第二十一話 魔素人
互いの勝負は、最初は拮抗していた。
巨狼は晴子から何度も手と足と尻尾での打撃攻撃を受け続け、身体の各部が腫れ上がって血が流れ出ている。口元も何度か打たれたようで、歯が何本か折れていた。
一方の晴子も、その身が何度も噛まれたり、引っかかれたり、体当たりで突き飛ばされていて、相当の負傷をしていた。彼女の豪勢な着物は、完全に敗れ去り、褌一丁の半裸状態であった。
なお、この世界の最大の神(作者)は、これを書いている最中に、史実では褌は、女性も着けていたという衝撃事実を初めて知った。
女性が裸体を見せているのだが、爬虫類のような鱗と白い腹、そして小さい胸を見て、欲情する者がどれほどいるか不明だ。
彼女の全身についた傷は、一つ一つは浅いが、それもこれだけの数になると、相当な深刻なダメージになっているであろう。
互いの攻防は長引き、広間の床が、血と瓦礫でどんどん汚れていく。だが徐々に、晴子が押され始めたときに、その場に闖入者が現れた。
「晴子! これここに置くわね!」
「えっ!?」
その人物は、唐突に現れたと思ったら、瞬足でその場から退室してしまった。それは何と、以前カラスに破壊された町を、時空魔法で修復した桜花である。
あの蜘蛛人間の異形の姿が、転移魔法で突如姿を現し、そしてまた転移で去って行ったのである。
後には彼女が置いていった一つの長物。それは刀であった。
将軍様が持っていそうな、これまた豪華な装飾と、大蛇帝国の印が記された、柄と鞘を携えた打刀。
全長は五尺にも及び、鞘から抜けば三尺五寸になるだろう大太刀だ。
それを桜花が、非力な手で一生懸命持ちだし、それをその場に転がして去って行ったのである。
傍から見れば、突然放り出された謎の物体だが、当の晴子にはその刀の価値が判っていた。
それを見て即座に、晴子はその刀に向けて駆け出した。一瞬呆気にとられた巨狼だが、すぐにこちらに背を向けた晴子に突撃する。
足の速さでは、巨狼の方が遥かに上だが、その足が晴子に追いつくより、晴子がその刀を拾い上げて、その鞘から刀身を引き抜く方が速かった。
そして晴子は、その淡く発光する刀身の刀を掴み、勢いよく振り返り、己のすぐ後ろに迫った今日に向けて、その大型振動刀の一撃を振り上げた。
「ギャン!?」
発せられる子犬のような悲鳴。その大太刀の一撃は、巨狼の鼻先を切り裂いた。二度と臭いを嗅げないだろうレベルで、巨狼の上顎の先が深く切り裂かれ、今までにない量の出血を出す。
しかもその横向きの衝撃で、巨狼の勢いが落ちて、その場で転がり落ちた。苦痛に悶えるが、すぐに体制を整えようと立ち上がろうとする巨狼。だがその隙を晴子は逃がさない。
ドン!
立ち上がろうとした巨狼の首に、上からあの大太刀の斬撃が振り下ろされたのだ。
常人ならば、かなりの長さと重さで使いづらそうな長刀だが、晴子の体格だと普通の刀と同じような感覚で、器用に動かせる。
その刀で、晴子は第二撃を加えたのだ。砲弾は効かなかったが、振動刀だとある程度の切り傷は与えられた、巨狼の頑強な肉体。
そしてこの大太刀の刃渡りと、晴子の強大な一撃で振り下ろされた斬撃は、一撃で致命傷を与えた。
その一撃で、巨狼の首は、見事に切断されて、彼の首が床に転がっていく。そして頭を失った胴体が、しばしフラフラと揺れ動いた後で、倒れ伏す。
転がり落ちた首は、しばし口を魚のようにパクパク動かし、しばらく呻いていたが、やがて動かなくなった。この不死身の巨狼も、さすがに首を斬られては死ぬらしい。
(勝った・・・・・・? 大蛇の帝から戴いたこの刀を、こんな風に使うことになるなんて・・・・・・)
国王就任が決まったときに、征服国である大蛇帝国から贈られたこの業物の刀。恐らく二度と使うことはないだろうと思ったら、まさかの大活躍。
この旧ゲード王国を、散々に騒がせた巨狼は、晴子が刀を持った瞬間に、呆気なく討ち取られたのだ。就任後数日も経たずして、晴子国王のまさかの大手柄であった。
先程斬り伏せられた反乱者達は、王宮内の医務室へと運ばれた。運ばれたと言うよりも、放り込まれたといった方がいいだろうか。
