EP 11
閻魔大王の絶対的絶望と、砕け散る銃弾(届かない修羅の牙)
天を衝くほどの巨躯。
地獄の最下層、賽の河原の大地を真っ二つに割って現れたのは、冥界の絶対的支配者『閻魔大王』だった。
その姿は、私たちが御伽話で聞かされてきたような単なる『恐ろしい鬼の王』という次元を遥かに超えていた。
全身から放たれるのは、神聖でありながらも底なしの死を内包した、禍々しいほどの『神威』。
彼がそこに存在しているというだけで、地獄の空間そのものが悲鳴を上げ、重力が何十倍にも跳ね上がったかのように、私たちの身体を地面へと押さえつけてきた。
「ぐっ……ぁ……っ」
私は膝から崩れ落ち、両手を地面について荒い息を吐いた。
後方で息を潜めていたロードさんと良樹さんも、完全に地面に這いつくばり、カエルが潰されたような悲鳴を上げている。
「あ、アカン……! 格が違いすぎる! ありゃあ本物の『神』や……ワテらみたいなイレギュラーが、どうこうできる相手やないッ!」
「拙者の、拙者の身体が、一ミリも動かないでござるゥゥッ……!」
ただその場に立っているだけで、魂がすり潰されそうになるほどの圧倒的な絶望。
しかし。
その想像を絶する神威の嵐の中で、たった一人、微動だにせず立ち尽くしている男がいた。
「……ユウ。俺の背中から、絶対に離れるな」
龍魔呂さんだった。
彼は、震える十歳の小さな弟をその広い背中に庇い、閻魔大王の巨躯を真っ直ぐに睨み上げていた。
彼の全身からは、先ほどまでの何倍もの濃度を持った『赤黒い闘気』が、まるで荒れ狂う炎のように噴き出している。神の重圧に、人間の執念と狂気だけで真っ向から抗っているのだ。
『ほう。脆弱な生者の分際で、我が神威の前に立っていられるとはな』
閻魔大王の腹の底に響くような声が、賽の河原全体を震わせた。
その巨大な顔に浮かんでいるのは、怒りではない。虫ケラを見るような、絶対的な『見下し』だった。
『だが、輪廻の理を乱すことは、いかなる理由があろうと許されぬ。その子供の魂は、親より先に死んだ罪をこの河原で永遠に償う運命にある。……置いていけ、人間。さもなくば、貴様の魂ごとこの地獄の底で塵に変えるぞ』
「……寝言は、寝て言え」
龍魔呂さんは、血を吐くような凄みのある声で低く唸った。
「誰が作ったか知らねぇが、そんなクソみたいなルール、俺が全部ぶち壊してやる。……ユウは、俺が連れて帰る。邪魔する奴は、神だろうが閻魔だろうが、全員挽肉にしてやるって言ったはずだぜ!」
龍魔呂さんは、背中のユウ君を優しく地面に降ろすと、琉球古武術の『縮地』によって一瞬で跳躍し、再び純白の機神『ラビーク』のコックピットへと滑り込んだ。
ガコンッ! とハッチが閉ざされ、機体のツインアイが猛烈な赤黒い閃光を放つ。
『ヒャハハハハッ! いいぜェ、たつまろォ! 神様相手にビビってたら、DEATH4の名が泣くってもんだ! 出力最大、全弾ブチ込んでやれェェッ!!』
次元の向こう側から、ガジェットさんの狂気に満ちた声が通信越しに響き渡る。
ラビークの巨大な両腕にマウントされた、二門の『一二七ミリ・ガトリング砲』が、ウィィィィンッ! と甲高いモーター音を立てて回転を始めた。
『システム、限界突破。……消え失せろ』
コックピットの中からの、氷のように冷酷な死の宣告。
次の瞬間、地獄の暗闇を真昼のように照らす、凄まじい砲火が放たれた。
ズガガガガガガガガガガガガガガガガッ!!!!!!!
