EP 4
鉄の馬車での休日と、不器用なマスターの無自覚な殺し文句
私がポポロ村の小料理屋『鬼龍』で働き始めて、初めての定休日がやってきた。
朝、私が店舗のモップ掛けをしていると、二階から龍魔呂さんが降りてきた。いつもの黒いエプロン姿ではなく、黒のレザージャケットにワインレッドのタートルネック、そして武骨なレザーパンツにエンジニアブーツという、ひどく様になる私服姿だった。
「リリアナ、掃除はいい。出かける準備をしろ」
「えっ? 出かける、ですか?」
「ああ。裏の畑でお前の育てた極上野菜は採れるが、塩や香辛料、日用品なんかはどうしても街で買い出ししなきゃならねぇ。……お前も、服とか必要なものがあるだろ」
そう言って、彼はポンと私の頭に大きな手を乗せた。
王宮を追い出されたあの日から、私はずっと彼が用意してくれた少し大きめのシャツや、村のおばあさんから譲ってもらった簡素なワンピースを着回していたのだ。彼はそんな私の状況を、ちゃんと見て気遣ってくれていたらしい。
「あ、ありがとうございます……! すぐ準備します!」
急いで身支度を整え、店の外に出た私の目の前に停まっていたのは――信じられないほど巨大で、武骨な四角い『鉄の馬車』だった。
「な、なんですかこれ……っ!?」
「俺の愛車、『ランドクルーザー』だ。こっちの世界で言うところの、大型の魔導車みたいなもんだな。乗れ」
龍魔呂さんはガチャリと重厚な音を立てて助手席のドアを開け、私が乗り込むのを自然な動作でエスコートしてくれた。
私がフカフカのシートに座ると、彼は運転席に乗り込み、エンジンをかける。
――ドゥルルルンッ!
お腹の底に響くような、力強い獣の咆哮のような重低音。
分厚いドアが閉まると、外の雑音は完全に遮断され、車内は彼と私だけの、完全に隔離された密室になった。ほのかに香るレザーの匂いと、彼の纏うタバコの残り香が混ざり合い、なんだかひどく落ち着く。
龍魔呂さんが手元のスイッチを操作すると、車内のスピーカーから静かで重厚な音楽が流れ始めた。
静寂の中で、弦楽器が一定のリズムを刻みながら、美しくもどこか哀愁を帯びた旋律を奏でている。(※ベートーヴェン『交響曲 第7番』第2楽章)
「あの、不思議な音楽ですね。とても静かで……心が落ち着きます」
「……地球ってとこの、古い音楽だ。俺の趣味に付き合わせちまって悪いな」
「いえ! すごく好きです。龍魔呂さんに、とても似合っています」
私が微笑むと、彼は少しだけ気まずそうに「……そうかよ」と呟き、車を発進させた。
ガタガタの悪路すらも全く揺れを感じさせない、巨大な鉄の馬車。
私は助手席から、ハンドルを握る彼の横顔をこっそりと盗み見た。
大きな手。隆起した腕の筋肉。鋭い三白眼で前方を真っ直ぐに見つめる横顔は、彫刻のように美しく、そして途方もない大人の色気に満ちていた。
心臓が、トクトクと普段より少しだけ早くリズムを刻み始める。
◆◆◆
車は隣の大きな街の市場へと到着した。
定休日ということもあり、市場は沢山の人でごった返していた。人混みが苦手な私は、迷子にならないようにと肩をすくめた。
しかし、そんな心配は全くの無用だった。
「…………」
「ひっ!? す、すまねぇ!」
身長百九十センチ、全身から「只者ではない」という圧倒的な威圧感と覇気を漂わせる龍魔呂さんが歩くと、まるで海が割れるように、人混みが勝手に左右へと避けていくのだ。
彼が私の少し斜め前を歩いてくれるおかげで、私は誰ともぶつかることなく、安全な無風地帯を歩くことができた。
ふと、気づく。
龍魔呂さんは私よりもずっと足が長いはずなのに、彼は決して私を置いていくことなく、私の小さな歩幅に合わせて、ゆっくりと歩いてくれている。
王城にいた頃。私は常に王太子アルベルトの三歩後ろを歩くよう強制され、少しでも遅れれば「鈍臭い女だ」と舌打ちされ、置いてけぼりにされていた。
(龍魔呂さんは……こんなに大きくて怖い顔をしているのに、誰よりも優しい……)
