EP 13
再会。そして、時間の逆行(始祖竜ロードの真価と、繋ぎ止められた命)
地獄の絶対的支配者であった閻魔大王の巨躯が、赤黒い獄炎と紫電の嵐に呑み込まれ、原子の塵となって完全に消滅した。
賽の河原を覆っていた底なしの重圧が嘘のように霧散し、静寂が訪れる。
ズズン……、と。
真紅の鬼神へと変貌していた機神『ラビーク』が、その役目を終えたかのように膝をついた。
機体から紫色の雷光が抜け出し、ポンッと軽い音を立てて、雷帝神ユイちゃんが元のボブカットの少女の姿に戻って地面に降り立つ。
そして、プシュゥゥゥッと蒸気を吹き出しながら、胸部のコックピットハッチが開いた。
「……はぁっ……はぁっ……」
中から転がり出るようにして姿を現したのは、龍魔呂さんだった。
額から血を流し、息も絶え絶えになりながらも、その瞳にはかつてないほどの切実な光が宿っていた。
彼は足元をふらつかせながら、一直線に、泥だらけになって座り込んでいる十歳の少年のもとへ向かって歩き出した。
「龍魔呂さんッ!」
私が駆け寄って彼の身体を支えようとするが、彼は「大丈夫だ」と首を振り、そのまま少年の前でドサリと両膝をついた。
「……ユウ」
「……兄ちゃん」
泥と涙でぐしゃぐしゃになったユウ君が、震える両手を伸ばした。
龍魔呂さんは、その小さな身体を、壊れ物を扱うように、けれど絶対に二度と離さないと誓うように、強く、強く抱きしめた。
「ユウ……ッ、ユウ……ッ!!」
「兄ちゃん……! ほんとに、ほんとに兄ちゃんなの……っ? 僕、ずっと、ずっとここで石を積んでて……怖くて、痛くて……でも、兄ちゃんのこと思い出しながら、頑張って……っ」
「あぁ……っ。よく頑張ったな。一人にして、ごめんな。……俺が不甲斐ないばっかりに、お前をこんな暗い所に……っ」
いつもは悪党を震え上がらせる無敵の処刑人が、子供のように声を上げて泣いていた。
彼の広い背中が、しゃくり上げるたびに大きく震える。
十年間。
彼がたった一人で背負い続けてきた、弟を救えなかったという巨大な十字架が、音を立てて崩れ去っていく瞬間だった。
私も、溢れ出す涙を止めることができず、二人の温かい再会をただ静かに見守っていた。
――しかし。
その感動の再会に、無情にも『世界の理』が牙を剥いた。
「……ん?」
龍魔呂さんの腕の中にいたユウ君の身体が、ふいに淡く発光し始めたのだ。
いや、発光しているのではない。彼の身体が、まるで水に溶けるインクのように、足元から徐々に『透明』になり始めていた。
「ユ、ユウ!? おい、どうした!? 身体が……透けて……ッ!」
「あ、あれ……? なんだか、急に眠く……兄ちゃんの手が、すり抜けちゃうよ……」
ユウ君の小さな手が、龍魔呂さんの腕をすり抜け、空を切った。
「嘘だろ……。おい、やめろ……待てよ、ユウッ!」
「たつまろ、急がないとマズいよ!」
ユイちゃんが、血相を変えて叫んだ。
「閻魔っていう『地獄のシステムの核』が消滅したせいで、この地獄の空間自体が崩壊を始めてる! それに、ユウ君は十年間もこの地獄の瘴気に当てられ続けて、魂が限界を迎えてるんだ! このままじゃ、完全に『虚無』に還って、二度と転生すらできなくなる!」
「そんな……! リリアナ! お前の魔法で、どうにかならねぇのか!?」
龍魔呂さんが、縋るような目で私を見た。
私は慌ててユウ君に駆け寄り、持てる限りの魔力を振り絞って『豊穣の魔法』を放とうとした。
「お願いします、治って、繋ぎ止まって……っ!」
しかし。
私の指先から溢れた緑色の生命の光は、ユウ君の透けかけた魂を通り抜けてしまう。
「だ、ダメです……っ。私の魔法は『生きている命』を癒やすためのもの……死んでしまった魂には、干渉できない……っ!」
私は絶望に唇を噛んだ。
そんな、嘘でしょう。せっかく、神様を倒してまで再会できたのに。この腕の中にある命が、また指の隙間からこぼれ落ちてしまうなんて。
「……しゃあないな。ここからは、ワテの出番や」
その時。
ゆっくりと歩み出てきたのは、後方で隠れていた『ルナ・イーツ』の配達員こと、ロードさんだった。
「ロード殿……!」
「アカンわ。こんな悲しい顔されたら、サウナ上がりの飯も不味うなってまう。……ワテは冷めたピザを温め直す程度の魔法でええんやけどな。たまには、昔取った杵柄、見せたるわ」
ロードさんが、首に下げていた魔導通信石を放り捨てる。
その瞬間。
彼の小さなジオ・リザードの身体から、地獄の瘴気すらも圧倒するほどの、黄金色の凄まじい魔力が渦を巻いて噴き上がった。
「おおおおっ!! こ、これぞまさに伝説の始祖竜! クロノ殿の真の力でござるゥゥッ!」
良樹さんが目を輝かせて叫ぶ。
黄金の光に包まれたロードさんの背後に、巨大な『黄金の竜』の幻影が立ち昇る。
それこそが、かつて古代の覇権争いを単騎で終わらせたという、時間を操る伝説の竜の真の姿だった。
「ええか、兄ちゃん。ワテの『時間の巻き戻し』は、死者を生き返らせる魔法やない。対象の時間を『死ぬ直前の無傷な状態』まで強制的に逆行させる、ただの反則や」
ロードさんは、黄金の瞳を光らせて、透けかけているユウ君に手をかざした。
「このガキが死んだのは十年前やな。……十年の時を、一気に巻き戻す! 魂の因果律、逆転やァァァッ!!」
――カチ、コチ、カチ、コチ……!