護衛艦の主砲クラスの弾丸が、毎分二千発という異常な速度で発射される。
さらに、その一発一発には、龍魔呂さんの『赤黒い闘気』が極限まで圧縮されて纏わされており、山をも一瞬で粉砕するほどの絶大な破壊力を秘めていた。
何千、何万という赤黒い流星の群れが、閻魔大王の巨躯に向かって一直線に殺到する。
「いけぇぇっ! 龍魔呂さんッ!!」
私は祈るように両手を握りしめ、叫んだ。
先ほど、地獄の鬼どもを数秒で挽肉に変えた、圧倒的な暴力の嵐。これなら、いくら巨大な閻魔大王でもタダでは済まないはずだ。
――しかし。
『……愚かな』
閻魔大王が、巨大な錫杖を、ただトンッ、と地面に突いた。
その瞬間だった。
ピタリ、と。
閻魔大王の眼前に殺到していた数万発の赤黒い弾丸が、まるで見えない壁に衝突したかのように、空中で完全に『静止』したのだ。
『な……っ!?』
通信越しに、ガジェットさんの息を呑む音が聞こえた。
『物理法則が、完全に無視されてやがる……! 弾丸の運動エネルギーが、空間そのものに喰われてゼロになっただと!? なんだそのデタラメなバリアはァッ!』
「ガジェット、どういうことだ!?」
『ここはヤツの領域だ! 【冥界の法】そのものが、生者の物理攻撃を完全にシャットアウトしてやがるんだよ!』
空中で静止した無数の弾丸が、カラカラと音を立てて、無力に地面へとこぼれ落ちていく。
鬼どもを瞬殺した絶大なる修羅の牙は、神の理の前には、文字通り『児戯』に過ぎなかったのだ。
『生者の暴力など、死を司るこの我に届くはずもなし。……身の程を知れ、大罪人よ』
閻魔大王が、ゆっくりと巨大な錫杖を天高く振り上げた。
杖の先端に付いた複数の金属の輪が、ジャラリ、ジャラリと恐ろしい音を立てて鳴り響く。
ただ振り上げただけで、地獄の空を覆っていた分厚い雲が渦を巻き、空間そのものが引き裂かれるような悲鳴を上げた。
「龍魔呂さん!! 避けてッ!!」
私が絶叫したのと同時に、閻魔大王の錫杖が、ラビークに向かって無慈悲に振り下ろされた。
ゴォォォォォォォォォォッ!!!!!
それは、もはや単なる物理攻撃ではなかった。
『死の裁き』という概念そのものを圧縮した、天災のような一撃。
ラビークは回避行動を取ろうとしたが、錫杖から放たれる恐ろしい重圧に機体が縫い止められ、動くことができない。
『チィィッ!!』
龍魔呂さんは即座に回避を諦め、ラビークの両腕を十字に交差させた。
コックピットの中で、彼自身が陳式太極拳と詠春拳の『化勁』の動きを行い、敵の攻撃の威力を受け流そうと試みる。
どんな銃弾もレーザーも弾き返す、鬼神流と超AIのハイブリッド防壁。
しかし。
ガガァァァァァァァァァァァンッ!!!!!!!
