第二十六話 ヘドロスライム
さてそんな顛末から数日たったある日のこと。王都から少し離れた位置にある、とある農業都市にて。
『さて件の巨狼事件によって、一時中断していた、晴子国王による全国巡幸ですが。今日の発表にて、十日後に無事に行われることが発表され・・・・・・』
人口一万にも満たないこの街にも、大都市並みの大型テレビが設置されている。一本の街の中央通りにオブジェのように立て掛けられた画面に、多くの人々が見入っている。
まだテレビなどが、民衆に普及していないこの国では、この街頭テレビは未だに重要な情報収集源である。
さてそんな人々が立っている街の舗装された地面。その地面には、幾つかに地へと続く大穴への入り口を閉ざすための、鋼の蓋・・・・・・いわゆるマンホールが幾つもある。
これは普段は特に特筆すべき事ではなく、旧時代から多少は存在した、誰も見向きもしない日常的な設置物。
だが今日はそれに、誰も注目する日となる。そう、目の前のテレビ番組など、皆が意識しなくなる程の注目ぶりである。
「うわっ・・・・・・地震だ」
突如として地面が揺れ出す。だがそれに誰もさほど驚かない。一人が今の一声を口にした以外は、誰も気にせず再びテレビに目を向ける程度の軽度の揺れであったからだ。だが・・・・・・
ドウウウウン!
「「!!??」」
突如として鳴り響く轟音。明らかに地震とは異なるそれに、さすがに今回は誰もが驚き、その音源に一斉に視線を変えた。
彼らが見たのは、地面の一カ所が、まるで土竜が登ってきているように盛り上がり、そしてマンホールが瓶の蓋のように、警戒に飛ぶ光景であった。
そしてそのマンホールがなくなり、下水への道が開かれる。隆起と共に大きくなったその穴から、大量のドロドロした灰色の物体。それがその穴からもの凄い勢いで吹き出てきてくる。
それが次第に象をも飲み込めそうな程の質量になり、凄まじい臭気と共に、この街の大地に広がっていく。そしてそれが次第に、アメーバのように自在に動きながら、収縮して何かの形をなしていく。
「ヘドロスライムだ!」
この異常さに気付いた人々が、一斉に逃げ惑う。
それは異形の物体=ヘドロスライムは、次第に人の形をなしていく。やがてこの街は、全身がヘドロで出来た巨人に、しばらくの間蹂躙されることとなる。
一方の紺達は、現在は王都内の宿に泊まっていた。一時は王都で匿われることが考えられたが、人が多すぎて気乗りしないと、この小さな宿に寝泊まり中だ。
今後どこに行こうかと、特に決めていない二人は、光二から連絡用の携帯と金だけ貰って、ここでしばらく自堕落に過ごしていた。
そして紺は今、この宿のトイレに篭もり中である。
この国のトイレは、殆どが水洗だ。大蛇帝国の大掛かりな工事により、王都を中心とした多くの土地の地下に下水がしかれている。そこにはトイレや台所などから、多くのもの毎日流され続けているわけだ。
「ふう・・・・・・」
すっきりした気分で、トイレから出て来る紺。この時間の長さからすると、結構大きなものを出したようである。
そして今日はどこを見て回ろうかと、宿の外に出ると、町の街頭テレビから、何やら慌ただしい声が聞こえてくる。
『この突如出現した、ヘドロスライムと思われる巨大物体は、現在町内を無秩序に動き回り、多くの建物を破壊しています。ヘドロスライムとは、以前から下水道内に住み着いて、流れ出る廃棄物や鼠などを食べていることが知られていましたが、特に脅威はないと殆ど無視されてきました。ですがまさかこのような事態に誰も驚きを隠せません。専門家に寄れば、ただ廃棄物を大量に摂取しただけでは、このような進化は起こるはずがないと・・・・・・』
テレビ映像には、あの見るからにも汚く臭そうな、のっぺらぼうの巨人が、町の家々を踏み潰している光景が映し出されている。これを見て紺は思った。
(あらら・・・・・・狼の次は、ヘドロの巨人ね。一体何がどうなってるのかしら? まさか誰かが、トイレにやばいものを流してたりして?)