彼にとっては無意識の行動なのだろう。けれど、その不器用な優しさが、私の心に少しずつ積み重なっていく。
「ん?」
歩きながら、私がふと屋台の一つに視線を向けた時のことだった。
そこには、キラキラと宝石のように輝く『月見大根の砂糖漬け』という甘味のお菓子が売られていた。美味しそうだな、と思ったが、今日は彼のお金で買い出しに来ている身だ。我慢しようと視線を戻した。
しかし、龍魔呂さんはその私の僅かな視線の動きを見逃さなかった。
「親父。これ、一つ包んでくれ」
「へ、へいっ! 毎度あり!」
彼は銀貨を弾いて屋台の店主に渡すと、紙に包まれた甘いお菓子を、ポンと私の手に乗せた。
「えっ? あの、私……」
「食え。いつも店でよく働いてくれてる礼だ」
「で、でも……お荷物も、全部龍魔呂さんが持ってくださっているのに……」
彼の両手には、すでに大量の小麦粉や香辛料、私に買ってくれた新しい服の入った木箱など、数十キロはあろうかという荷物が抱えられている。私が一つ持ちますと言っても「俺が持った方が早い」と、全て一人で軽々と持ち上げてしまったのだ。
「これくらい、俺にとっちゃ羽毛みたいなもんだ。気にするな。……ほら、はぐれるぞ」
そう言って、彼は荷物を持っていない方の手……太くてゴツゴツとした大きな手を、私の方へと差し出した。
繋げ、ということなのだろうか。
私は顔から火が出そうになるのを必死に堪えながら、そっと、彼の手の中に自分の小さな手を重ねた。
彼の手は、タコができていて硬いけれど、雑炊を作ってくれたあの日と同じように、信じられないほど温かかった。
◆◆◆
夕暮れ時。
買い出しを終え、ポポロ村へと帰る車の中。
車内は、沈みゆく太陽のオレンジ色の光に包まれていた。
私は助手席で、彼が買ってくれた『月見大根の砂糖漬け』を少しずつかじっていた。サクサクとした大根の食感と、上品な砂糖の甘みが口いっぱいに広がり、幸せなため息が漏れる。
「……龍魔呂さん。今日は、本当にありがとうございました」
「大したことはしてねぇよ」
「ううん。私、こんなに楽しくて、安心できる休日は……生まれて初めてでした。なんだか、夢を見ているみたいです」
王城での息の詰まるような生活から一転、今は隣に、こんなにも私を大切に扱ってくれる人がいる。この助手席は、私にとって世界で一番安全で、温かい特等席だった。
龍魔呂さんは、片手でハンドルを握り、前方の道を見据えたまま。
ふと、低い、静かな声で口を開いた。
「大げさだ。……それに、夢じゃねぇよ」
「え……?」
「俺の愛車の助手席に、女を乗せたのは……お前が初めてだからな」
――ドクンッ!!
心臓が、今日一番の大きな音を立てて跳ね上がった。
えっ? 初めて?
あんなに店で女性客から熱烈なアプローチを受けているのに?
彼にとっては、ただの事実を口にしただけの、何気ない言葉だったのかもしれない。けれど、それは私にとって、頭の芯が真っ白になるほどの『殺し文句』だった。
オレンジ色の夕日に照らされた、彼の美しい横顔。
無骨で、口数は少なくて、不器用だけれど。
誰よりも強くて、誰よりも温かいご飯を作ってくれる、この人。
(ああ……私、恋をしているんだ)
口の中に残る砂糖漬けの甘さよりも、ずっとずっと甘く、胸を締め付けるような感情。
私は、自分が彼――鬼神龍魔呂というひとりの男性を、深く愛し始めていることを、もう誤魔化すことができなかった。
車内には、静かで重厚な交響曲が流れ続けている。
私は少しだけ彼の方へ身を傾け、彼の纏う匂いと熱を感じながら、静かに目を閉じた。
この幸せな時間が、どうか永遠に続きますようにと、祈りながら。
――しかし、二人のこの穏やかな時間を引き裂くように、王都からの理不尽な『悪意』が、すぐそこまで迫っていることを、この時の私はまだ知る由もなかった。
読んでいただきありがとうございます。
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