EP 8
炎上神の罠と、子供の悲鳴(最凶の覚醒トリガー)
二人が心を通い合わせ、深く抱きしめ合った夜から一夜が明けた。
ポポロ村の朝は、いつも通り爽やかな風に包まれていた。だが、『鬼龍』の厨房には、ほんの少しだけ、くすぐったくて甘い空気が漂っていた。
「……おはようございます、龍魔呂さん」
「……おう。おはよう」
私が少し照れくさそうに挨拶すると、龍魔呂さんもぶっきらぼうに返しつつ、視線をスッと逸らした。
昨晩、彼の腕の中で泣きじゃくりながら「ずっとそばにいる」と約束したことを思い出し、私の頬は火のつくように熱くなる。彼の方も、耳の裏が少しだけ赤い。
無言のまま隣に立ち、二人で朝の仕込みを始める。
彼が包丁で小気味よい音を立てて野菜を刻み、私が鍋の火加減を見る。手が触れ合うほどの距離。時折、彼が「そっち、熱いぞ」と私の手を庇うように腰に手を回してくれるたび、心臓が跳ね上がってどうにかなりそうだった。
(私、本当に……この人の特別になれたんだ)
作ってくれた朝食を二人で向かい合って食べる。
いつもの食事の風景のはずなのに、彼の淹れてくれたポポロ・コーヒーの香りが、今までで一番甘く感じられた。
――そんな穏やかな朝のひとときが、永遠に続けばよかったのに。
「きゃあああああっ!!」
「だ、誰か助けてくれぇっ!!」
突如として、村の広場の方角から、悲痛な叫び声と建物の崩れるような轟音が響き渡った。
「な、なんだ……!?」
龍魔呂さんがコーヒーカップをガタンと置き、立ち上がる。
私も慌てて彼に続いた。ユイちゃんは昨晩のうちに「神界で急な野暮用ができちゃった。すぐ戻るね!」と言って、姿を消していた。今は、頼れるのは龍魔呂さんだけだ。
二人で店の外に飛び出すと、村の広場には黒々とした煙が立ち昇り、異形の怪物たちが村人たちを追い回していた。
「な……なんですか、あれは……っ!?」
私が息を呑んだのも無理はない。
そこにいたのは、機械の装甲と巨大な虫の身体が融合したような、悍ましい姿の怪物たちだった。酸を吐き出す巨大な蟻や、空を飛び毒針を射出する蜂。それらは、神蟲魔大戦の遺物とされる『死蟲軍』だった。
そして、その怪物たちを統率するように広場の中央に立っていたのは――。
「ふははははッ!! 見ろ、大聖女リリアナ! これが神から授かった真の力だァ!」
目を血走らせ、狂ったように笑っているのは、昨日龍魔呂さんに脅されて逃げ帰ったはずの、エスター王国の『騎士隊長』だった。
しかし、彼の様子は昨日とは全く違っていた。白銀の鎧はどす黒く変色し、全身から悍ましい黒いオーラを立ち昇らせている。
(あんな禍々しい力、普通じゃない……っ!)