斬った張本人である雅弘と鹿太郎が、小柄な身体に似合わない怪力で、反乱者達を幾つもの車付き担架を、纏めて引っ張って運び、投げ捨てるように医務室のベッドに放り込んだのである。
そしてその後で、各々に手際よく手錠をかけていく。負傷者による応急処置など、一切扱わない雑なやり方であった。ちなみに今この部屋の医官は、現在避難中につき不在である。
「よしとこれでいいな。放っておいても魔素人はこのぐらいで死なないだろうし・・・・・・」
「ああ、確か心臓刺されても生きてた奴もいたんだっけ?」
そんな会話を繰り広げる二人。実際にこの反乱者達の傷は、何の処方もしてないのに、もう出血が止まっている。
特に暴れる様子もなく、今は全員眠っている状態であった。だがその中に、一人だけぼんやりと、僅かに意識のある者がいた。それは先程、紺に一発喰らわされたランスロットである。
(何だ? 急に・・・・・・頭の中が晴れやかになっていく。そういえばさっき後ろから聞こえてきた声、どこかで聞いたような? 確か寝言がどうとか・・・・・・何を馬鹿なこと。私のしていることが寝言など・・・・・・私は間違いなど・・・・・・あれ? 今冷静になって考えると、私が思っていた民の幸福は・・・・・・)
その思考は次第に思考だけでなく、譫言のように声にも出るようなってきた。
「民の幸福は・・・・・・ヨクカンガエルトオカシクナイカ?」
一方その頃、医務室とは少し離れた、王宮内の一室にて。まだ何に使用する決まっていないため、後宮の中の設備にしては、その簡素な部屋には紺と黄、そして少し前にここに入ってきた光二がいた。
そして経った今、転移で桜花も入室してきたところだ。そしてその部屋に浮き上がっている、大型画面には、先程巨狼の首を晴子が撥ねた場面が映し出されていた。
「終わったな・・・・・・これで一件落着か。ふう・・・・・・だが後処理が大変そうだな」
「それは私からも言わせて貰うわよ・・・・・・ここで壊れた物、結局全部私が直すんでしょうが・・・・・・」
「ああ、あれの死体の片付けが終わったら頼むよ」
一連の騒動が収まったことで、安堵する二人。そしてずっと、特に力を貸すこともなかった二人が、退屈そうに声をかける。
「ねえ・・・・・・早速聞きたいんだけどさ。さっき言ってた洗脳って何の話しよ? あのランスロットがそう言う奴なわけ?」
先程よく判らない質問をされて、そのまま騒動と共に流された件。その紺の問いに、光二は淡々と言葉を紡いだ。
「ああ、そうだな。本当は極秘なんだが、ここまで関わったからに入ってしまうか。実は今のこの国には、先代の政権がやらかした政策のせいで、頭をいじられて壊れてしまった人間が、あちらこちらにいるんだよ・・・・・・」
相当に嫌な思いをしているのか、光二はもう思い返すだけでも腹が立つと言った風に説明を始めた。
「さっきのあの魔人とか言う蛇を見ただろ? あれの身体を構成している、泥のような魔力物質はかなりやばいことに色々使える者でな。あれと同質の物を、人間の脳内に植え込むことで、凶暴な思考を正常だと思い込む洗脳をさせることができるんだ。当時のゲード王国は、今にも反乱が起きそうな国内情勢に危機を感じて、魔素を使った洗脳を、大勢の若者に仕込んだのさ。どういった洗脳を施したのか、それは担当した役人によって違うようで、奴らの考える思考は人によって違う。だが共通するのは、旧政権・・・・・・ゲード王国政府がしてきたことを、全面的に肯定する思考になっていることだ」
その説明を聞いた二人は、真っ先に以前の街で会った警官を思い出した。
「前に紺が殴った署長がそれ?」
「ああ、そうだ・・・・・・報告は聞いたが、無茶苦茶なこと、実に真剣に語って驚いたろ? この王宮で、お前達を斬った職員もそれだ。あれは悪かったな・・・・・・私がお前達を捜索する命令を各署に出したんだが・・・・・・。その報告の内容で・・・・・・自分達の仲間が危険に晒されると思ったらしい」
「よくそんな奴、王宮に雇ったわね?」
この回答に、紺と黄は起こる前にまず呆れたようだが、これには光二も苦笑いである。
