「お父様が?」
窓から校門の方を見ると、校門の前に家の車が停まっていた。
車中。流れる景色を見ながらお父様に質問する。
「どこへ向かっているのですか?」
「警視庁だよ。調査依頼のお願いと、ついでにそこで君に会わせたい人物がいるんだ」
調査依頼? 密輸ルートのことかしら?
わざわざお父様が出向くなんて。調査依頼なら、電話一本で済ませられると思うけれど。それ以上の何かがあるのかしら?
「実はね。父上から暗殺阻止の件を一任されてね。これからは父上の仕事を少しずつ私がしてくことになったんだ」
そうか、お爺様ももう今年で77。引退を考えてもいい頃よね。
史実でも隠居した是清を政治が無理に何度も引っ張り出したのよね。有能なのも考え物ね。
「お爺様にはゆっくりして頂きたいですね」
「まったくだ。父上の82歳の誕生日は私が祝うのだからね」
82歳の誕生日。それは、1936年の9月。それが迎えられたなら、クーデターは失敗したことになる。
「そのパーティー、家族みんなで祝うんです」
喜ばしい未来だが、私の顔に笑顔はない。
迫り来るクーデターの時まで残り5年と約半年。私の推測が正しければ、トックヴィル家は旭日帝国を復活させようとしている。
けれど、何故ルナマーレ人である彼らが、旭日帝国を復活させようとしているのかは謎のまま。
軍部の拡大に寄与している理由も。
千秋くんの身柄の安全はリンドバーグ伯爵が保証しているけれど、時限付きだ。期限は深雪さんの死が確認されるまで。
深雪さんが生きていればトックヴィル家への強力な対抗打となり得るが、生きていないと分かれば伯爵によって秘密裏に殺されるだろう。
皇帝の末裔、下手に生かしておいては危険すぎる。
私に集まる情報も少なすぎるし、警視庁で紹介されるその人物が真相解明の一助になればいいのだけれど。