神界のモニター越しにこの惨劇を眺め、嗤っている存在がいることを私たちは知らなかった。
ゴッドチューブのPV(視聴率)を稼ぐためなら何でもする『炎上神ワイズ』。彼が、昨日の失態で絶望していた騎士隊長に目をつけ、裏から『加護』と死蟲軍を与え、わざとこの村を襲わせたのだ。
「あの馬鹿。昨日命を拾ってやった恩も忘れ、また戻ってきやがったか」
龍魔呂さんが低い舌打ちをし、私を背に庇うように前へ出た。
だが、騎士隊長は勝ち誇ったように狂気的な笑みを浮かべ、その手に持っていた剣を、足元に突きつけた。
「う、うぇぇぇんっ! おじちゃぁぁんっ、助けてぇっ!」
「――ッ!!」
騎士隊長の足元で、泥に塗れて泣き叫んでいたのは、村の子供――私がよく一緒に遊んであげていた、五歳の小さな男の子だった。
ネクロアントの鋭い鎌に押さえつけられ、身動きが取れない状態で、恐怖のあまり大泣きしている。
「卑怯者……っ! 子供を人質に取るなんて、騎士の誇りはないのですかッ!」
「黙れ! 俺の騎士としての誇りは、昨日この飯屋の男に完膚なきまでにへし折られたのだッ! お前らを無惨に殺すためなら、子供だろうが赤子だろうが使ってやる!」
騎士隊長は狂ったように喚き散らした。
私は怒りで体が震えた。あんな小さな子に剣を向けるなんて。
龍魔呂さんは、無言のまま、ゆっくりと騎士隊長に向かって歩み出た。その姿は、昨日のように赤黒い闘気を纏ってはいない。ただ、静かに、ひどく冷たい声で言った。
「……その子から手を離せ。今すぐ離せば、一思いに殺してやる」
「ハッ! 誰が離すか! 貴様の強さは異常だ。だが、このガキの命がどうなってもいいのかァ!」
騎士隊長はそう叫ぶと、これ見よがしに、持っていた剣の切っ先で、男の子の細い腕を浅く切り裂いた。
「痛いっ!! ぎゃぁぁぁぁぁっ!!」
「ふはははは! いい声だ! どうだ、一歩でも動けばこのガキの首を刎ねるぞッ!」
男の子の腕から、赤い血がツツーッと流れ落ちる。
子供の悲鳴。
恐怖と痛みに歪んだ、助けを求める泣き声。
――その瞬間だった。
ピタッ、と。
龍魔呂さんの足が止まった。
彼の背中を見ていた私は、異変に気がついた。
龍魔呂さんの肩が、小刻みに震えているのだ。
「……え?」
横顔が見えた。
彼の顔面から、全ての血の気が引き、蒼白になっていた。
見開かれた瞳の孔は極限まで縮小し、光という光が完全に消え失せている。
『ユウッ!!』
彼の脳内で、何かが弾ける音がした。
子供の悲痛な叫び声。それは、彼が守りきれなかったたった一人の弟・ユウが、地下格闘場のゴミ捨て場で息を引き取る直前に上げた、最期の泣き声と完全に重なり合っていた。
龍魔呂さん最大の弱点。
そして、絶対に触れてはならない『最凶の覚醒トリガー』。
「……ぁ……」
彼の口から、カハッ、と空気が漏れた。
次の瞬間。
ドゴォォォォォォォォォォッ!!!!!!
世界が、真っ暗に塗り潰された。
「ひっ!?」
「な、なんだッ!?」
太陽の光が遮られたわけではない。
龍魔呂さんの左手、薬指の『鬼王の指輪』から、昨日とは比べ物にならない――天を突くほどの、濃密で巨大な『赤黒い闘気』の嵐が噴き上がったのだ。
それはまるで、地獄の釜の底から溢れ出した呪いそのもの。
闘気は空を覆い尽くし、ポポロ村全体を赤黒い闇へと沈めていく。
「龍魔呂、さん……?」
私が震える声で呼んでも、彼は振り向かない。
昨晩、私の手を取って「俺の居場所は地獄だ」と泣きそうに笑っていた、不器用で優しい彼は、もうそこにはいなかった。
理性を完全に消し飛ばし、ただ己の目の前にある「悪」を、文字通り根絶やしにするためだけに存在する、殺戮の自動機械。
伝説の処刑人『死を呼ぶ四番(DEATH4)』への、完全なる覚醒だった。
「……【排除】」
機械のように抑揚のない、地獄の底から響くような声。
その声を聞いた瞬間、騎士隊長と死蟲軍の怪物たちは、本能的な死の恐怖に凍りつき、一歩も動けなくなった。
龍魔呂さんの足元から、放射状に地面がひび割れ、周囲の小石が重力を失ったようにフワフワと宙に浮き始める。
ただ一人の男から放たれる殺意の質量が、物理法則すら歪め始めていた。
世界で最も恐ろしい『死神』の処刑が、今、始まろうとしていた。
読んでいただきありがとうございます。
面白いと思っていただけましたら、★評価やブックマークで応援していただけると励みになります。