「まずそいつが洗脳されてる奴・・・・・・魔素者と判らなかったからな・・・・・・。あいつら普通の会話で、洗脳されてると見抜くのが難しいんだ。自分の壊れた思考が、世間ではわざわざ口にするほどのこともない常識だと思い込んでるからな・・・・・・。本来の常識論を語っても、それを自分の中で好き放題な解釈でねじ曲げて納得しやがるし・・・・・・。あのランスロットという男みたいに、現政権に真っ向から楯突いている奴は、分かりやすくて親切に思えるほどだよ」
「魔法で洗脳されてるなら、専用の魔法とか機器で見抜けないものなのか?」
黄の最も疑問にも、彼は首を振る。
「一応出来はするが・・・・・・それは魔素者の命と引き換えだ。ゲード王国は無駄に用意周到でな。それを探知しようとすると、自爆する機能をつけてやがった。前に、魔素者を洗い出そうと、調査をしたら・・・・・・機械に当てた途端に、頭の中の魔素が、脳味噌ごと爆発した奴が続出して、えらい惨事になったよ・・・・・・。しかもそれ、何故か時空魔法で修復できないんだな」
「「うわ・・・・・・」」
この回答には二人とも同時にドン引きの声を出す。魔素者を見つけ出そうにも、探そうとするだけで、そんなグロイ事件を起こしてしまう、何ともえげつない話しである。
「私が来る前、この国を進駐軍が統治していた当時は、この問題に関して、可能性のある下級貴族の子弟を、全て拘束しようとしたが。これにアマテラスの宗主国である天帝国が、非道な行為だと言って圧力をかけて、中止されたことがある。しかも他の関係ない下級貴族子弟に、危険がおよぶかもと、魔素人の存在を、世間に公表することさえ、無理矢理やめさせやがった・・・・・・」
「天帝国?」
初めて聞く国名だが、宗主国と言うことは、獣人大陸のアマテラス大陸で、一番偉い国のことであろうか。
「以前にラーズ王国で洗脳された転生者達は、神聖魔法一発で治療できたが、こっちはあれより更に手が込んだもので、治療法は未だに判ってないんだが・・・・・・最近になって妙なことが起こってな」
「?」
呆れ口調だった光二が、急に紺達に何かを疑うような眼差しを向けた。
「ほんの一昨日のことだ。始めて魔素者に完治者が出た。お前が殴り飛ばした、あの警察署長だよ。あいつ・・・・・・お前に殴られて、意識を取り戻した後で、急に泣き出してな。今まで自分がしてきた言動や行動を、随分悔いて、勢いのままに自害しかねない状態だったそうだ。爆発が怖くて、まだ機械検知していないが、あれは明らかに洗脳が解けている風だったという・・・・・・」
「へえ・・・・・・それはよかったじゃん」
「ああ、だが原因が分からん。お前が殴ったときに、何かしたんじゃないかと思ったんだが・・・・・・」
「私は何もしてないよ。ただ殴っただけだし」
「そうか・・・・・・」
件の謎の事態に、真っ先に疑いがかかった人物は、それを真っ向から否定した。これに光二は考え込む。
(詳しい原理はなく、単純に頭を強く殴ったから正気に戻った? そんな単純なことで、治療できるものなのか? 隔離施設で暴行を加えた者がいたが、その時にもそんなことは起こらなかった。もしくは殴ったこいつ事態が・・・・・・?)
考え込んで言葉が止まった彼に、今度は黄が話しかけてきた。
「なあ・・・・・・その洗脳って元々旧政権が作った技術なんだろ? その人達は治す方法とか知らなかったの?」
「うん、ああ・・・・・・奴らは洗脳だけして、それを解く方法は、何も考えていなかったからな。本当に困ったよ、あいつは何を言っても、自分の壊れた理念が、間違ってるとは、絶対に思わないからな。それに奴らの資料によると、万が一にも植え込まれた常識論に、当人が僅かでも疑いを抱いたら、緊急防衛機能とやらが発動するそうだ」
「防衛? 何から?」
「ゲード王国の理念を守るのだそうだ。何でもそれが発動した奴は、魔物に変身して、死ぬまで暴れ尽くして、一帯の人間を殺し尽くすのだと・・・・・・」
プルルルルルル!
そんなことを話している、まさにその時だった。懐から鳴り響く携帯を、光二に即座に開く。するとそこから、鹿太郎の実に焦った声が聞こえてきた。
「大変だ! ランスロットがゲロ吐いて、部屋がぶっ壊された!」
その言葉は、それだけだと意味不明なものだったが・・・・・・