これを見て、紺は自分には関係の無いことと、特に何とも思わなかった。そして今日は、どこを観光して回ろうかと、今日も黄と共に、この広い王都内を練り歩く。
もしあの拘置所に、魔素人のある程度収容されたら呼び出しがかかるだろう。だが恐らくはまだしばらくは呼び出しはないだろう。紺と黄は、特に目的無く、しばしの間この国に留まることとなる。
彼らが立ち去った後も、ニュースは次の情報を流し続けている。
『そしてこの件との関係は不明ですが、何故か下水処理場から出た廃棄物の一部が、何者かに盗まれるという不可解な事件が・・・・・・』
余談だが紺がしばらくこの王都内に留まっている間のこと。この王都周辺や、時には王都内に、あの巨大ヘドロスライムが出現する事件が、度々起こることとなる。
大抵は早い段階で退治はできるのだが、その後で残される大量の汚物処理に、王政府は悩まされることとなる。桜花の魔法で建物の破壊は直せるが、汚物処理はできないだけに。
千五百年間にわたって、森の奥に隠れていた不死の女神。天帝国の始祖かも知れない、その大物人物を、この国の王の意思で引き留められたのだが。
果たしてそれが、本当にこの国を救うことになるのか、現地の人々には誰にも判らないことであった。
さて少し余談な話をしよう。王都内にある多くの大型建造物。その中には勿論、この国の治安の要でありながら、最も危険な人物が多く集っている場所がある。そこが警察署である。
和風な屋根などはついていない、箱形の単純な形のその建物の中。その中の普段は取り調べなどに使われる部屋に続く廊下に、今日はまた随分と大勢の人間が、まるで特価の買い物客のように、実に長く並んでいた。
ここは警察署であり、当然何かを買い求めてきたわけではない。かといって彼らが何かの事件の容疑者というわけでもない。彼らはここで働いている者達、この署の現役の警察官であった。
彼らは数分ごとに、一人ずつ取調室に入り、そして後ろの者と交代で出て行く。この状況に、当の並んでいる当人達が、随分と困惑しているようであった。
「なあ、これって何の面接だよ? それなら採用試験の前に済ませたぞ?」
「う~~ん、俺が聞いた話しじゃ、最近精神不安定で事件を起こす奴がいるから、そんな奴を絞り出すためだって話しだったが・・・・・・」
「そう・・・・・・・確かに正気とも思えないことをする仲間が、よく出てくるけど。でもそれって話しをして判るものなの? 何かに取り憑かれてるとかいう噂もあるし?」
彼らのする話しは、実の所半分以上正しい。これは魔素人と健常人を見分けるための聴き取り捜査だったのである。
「君にとっての警察の職務は何だね?」
「はい! 勿論法と秩序を守り、市民の安全を守るためです!」
「では君にとって、殺人を行う人間は、どう見える?」
「それは例え、どんな理由があろうと、許さざる・・・・・・」
本来ならば犯罪者を尋問するのに使われる部屋。余計な物が何も置いていない、その殺風景な部屋で、録音用機械と共に、面接官の警察幹部と署員が、面と向かって会話をしている。
聞かれる質問の方は、警察としての心得や、一般的な善悪を問う、面接というには、随分と不思議なもの。
だがこれは彼らにとって必要なことである。もしここで、あのランスロットのように、圧政を敷くのが市民の幸福だなどと言えば、即座に魔素人と認定されて連行されるであろう。
「では最後に質問だ。あるときに、武器を持った暴漢に、金品を奪われた挙げ句、殺されようとしている市民がいたとしよう。もしそんな状況に、職務中か否か関係なく君が遭遇したならば、君はどうする?」
「勿論その暴漢を止めて、その者の命を奪われるのを阻止します! 奪われた金品も取り返し、その暴漢を捕らえ法の裁きを受けさせますよ!」
最終的にこの署員は、発言に不自然なことはないとシロとなり、何事もなく退室して職務に戻ることとなる。
そんな彼だが、何故か退室してしばらくして、急に表情が変わる。まるで何か苦渋の決断を強いられているかのような、実に苦しげな様子だ。
彼が人気のない廊下の片隅で止まり、しばらく頭を抱えて立ち尽くしていると、そこに通りかかった一人の同僚が話しかけてきた。
「ちょっと大丈夫!? 顔色が悪いわよ!?」
「大丈夫・・・・・・と言いたいところだが、やはり苦しい。あのような心にもない、おぞましい回答をせねばならないなどと・・・・・・」
「ああ・・・・・・やはりあなたもあの質問をされたのね?」
その言葉に彼は頷く。そして涙を流しながら、呟くように喋り始める。
「ああ、酷い質問だよ。財産を全て奪われ、八つ裂きにされて死ぬなどと、市民にとっては何億の宝にも劣らぬ、素晴らしい祝福の筈だ。だがそれを妨害するなどと・・・・・・。他人に殺されることが出来なかったばかりか、奪われた財産を返されるなどということをおぞましいことをされた民が、どれほどの苦しみを味わうことになることか。間違いなく正気を失い、せめてもの償いとして、自ら命を絶つことになるなど、誰にだって判るはずだ。良心という者が、僅かでもある者であるならば、そのような非道な行為できない筈だ・・・・・・」
「ああ、確かに・・・・・・。だがそんな良心の欠片もない者も、残念ながらこの世にはいるわ。未だに圧政を敷く、大蛇帝国の侵略者達よ! 奴らは全ての民が、命が奪われず、豊かで健康的な暮らしをすることが、民にとっての幸せなどという、狂っているとしか思えない事を、平然と言うわ・・・・・・。このような圧政にも、何一つ反論できず、心にもない感謝の言葉を、大蛇帝国に投げかけなければならない国民が、本当に不憫でならないわ・・・・・・。こんな間違った世の中だからこそ、私達がしっかりしないと・・・・・・」
「そうだな・・・・・・すまない弱音を吐いた。例え奴らの力に屈しようと、我々は心まで屈していない。あの質問をされた副署長も、他の皆も本当は判っていることだ。きっとあそこで正しき回答を行う者が一人でも入れば、署員全員一族郎党処刑するという、大蛇からの脅しを受けているのだろう・・・・・・。何と酷い話しだ。だが例え狂った支配者の元にいても、我々は我々のやり方で民を守らねば・・・・・・。例えそれで大蛇に背き破滅することになっても、我々だけは何としても真の正義を貫かないといけない!」
「ええそうよ! いつかきっとこの間違った世の中を正すために、民達が立ち上がる日が来るわ! その日までは奴らに従順な振りをし、いつか私達の力で、正しく民を守りましょう!」
全く曇りのない、純真な思いで、互いの決意を言い合う二人。
他人に殺されるのが祝福と言いながら、一族郎党処刑は酷いという、明らかに矛盾した己の発言すら認識していない。
もしこの場で、正常な人間がこの会話を聞いていたならば、すぐに彼らが魔素人だと判明しただろう。だが残念ながらそんな者はいなかった。
この署だけでなく、王都とその周辺一帯で行われた、この魔素人捜索の聴き取り調査だが。結局魔素人を特定することは殆ど出来ず、何の成果も上げられずに終わったという・・・・・・