空間全体に、巨大な時計の秒針が『逆回転』するような奇妙な音が響き渡った。
ロードさんの手から放たれた黄金の魔力が、ユウ君の身体をドーム状に包み込む。
すると、透明になりかけていたユウ君の魂が、まるでビデオを逆再生するように、急速に実体を取り戻し始めた。
ボロボロだった着物が元に戻り、頬についた傷が消え、病気で痩せ細っていたはずの身体に、健康的な生気が宿っていく。
「これ……が、始祖竜の、時間操作……っ」
私は、そのあまりにも神々しい光景に、ただただ息を呑むしかなかった。
「……ふぅーっ。しんど。残業代は高くつくで、兄ちゃん」
黄金の光が収まると、そこには、すっかり実体を取り戻し、安らかな寝息を立てるユウ君の姿があった。
ロードさんは魔力を使い果たしたのか、再び小さなジオ・リザードの姿に戻り、ドサリとその場に座り込んだ。
「ロード……お前……っ」
「魂の時間を、死ぬ直前の健康な状態に固定した。これで、現世に連れて帰っても消滅せん。肉体の方は、お嬢ちゃんの魔法と、ルチアナのオバハンの力でも使って、後から錬成ったらええ」
ロードさんは、ニヤリと笑って親指を立てた。
「これで、ワテの仕事は終わりや。約束通り、あのバカ美味い『賄い丼』、腹千切れるまで食わせてもらうで」
「あぁ……あぁっ! いくらでも、一生分でも食わせてやる! ……ありがとう。本当に……ありがとうッ!!」
龍魔呂さんが、ユウ君を抱きしめたまま、ロードさんに向かって深く、深く頭を下げた。
あの最強で、誰にも屈することのなかった男が、大粒の涙を流しながら、なりふり構わず感謝を叫んでいる。
すべての悲劇が、これで終わった。
私は安堵の涙を拭いながら、彼らに駆け寄ろうとした。
――ズゴゴゴゴゴゴゴッ……!!!!
だが、安堵する間も無く、地獄の大地がこれまで以上に激しく揺れ始めた。
見上げれば、閻魔大王という核を失った地獄の空間が、文字通り『ガラスのようにヒビ割れ』、ドス黒い虚無が顔を覗かせ始めていた。
空から巨大な岩石が降り注ぎ、血の池が干上がり、地面が次々と崩落していく。
「マズいよ! 地獄そのものが自壊し始めた!」
ユイちゃんが叫ぶ。
「ここにいたら、僕たちもろとも虚無に呑み込まれちゃう! 早くランクルに乗って、現世のゲートまで逃げるんだ!」
「リリアナ、ロード、良樹! 急げッ!」
龍魔呂さんが、眠るユウ君を抱き抱えたまま弾かれたように立ち上がった。
私たちは、崩れ落ちる岩石を避けながら、急いでランドクルーザー70へと駆け出した。
愛する弟の魂を無事に取り戻し、あとはこの崩壊する地獄から脱出するだけ。
私たちは、生きて帰るのだ。絶対に、あの温かいポポロ村の食卓へ。
「出すぞォ!!」
全員が乗り込んだのを確認するや否や、龍魔呂さんがアクセルを全開に踏み込んだ。
V8エンジンの咆哮と共に、赤黒い闘気を再び纏ったランクルが、崩壊する地獄の荒野を、決死の脱出劇へと向かって猛烈なスピードで爆走し始めたのだった。