錫杖がラビークの交差した両腕に激突した瞬間。
宇宙論的密度を持つ超硬度合金『ヒイロガネ』の装甲が、メリメリと恐ろしい音を立ててひしゃげた。
『がっ……ァァァッ!!?』
「龍魔呂さんッ!!」
受け流すことなど不可能なほどの、絶対的な質量の暴力。
ラビークの巨体が、まるで玩具のように吹き飛ばされ、賽の河原の地面を何百メートルもバウンドしながら削り取っていった。
ズガァァァンッ! と巨大な岩山に激突し、ようやくその動きが止まる。
「あ……あぁっ……」
砂煙が晴れた後。
そこには、両腕の装甲が砕け散り、機体のあちこちから黒い煙と火花を噴き上げているラビークの痛ましい姿があった。
外部モニターの映像が乱れ、コックピットの内部が微かに透けて見える。
操縦席の龍魔呂さんは、額から大量の血を流し、荒い息を吐いていた。
「龍魔呂さん! 嫌っ、お願い、死なないで……っ!」
私は、重力に逆らって這いずりながら、彼のもとへ向かおうとした。
私の『豊穣の魔法』を届けなければ。彼を助けなければ。
しかし、指先から出そうとした緑色の優しい魔力は、地獄の瘴気と閻魔大王の神威に触れた瞬間、ジュワッと音を立てて掻き消されてしまった。
「嘘……私の魔法が、出ない……っ!?」
「リリ、やめろ……ッ」
血を吐きながら、ロードさんが悲痛な声で叫んだ。
「ここは完全に『死』の領域や……お嬢ちゃんの『生命を育む魔法』は、この場所の理と完全に相反しとる! 無理に使おうとしたら、魔力回路がショートして、お嬢ちゃん自身が死んでまうぞ!!」
そんな。
私が、彼を助けられないなんて。
一緒に地獄へ行くと言ったのに。彼の痛みを半分背負うと誓ったのに。
結局私は、彼の背中を見つめながら、震えて涙を流すことしかできないのか。
『……まだ、生きておるか。しぶとい虫けらめ』
閻魔大王が、地響きを立てながら、倒れ伏すラビークへと歩み寄ってきた。
『輪廻の理を乱す罪。そして、この我に刃を向けた罪。……もはや、貴様の魂を六道に生まれ変わらせることすら生温い。完全なる『虚無』へと消し去ってやろう』
閻魔大王が、再び巨大な錫杖を天に掲げた。
今度こそ、トドメの一撃。
それを食らえば、ラビークの強靭な装甲もろとも、龍魔呂さんの魂は完全に消滅してしまう。
「やめてぇぇぇぇぇッ!!」
私は、喉が裂けるほどの声で絶叫した。
「兄ちゃん……! 兄ちゃあああんッ!!」
ユウ君も、泥だらけの顔をぐしゃぐしゃにして泣き叫ぶ。
万事休す。
誰もが絶望の淵に突き落とされ、死の恐怖に目を閉じた、その時だった。
『――ハッ。誰が、誰を消し去るって?』
ボロボロになったラビークの外部スピーカーから。
血を吐きながらも、決して折れることのない、不敵で狂気じみた男の笑い声が響いた。
『……っ!?』
閻魔大王の動きが、ピタリと止まる。
ズズズズズ……ッ。
砕け散った両腕をだらりと下げたまま。
ラビークが、ゆっくりと、立ち上がったのだ。
その機体からは、先ほどよりもさらに濃く、禍々しく、そして全てを焼き尽くすような『赤黒い闘気』が、嵐のように吹き荒れていた。
『俺の魂を、虚無に消すだと? ……上等だ。やってみろよ、クソ神』
コックピットの中。
額から血を流し、全身の骨が軋むほどの激痛に苛まれながらも。
龍魔呂さんの三白眼は、死の恐怖など微塵も感じさせない、修羅の光を猛烈に燃えたぎらせていた。
『俺は、ユウを置いては死なねぇ。リリアナを置いては死なねぇ。……あいつらと一緒に、絶対にあの温かい店に帰るって、約束したんだ』
――ガキィィィィンッ!!
ラビークの機体装甲が限界を超えて軋む。
しかし、その赤黒い闘気は、閻魔大王の放つ神威の重圧を、内側からの執念だけで強引に押し返し始めていた。
『俺の魂が粉々にすり潰されようが。地獄のルールがどうだろうが、関係ねぇ。……俺の女と、俺の弟を泣かせる奴は、絶対に許さねぇんだよッ!!』
神の理か。
人間の執念(愛)か。
閻魔大王の圧倒的な絶望を前にしても、決して膝を屈しない男の背中。
しかし、武器は通じず、機体は限界を迎えている。
このままでは、押し潰されるのは時間の問題だった。
絶対的な死の影が、私たちを完全に覆い尽くそうとした、その瞬間。
――ゴロゴロゴロ……ッ!!
地獄の赤黒い空が、突如として、凄まじい紫色の閃光に包まれた。
それは、地獄の理すらも物理的に引き裂く、天界からの『神雷』の轟音だった。




